
この本が、出版されました。
でき上がった本を見て、「思ってたより面白いな〜」と自分で思った珍しい本です。「バラック様式」というのは、
http://mainichi.jp/graph/2012/07/19/20120719org00m040011000c/036.htmlこういう建物が、戦後日本の住宅および住宅地イメージの基礎になってしまっているのではないか、ということです。現在の新築の家は、「高級素材によるバラック建築」に見えます。
本書の「あとがき」を以下に掲載いたします。味見してください。
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【あとがき】
本書は、同じく講談社+α新書から出版された、
『もう「東大話法」にはだまされない〜「立場主義」のエリートの欺瞞を見抜く』
に続く、窪田順生氏とのコンビによる著作の第二作です。明石書店から出版した
『原発危機と「東大話法」〜傍観者の倫理・欺瞞の言語』
『幻影からの脱出〜原発危機と東大話法を越えて』
の二冊を含めて、「東大話法」研究の第四冊でもあります。
私が窪田さんと担当の木原進治さんとに四方山話をして、それをお二人に構成していただき、窪田さんに書き起こしていただいたものに、私が手を入れました。ジャーナリストの窪田さんは、現代社会の病巣について私よりも多くの具体的知識をお持ちであり、それによって私の考えを補強するデータを教えていただいた箇所が多々あります。というよりも、窪田さんが様々の出来事の取材の過程で「なんだか変だなぁ」と思っておられたことが既にあり、それが私の話によって劇的につながってこの本になった、というような感じも致します。二人がキャッチボールして書くことで、私が単独で書くものに比べると、読みやすいものに仕上がったものと思っております。
前作は「東大話法」研究の拙著二冊を背景としてそれを拡張する形で書いたものでしたが、本書は、そこからもう一歩踏み込んでおります。
この本では、私が専門とするアジア太平洋戦争期から見て、終戦から現在に至る長い日本の戦後史についてのわたしなりの見方を提示しています。戦後期については、近年急速に研究が進んでいるものの、多くの「差し障り」のゆえの情報秘匿の壁に阻まれて「歴史研究」の対象に未だなりきっておりません。情報開示が大幅に進んだとはいえ、まったく不十分な現状は日本社会にとって誠に不幸なことだと思います。その上、私は「戦後史」を専門的に研究しているわけではなく、その意味で歴史家として十分な根拠に基づく議論をすることができません。
しかしこの時期のうち直近の50年間は私自身の経験という貴重なデータがあり、そこを起点として日本近代史の知見と接続し、「世相」という水準に焦点を当てることで、なんとか一貫した見方を提示しようと努力致しました。事実や資料についての特段の新発見はありませんが、既に知られていることを「立場主義」「東大話法」「学歴エリート」「バラック様式」などの概念を導入することによって配列し、理解可能な像を見出すことはできたのではないかと考えております。
また私は現在、「私の世界史」という研究方法を提唱しています。これは「私」という視線で描く歴史のことです。
普通の「歴史」は、「一国中心主義」で書かれています。「日本史」は日本国という領域を前提として、そこで起きた出来事を明らかにして、理解しようとします。「中国史」「アメリカ史」「イギリス史」というのも同じです。これは、歴史学というものが、「国民国家」と現在呼ばれているものが生成する過程で出現し、その統合のための装置として機能してきたためです。
現在では、こういった区切りを無根拠に置くことが偏狭なナショナリズムを生み出しているとして強く批判されており、それ以外の枠組が模索されています。たとえば(1)国家とは違う領域に焦点をあわせる「地域史」、(2)複数の国家史を取り扱って、相互比較する「比較史」、(3)「戦争」や「交易」や「文学」といった特定の分野あるいは、特定の商品・作物などの事物を切り口とする(「◯◯の世界史」)、(4)文献などの資料に視点を限定する(「◯◯から見た歴史」)などです。それ以外に、どの区切りも拒否して、人類全体・地球全体を描かないと駄目だ、という「グローバル・ヒストリー」というものに挑戦する歴史家も出現しています。
もちろん、このような形で描かれた歴史が無意味であるとか誤っている、というのではありません。しかしこういった「新しい歴史学」が無意識のうちに継承している「俯瞰的視線」そのものが問題を孕んでいるのではないか、と思うのです。この視線は、「誰からも文句をつけられないような客観的な歴史を描くのが歴史学の使命だ」という前提から生じています。
もちろん、客観性を欠いた自分に都合の良い恣意的な歴史を捏造するのは、まったく許されないことです。実証性こそは、歴史学が学として成り立つための不可欠の条件です。しかし、この俯瞰的・客観的視線を維持すると、「私」という人間を歴史から切り離し、安全地帯に置くことになります。そうすることによって「歴史」は私にとって、無関係で無意味なものとなってしまいます。これはこれで、無責任な態度と言わざるを得ません。かくして「私という人間がここにおり、このように生きているのはなぜか。」という歴史への根源的欲求は、抑圧されてしまいます。
そこで私は、この根源的欲求に立ち返り、「私」自身を視点として、「私の世界」の歴史を描く試みを行うべきだ、と主張してきました。これが「私の世界史」なのです。このような「実証的にして主観的な歴史」を試してみる価値はある、と考えます。そして、「主観的な歴史」の記述を複数の者が行うなら、そこに「間主観的歴史」が生成し、そこからより多くの人の「主観的歴史」の相互接続を繰り返すことで、「客観的歴史」 へと歩み続ける、という発展が可能だと思っています。
本書は、このような「私の世界史」のための最初の習作でもあります。私自身が生きているこの私の世界を理解したい、そして私自身を理解したい、という欲求を果すために、私が知っていることを総動員して描いてみたのです。それは必然的に、私自身のあり方への問いともなっております。そして、「私という人間がここにおり、このように生きているのはなぜか。」について、多くの人が互いに異なる理解をそれぞれに形成するなら、それが、私たちの社会の暴走を止め、創造的な未来へと踏み出すために決定的に重要な一歩となる、と信じております。
このような拙い「私の世界史」をお見せすることによって、皆さん、お一人お一人の「私の世界史」探求のご参考になれば、と願っております。
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- 2013/06/29(土) 08:58:02|
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村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』に登場する“綿谷ノボル”という人物、この登場人物は東大話法を駆使する立場主義者として設定されているように思えます。
しかも、この立場主義者の人物像に関する村上春樹の描写がとんでもなくスゴイ!と思ったので、ご報告いたします。読んでいて、東大工学部のプルト大橋教授の顔が頭に浮かんできました・
場所は、「第1部 泥棒かささぎ編 6 岡田久美子はどのようにして生まれ、綿谷ノボルはどのようにして生まれたか」の後半部分です。
- 2013/07/09(火) 07:44:51 |
- URL |
- 鈴木裕治 #-
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