<安冨歩・東大教授、魂のコンポジウム初陣>自分自身を取り戻す道を求めて〜「脱原発先進社会」福井の未来を構想する〜≪開催趣旨≫
2012年3月28日、東京大学において、「魂の脱植民地化」を考えるコンポジジウム「原発事故で何が吹き飛んだか?~日本社会の隠蔽構造とその露呈~」を開催しました。これは、福島第1原子力発電所の事故から一年が経過した時点で、あの事故は何だったのか、あの事故によって何が明らかになったのか、を考えるための場として開催したものです。このコンポジウムは大きな反響を呼び、今もツイッター上などで議論が続いています。
この豊かな対話の場を継承すべく、福井で「魂のコンポジウム」を開催することと致しました。この地でいま「魂の植民地化/脱植民地化」の激しいせめぎ合いが起きているように感じるからです。
コンポジウムという形式は、私たちの研究会で過去、何年も行っているもので、「コンポジウム」=「コンサート」+「シンポジウム」という意味で、音楽・芸術と学術との融合を目指すものです。ここで展開する議論の目的は、なんらかの「合意」を形成することではなく、参加した者、一人一人が、それぞれに新たな気づきを得て、独自の考えを発展させることです。このコンポジウムを通じて、この事故のもつ意味と、これからの道を、それぞれに考えたいと思います。
日時:2012年4月22日 午後12時30分開場・13時00分開始・16時終了
場所:
福井県繊協ビル8階大ホール
参加無料、事前登録不要
【報告者】安冨歩教授(東京大学・東洋文化研究所):『原発危機と「東大話法」』(明石書店)の著者
「原発主義」からの脱却によって実現される豊かな社会の構想〜「魂の脱植民地化」の観点から考える〜【芸術】赤城修司(福島市)・福島の高校美術教員。今回は「放射能芸術集団:
ハイレッド・セキュリティー」を代表して、福島市の日常物を利用したインスタレーション
「何も変わってないのに、何もかも変わってしまった。」を展示。
【音楽】
よしこ:福井県出身、東大文学部卒。
山本道則:福井県出身・在住。
【対話者】安東弘光教授 (福井大学・工学研究科機械工学専攻)
【ゲスト】斉藤新緑さん:福井県会議員
ナンシーさん:サーフショップ店長
<式次第>
(1)よしこの歌でオープニング
(2)安冨による報告(40分程度)
(3)対話者・ゲストとの討論
(4)赤城の展示物の紹介と福島の現状についての報告
(5)山本道則の歌でエンディング
(6)途中で適宜、歌を挟む。
【主催】東京大学東洋文化研究所 安冨研究室
連絡先:03-5841-5849 animus@ioc.u-tokyo.ac.jp
追記:お子さん連れ、歓迎!
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- 2012/04/12(木) 22:33:09|
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福井で開催されたコンポジウムに伺わせていただきました。福島からいらっしゃった美術の先生のお話とスライドは、福島の厳しい現実をまざまざと見せ付けられ、子どもたちのことを思うと、胸が潰れます。参加された他の皆さんはツイッターとかいうもので情報交換されて、そういったお話はご存知なのでしょう。ですが、私はそういうパソコンといったものにはとんと疎く、孫に連れられて参加して初めて福島の現状を知った次第です。テレビだけでしか、情報を得ていなかった私としたは、驚きの内容でした。まだまだ私どもの知らない事がというのか、知らされていない事が数限りなくあるのでしょう。主催者である安冨さんには、開催していただいた感謝の気持ちとともに、今後ともこういったコンポジウムを開いてどしどし隠蔽されたことなどを世に広めていっていただきたくお願い申し上げます。私の気持ちをお伝えしたく、孫に頼んでこのブログにコメントさせていただきました。
- 2012/04/23(月) 00:28:02 |
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- 穂崎 マス #-
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今回は行けなくて無念でしたが、ゆきさんから先生の直筆サインをおみやげに頂き、胸を熱くしております。
私も馬車に乗りたかったです。
次回こそはと意気込んでおりますので、なにとぞ先生も末永く御活躍されますよう、お願い致します。
- 2012/04/23(月) 14:34:11 |
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- きゅうばじん #-
