年末の記事だが、以下のインタビューが出ていた。
政治家のそれにくらべてかなり真摯に感じるが、それでも私にはおかしいと思えるところがいくつかあった。
「最悪の事態を想定し、避難区域を原発から100~200キロに広げるシミュレーションを重ねた。状況によっては関東も汚染されるので、日本は終わりかと考えたこともあった」と緊迫した状況を明かした。よく覚えておかないといけないのは、この危機は今も継続している、ということである。たとえば、もう一度地震が来るなりなんなりして、
4号機のプールが崩れて水が漏れるだけで、燃料棒は溶融し始めるのであるから。あるいは、もっと人為的に、
テロリストがここを一日、占拠するだけでとか
ストライキが起きて全員が職場放棄するだけでとか
関係者の被爆量が一斉に限度量を越えて、誰も近づけなくなったのに、代わりに行ってくれる人が見つからない状態が一日続くだけでとか色々思いつく。とにかく、水を何年も何年も、休まずかけつづけることで、なんとかその事態を回避するバンドエイド状態のだから。些細なことでバンドエイドが剥がれたらたちまち危機である。
いや、正確に言うと、バンドエイドで本当に最悪の事態を回避できているかどうかさえわからない。コンクリートに溜まった燃料の上の方は冷えていても、底のところは熱くて、コンクリートを溶かして沈下している可能性が否定できないからだ。
ヘリコプターによる放水について、
「危険に立ち向かってでも事故を抑えるんだという日本の本気度を示す一つの手段だったと思う。あれが大きな転換点となり、米国を中心に各国の積極的な支援につながった。」と言っているが、これはつまり、あれはやっても物理的意味はなかった、ということである。自衛隊員は、単なるデモンストレーションをやらされたのである。「米国を中心に各国の積極的な支援」と言っても、外国は別に何も大したことはしていないから、ただの無駄である。
高濃度の放射能に加え、5トンの水を上空から落とせば衝撃で第2の爆発を起こすのではとの懸念もあった。というのだから、本当に馬鹿馬鹿しいことをやらされたものである。
我々は「想定外」という言葉を使わない。すべて最悪の事態を考え、想定内に納めておかないと対処できませんから。これはあきれる。もちろん、「想定外」と行って責任回避をはかる連中に比べれば立派かもしれないが、
「すべて最悪の事態を考え、想定内に納めて」おくなど、そんなことは人間には不可能である。自衛官がこういう言葉遣いで国防を考えているのなら、それは実に危険なことである。我々は常に想定外の事態に晒されており、それに対処する能力がないことを、事前に認めておかなければ、まともな戦略は立てられない。
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東日本大震災:陸自前司令官「日本は終わりかと考えた」
原発事故対応にあたった当時の状況を語る宮島さん=福岡市博多区で矢頭智剛撮影
東日本大震災で、東京電力福島第1原発事故の対応を指揮した陸上自衛隊中央即応集団の宮島俊信・前司令官(58)が、毎日新聞の単独インタビューに応じた。深刻さを増す原発、見えない放射線の恐怖の中で、「最悪の事態を想定し、避難区域を原発から100~200キロに広げるシミュレーションを重ねた。状況によっては関東も汚染されるので、日本は終わりかと考えたこともあった」と緊迫した状況を明かした。
自衛隊が警察や消防などの関係機関を指揮下に置いて任務に当たったのは自衛隊史上初めて。しかし、自衛隊に暴走する原子炉を止める能力はない。宮島さんは「ヘリコプターによる原発への放水は、本格的な冷却装置ができるまでの時間稼ぎにすぎなかった。高濃度の放射能などへの不安はあったが、我々がここまでしなくてはいけなくなったというのは、かなり危険性があるという裏返しだった」と語る。
その上で、「危険に立ち向かってでも事故を抑えるんだという日本の本気度を示す一つの手段だったと思う。あれが大きな転換点となり、米国を中心に各国の積極的な支援につながった。自国が命を賭してやろうとしなければ、他国は助けてくれない」と話した。
一問一答は次の通り。
--原発事故対応の指揮を命じられたのは
◆自衛隊内では3月14日、同20日には菅直人首相(当時)から警察、消防も含めて一元的に指揮するよう命じられた。(1)物資輸送と水の供給(2)原発を冷却するための放水(3)避難民支援や除染(4)ヘリコプターによる放射線測定などにあたった。
--これまで原発事故対応の訓練は
◆まったくしていなかった。あくまでテロなどの備えとして持っていた放射線の知識を流用して対処した。
--被ばくへの恐怖は
◆まったく予想しなかった任務だったので、当初は隊員にも相当な不安があった。現地で指揮を執った副司令官がまず一人で現場に赴き、状況を確認した上で「大丈夫だ」と笑顔を見せた。それで隊員たちも安心し、落ち着いて行動することができた。消防車による放水では線量計の警報が常時鳴っているとの報告を受けたが、それなりの防護をし、放射線量を管理していたので大きな心配はなかった。
--ヘリによる放水を命じられた時は
◆本当にやるのかと不安はあった。高濃度の放射能に加え、5トンの水を上空から落とせば衝撃で第2の爆発を起こすのではとの懸念もあった。危険は分かっていても、ここまでやらないといけないぐらい後がないという判断だった。放水の様子を画面でにらみながら祈り続け、無線で「命中しました」と聞いた時はホッとした。
--最悪の事態を考えたことは
◆部下に知られないよう1人で司令官室の地図に模型を配置しながら、避難区域を100~200キロに広げるシミュレーションを重ね、日本は終わりかと(愕然、がく、ぜん)としたこともあった。我々は「想定外」という言葉を使わない。すべて最悪の事態を考え、想定内に納めておかないと対処できませんから。
--かなりの重圧だったのでは
◆自衛官になって35年間、常に指揮官とはどうあるべきかを自問自答してきた。孤独に耐え、心中は相当に焦っていても悠然とした態度を部下に見せることが非常に重要だと思っている。
--関係機関との連携は
◆東電は情報隠しと責められたが、持てる情報はすべて出してもらったと思う。自衛隊の一元的な指揮は戦後初めてだが、おかげで警察、消防、東電を含め関係機関が一体的に行動できた。ただ、自衛隊は主役ではない。本格的な冷却装置が作動するまでの時間を稼ぎ、政府や東電の判断に余裕を与えるのが役割だった。
--今後の課題は
◆どこまで自衛隊に原発対応を求めるのか明確にしないと教育や訓練ができない。また原子力災害を想定した訓練が各地で実施されているが、これまでは安全神話の下で形式的なものだった。今回の教訓を生かし、実効性のあるものにしなければならない。【聞き手・鈴木美穂】
2011年12月31日
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- 2012/01/02(月) 10:25:35|
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| コメント:1
今の日本では、想定外って私の責任じゃありませんって意味なのかもしれませんね。
自愛と創発を失うと。
- 2012/01/02(月) 22:45:03 |
- URL |
- kadomaysu #79D/WHSg
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