深尾葉子著
『日本の男を喰らい尽くすタガメ女の正体』(講談社+α新書)は既に騒然たる反響を呼んでいる。その出版前後のツイッター上の騒動については以下をご覧いただきたい。
出版前
http://togetter.com/li/491036出版直後
http://togetter.com/li/492269
同書については既に、ながたかずひさ氏による書評が出ている。
http://rakken.sblo.jp/article/65710385.htmlこれつづいて、法社会学者の福井康太・大阪大学大学院法学研究科教授の書評が出た。深尾氏への手紙の形式をとっているが、公表を前提に書かれたもので、福井教授の許可を得てここに掲載する。
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深尾先生
福井です。『日本の男を喰らい尽くすタガメ女の正体』(講談社+α新書)[以下タガメ本]を一気に読み上げました。タガメ本は、「タガメ女」というキーワードのもとに、日本人(だけではないかもしれません)を呪縛する「箍」(たが)の社会的存在構造を明らかにし、それがいかに日本人を幸せにしないメカニズムの一端を担っているかを明快に描き出す好著であると拝察いたしました。表紙で受けた印象ほど内容的には衝撃を受けることはありませんでした(いつもお話を伺っているからですね)が、問題点のえぐり出し方のうまさには唸らせられました。
日本社会の生きにくさというのは、まともな感性の備わっている日本人であれば誰でも感じていることです。その「生きにくさ」と日本人のダメさとが密接に関わっていることも、ほとんどの日本人が感じ取っていると思います。もっとも、これを的確に描き出している文献は、山本七平『空気の研究』(文藝春秋社)やカレル・ヴァン・ウォルフレンの『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社)など、ごくわずかの孤高の著作のみに留まっています(それぞれ観点は異なっていますが)。タガメ本がこの生きにくさの元凶を「箍」という言葉でえぐり出したこと(さらにそれを「タガメ」のイメージとともに売り出したこと)には大きな意義があると思います。「箍」が日本の標準的な女性の生き残り戦略に関わっていること、それが日本人らしい「横並び意識」によって強固に担保されていること、専業主婦層の埋め込まれた消費行動様式と同根であること、搾取される「カエル男」もその共犯であること(カエル男の「偽物の幸せ」については、同書でももっと敷衍してもよかったのではないかと思いましたが)の指摘は、目から鱗の連続でした。
日本人を縛る「箍」の問題はいろいろなところに見いだされます。例えば、安冨先生の『東大話法』で論じられていた「立場主義」も、見方を変えれば、「立場」という「箍」に捕われた東大教授(や役人やエリートサラリーマン)たちの哀れな振る舞いだということも言えると思います(社会的害悪を考えると哀れむ必要は全くありません)。ウォルフレンは、敗戦後日本人が自分で考えることがないようにアメリカから「箍」を填められ、その淵源が忘れられた今日に至るまで官僚機構がその「箍」を後生大事に守り、さらに拡大再生産している「不幸の再生産構造」を明らかにしましたが、彼の議論も「箍」というキーワードを取り入れることでよりわかりやすくなります。
安倍晋三が「箍」にとらわれた日本を「美しい国」と描き出すことには恐怖を感じます。彼は憲法を「国家機構を縛るもの」としてではなく、「国民を縛るもの」に転換したがっています。こんなことをされれば日本は終わりです。彼もまた恐ろしい母親の教育の犠牲者と言えるかもしれませんが、さらに日本人全員をその被害者にしようとする彼の行動は本当に恐ろしいと感じています。
私も、法学に関わる領域でこのような問題をどうにか描き出したいと苦闘していますが、私自身に課された「箍」もあり、文章にすることを躊躇っています。法学界や法曹界を敵に回すことは、いまの私の立場ではできません。深尾先生の勇気と決断にエールを送りつつ、コメントの結びに代えさせていただきたいと思います。
福井康太(大阪大学大学院法学研究科教授)
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- 2013/04/28(日) 22:40:34|
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