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今、ハラスメントについて、考えている者です。ハラスメントとは、その人自身を見ない。ある人と対面した場合に、その人そのものの姿ではなく、勝手な「像」の押しつけでその人を見る。それが、ハラスメントの本質だ。と、いった内容文が、読ませていただいた安冨さんの著書にあったかと思います。ですが、その人の姿もまた、相手によって、すなわち相対的に変化するだろうし、その時々で押しつける側の像も変わるので、姿も像も単なる一面に過ぎない。勝手な像の押しつけは案外、その人に対してではなく、押し付けた(と思われる)側になんらかの問題があり、その不安感から像に依存しているのかも知れない。その人に相談できないで、押しつけた側が自分で判断するケースも多々あるでしょう。アドバイスはなくても、その人の像、存在、すなわちそこにただいるを信じることで、なんらかの決断をしているやも知れません。まあ、その人の側でも、自分の願望として相手にに勝手な像を押しつけているともいえます。こういう男性がいい、こういう女性がいい、こうなって欲しいも、考えようでは、一種のハラスメントかも知れません。要は、相手がそのことをどう受け取るか、そこには相互の学習と理解、信頼の有無が大きく物を言うということでしょうか。
- 2012/04/23(月) 14:50:33 |
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- 結城 中(アタル) #-
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安冨氏にアドバイスをいただきたい。理解力の欠如とは、如何なるものか。この数日来僕が気にかかっている言葉である。ある人が僕に向けて言った言葉だが、僕はその人を理解していないと言う。何を理解しろと言うのだ。相手は別の個体であるとその人は言う。かく認識するのであれば、価値観が違う前提で話すのは当然のことだとは僕も思う。だからこそ相互の理解が必要だとも言えるだろう。一方的に僕が話す。相手が一方的に話す。双方が相手を理解しようとしている行為には、思えぬ。理解は押しつけるものではあるまい。自分が存在して相手が存在する。逆もまた然り。考え方も一つの語彙の使い方も異なる者が向き合った時、存在は確たるものだが、その思考、認識は不確かで全然別物だ。であれば、双方妥協はせずともよい。だが、存在を認め合うのであれば、相手の行為も別物として認めてもいいのではないのか。お互い協調すればよい。安冨氏のご意見を伺いたい。
- 2012/04/23(月) 23:59:44 |
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- 結城 中(アタル) #-
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安冨先生のお言葉で力が抜けました。百の言葉より一言のほうが心地よい。ありがとうございました。
- 2012/04/24(火) 00:27:46 |
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- 結城 中(アタル) #-
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思考の切り替えをします。
高橋健太郎・安冨歩対談「原発というスムーズ・クリミナル~もうがまんできない~」横浜での開催に伺いました。行き詰ってた僕はいろいろと考えさせられました。
マイケルジャクソンの曲にJamというのがあるんですけど、引っかかるという意味なんですね。スムーズに動いている組織、歯車の中のパチンコ玉になれるかということです。パチンコ玉一つがかむだけで全体の動きを止める事ができる。
自分が最大に大切な人を大切にするしかない。でも、大切なはずの人と、本当に大切な人は別!ここは大切!
「自分自身を大切にする、ということ、それがJamするということで、それが原発を止めるということ、です。」「可能性はものすごく低い」と、思っていたのですが、「その思い込んでいる枠組みの設定を変えて、読み替える必要がある、それは自分でやるしかないということ」。
システムの中でこう生きているのだから幸福なはず、という「かさぶた」をはがし、原発事故を契機に、借り物でないリアルで実感としてのしあわせの追求をします。先生のお言葉は胸に響きました。僕も変わろうと思います。乱れた文章お許しください。
- 2012/04/24(火) 14:19:35 |
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- 浜世子 一郎 #-
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ここ5、6年は、(死んでしまえ私の心、消えてしまえ私の体)と毎日呪文を唱えるように、心の中で呟いていました。全てにわたって諦めていました。でも、ここ数ヶ月間は、それを忘れていました。どんなにか、安冨先生のご本の言葉に助けられたことか、本当に感謝しております。どの世界でも伸び伸びと生きていきたいところです。それに私も夢をもちたくなってきました。どんな夢かまだ漠然としています。早く確固たるものにしたいと思っています。これからもご教授宜しく御願いいたします。
- 2012/04/28(土) 23:14:59 |
- URL |
- 音川 紗智代 #uAeQiY5A
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