拙著『合理的な神秘主義〜生きるための思想史』(青灯社、叢書:魂の脱植民地化第3巻)については、このブログで二度紹介した。
http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-973.htmlhttp://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-976.htmlまた、ながたかずひさ氏による秀逸な書評も頂いた。
http://rakken.sblo.jp/article/67207136.html更に、阪大の福井康太教授から、以下のメールをいただいた。許可を得て掲載します。福井教授はルーマンの法社会学の専門家であり、現在は柔軟に法を用いて紛争解決を実現するための実践的研究も行なっておられる。
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安冨様
福井です。ご高著『合理的な神秘主義―生きるための思想史―』(青灯社)拝読致しました。「魂の脱植民地化」研究グループの研究成果が次々に公刊され、その生産力に圧倒されています。
同書は当初複雑系科学の学説史として構想されたものが、その後の創発の研究、ハラスメント研究の成果と融合され、不確実性を生きるための倫理学として結実した、安冨さんの知的な歩みそのものの集大成と拝察します。これがヨーロッパの知の体系の伏流水として、諸学に革新をもたらし続けてきた知の系譜であるという指摘も同感です。同書は、一見すると、複雑系科学の系譜、創発=生=神秘についての思想、サイバネティクス=学習理論=創発を妨げるものをいかにして取り去るか、といった複数の課題にかかわる思想家の諸説を時系列に整理した不思議な思想書というように見えますが、「複雑性を生きることができることの神秘=創発=ハラスメントとの闘い=生きるための倫理学」というのは安冨思想(というものがあるとすればですが)の一貫した核心であり、その立体的な構造は最後のオプショナル・ツアーを見ると一目瞭然となります。はっきりとした体系をもつ思想史研究は昨今みられなかったものです。「魂の脱植民地化」=「合理的な神秘主義」構想がいかにして成立したかということも、オプショナル・ツアーをみることで明確に理解されます。
実は同書を読みながら考えたことは、ニクラス・ルーマンの社会学構想と安冨構想との類似点と相違点でした。ルーマンの社会学構想と安冨構想とでは、登場する論者の一部はオーバーラップします。潜在的な影響まで加味すると、かなり重なっていると考えてよいと思います。サイバネティクスや学習理論の成果を取り入れ、高度に複雑な現代社会で秩序はいかにして可能になるのかという問題に取り組んだのがルーマンです。しかしながら決定的に違う点がある。その違いはどこにあるのかというと、ルーマンが社会学を構想し、倫理学を構想しなかった、いや回避した一方、安冨さんはまさに倫理学、生きるための倫理学を中核に置いているという点です。ルーマンは、倫理学を回避することで、「価値自由」な科学としての社会学として、自らの理論を体系化しようとしました。これがルーマンの多産性の理由であると同時に、読んでもむなしさが残る点です。安冨さんは、複雑性の問題=創発の問題に取り組むということは不可避的に倫理学になるということを、その体系そのものをもって明らかにしています。ただ、複雑性そのものはどうやっても完全に記述することはできないものなので、複雑性の発現としての創発=生=神秘を妨げるものを、論理的方法を用いてえぐり出し、取り除くという戦略を立てる。この戦略は「語り得ぬもの」を無理矢理語るというパラドックスに陥ることなく、複雑系科学から倫理的帰結を引き出すほとんど唯一の戦略であるように思います。
まだ同書を一読しただけであり、よくわかっていない点も多々あります。各思想家の原典に当たってみないと何ともよくわからない(たぶん読んでもわからない)ことばかりです。もっとも、これまでになかったタイプの倫理学を安冨さんが立ち上げつつあるということは十分に理解できます。安冨さんの研究成果の今後のますますの発展を見守り続けたいと思います。
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- 2013/05/21(火) 14:09:49|
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