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マイケル・ジャクソンの思想

「家政婦のミタ」とマイケル・ジャクソンの思想(6)

呪縛に対して自分自身が無力であるなら、人間は、一体、どうすりゃいいのであろうか?それには、他者に助けてもらうしかない。しかし、誰でも助けてくれるというものではない。というのも、呪縛に振り回されている奴にお付き合いして振り回されるほど、嫌なこともないからである。たとえば、このドラマではうららがそれを表現している。この呪縛満載の支離滅裂な人が顔を突っ込んでくることを、誰もが嫌っている。それは彼女が呪縛に一方的に振り回されるドジな奴だからである。(おそらく、学校に体育教師として就職できたのは、元校長の父親のコネを利用したからであろう。)

では誰が助けてくれるのかというと、自分も呪縛に振り回されていて、そこから何とかして這い上がろうとしている人である。そういう双方が共に呪縛に苦しみながら、そこから抜けだそうともがいている場合、人は互いを助けあうことができる。互いに呪縛を解きあう、という関係のみが、人を呪縛から救う。

それは、たとえば宮崎駿映画の『ハウルの動く城』に表現されている。この映画については、深尾葉子阪大准教授の優れた論攷があるので、ぜひ読んで欲しい。

http://ricas.ioc.u-tokyo.ac.jp/pub/pdf/nl021.pdf

この映画では、ハウルとソフィーとが、この助け合いの関係になっている。

「家政婦のミタ」では、阿須田家の四人の子どもとミタさんとが、この助け合いの関係になっている。父親やうららは、残念ながらほとんど成長しておらず、子どもたちの成長に助けられて振る舞いが改善しているだけの脇役である。それゆえ両者はこの関係に主体的には参加できていないので、ドラマの主軸はミタさんと子どもだけになる。

両者の助け合いの運動は、以下のようになっていると思う。

子どもの誰かが母親の掛けた呪縛に苦悩する
→錯乱状態になって業務命令を出す
→ミタさんが「承知しました」といってその命令を文字通りに実行する
→破壊的な事態になって大騒ぎになる
→大騒ぎによって隠蔽されていた事実が明らかになる
→子どもたちの呪縛がすこし解ける
→みんながミタさんに感謝する
→ミタさんの心が動く
→死んだ夫と息子との幻影が現れる
→ミタさんが動揺する
→子どもたちが助けに来る
→ミタさんの呪縛が少し解ける

もちろん、厳格にこの運動が繰り返されているわけではないが、物語の全体がこのパターンになっており、そのなかに同じ構造を持った複数の運動が埋めこまれており、それらが相互作用して複雑になっている。

(つづく)
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  1. 2011/12/25(日) 00:00:01|
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