マイケル・ジャクソンの思想

中曽根康弘の2006年3月の東奥新聞へのインタビュー

中曽根が原子力予算を成立させた経緯を語っている記事がヒットした。

「カリフォルニア州バークレーのローレンス研究所にいた、理化学研究所の嵯峨根遼吉博士と会って相談した」「彼は三原則をぜひ守ってくれ、と言った。一つは、長期的展望に立った国策を確立すること。二つ目は、法律と予算でそれを裏付けること。三つ目は、優秀な学者を集めること。いいかげんな学者が群がって来るが、いい学者を入れないと発展しない-と彼は言っていた。私はいい話を聞いたと思って、それを実行したわけだ」

と言っている。「いいかげんな学者が群がって来るが、いい学者を入れないと発展しない-と彼は言っていた。私はいい話を聞いたと思って、それを実行したわけだ」などと威張っているが、笑止千万である。今日の原子力関係学者の顔を見れば明らかだが、

いいかげんな学者が群がって

いる。とんでもなくいい加減な連中である。

=================
http://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2006/nakasone/index.html

2006年3月19日(日)
■中曽根康弘元首相に聞く

連載INDEX
(上)「むつ」廃船/原船離れ 世界のすう勢

 -一九八三年十二月、中曽根首相(当時)は衆院選の遊説先の青森市で記者会見し、「下北半島は日本有数の原子力基地にしたらいい。原子力船母港、原発、電源開発ATR(新型転換炉)と、新しい型の原子炉をつくる有力な基地になる。下北を日本の原発のメッカにしたら、地元の開発にもなると思う」などと発言したが、どんな背景があったのか。

広大な土地と海

 「原子力は日本のエネルギー、生活力を支える非常に大事な要素になると考えていた。電力一つ取っても石炭・石油から脱却しなければならない時代が来る。中長期の原子力開発計画を頭に描いた場合、日本列島の中で原子力の開発センターになるのは、広大な土地があり、海にも面している下北半島だと考えていたから、そのように話した。大体、そういうふうに展開してきたと思う」

 「原子炉は今後、高速増殖炉の方向に発展していく。核融合も最終目標としてある。それと同時に、再処理の問題が出てきて、再処理から派生する射線科学が生まれ、日本、世界に対する発信地になる。そういう可能性を頭に描いて申し上げた。青森県の皆さんには非常に理解していただき、協力していただいた点は大いに感謝している」

 -電気事業連合会が青森県に再処理工場を含む核燃料サイクル施設の立地を要請するのはメッカ発言の翌年の八四年四月だが、事前に水面下の動きを把握していたのか。

 「もちろん、そうだ。恐らく、原子力の将来を考えている、いろんな事業体が立地問題を考えていたと思う。発電所の立地点は電力需要地との関係もあり、全国に分散しているが、原子力の中心になる再処理事業まで含む中枢センターというのは全国に一カ所程度だ。それはやはり、下北半島だとにらんだし、その通りになったと思う」

 -茨城県東海村に続く第二の原子力センターが必要ということか。

 「東海村は広さに限度がある。東海村は日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)を中心に発展していくべきものであって、実用炉および実用炉から出てくるいろいろなものの処置・研究は東海村だけでは手に負えない。何しろ狭すぎる。そういう点から、実用炉を中心とする次の基地となるのは下北半島だと考えていた」

 -メッカ発言については、青森県関係者からの働き掛けもあったのか。

 「それはない。全然ない。むしろ、あの当時の世論からすると、迷惑な発言だと受け取られる危険性の方が強かったと思う。しかし、安全性については私は確信を持っていた。だから、今後展開していくとみていた。安全性に不安があったら、そんな発言はできない」

地域の理解重要

 -原子力に比較的寛容な土地柄であることも考慮したのか。

 「そうだ。それでも実際問題としては、いろいろな問題で青森県知事の承認を得るのに苦労してきた。地域住民との話し合いによって、施設の安全性を確認してもらうことが推進力になる。科学的に立証された材料を提供しながら説明をし、了解を得ることが大事だ」

 -青森県とのかかわりが深い原子力事業に、原子力船「むつ」がある。「むつ」は放射線漏れトラブルの後、自民党「原子力船を考える会」で廃船論が急激に高まり、自民党科学技術部会は八四年に「開発中断」との結論を出し、国策だと思っていた青森県民を驚かせた。

 「(原子力船にしようと考えていた)砕氷型巡視船『そうや』の実験が必ずしも成功していなかったことが大きい。世界各国の原子力船開発に対する意欲も薄れていた。ソ連が砕氷船を運用していたほかは、潜水艦や航空母艦として導入されていたぐらいだ。費用の問題や、住民の反応を見て各国とも民間用としては手控えてきた。商業用船舶に使われる可能性が世界的に少なくなった。日本も世界的すう勢に従わざるを得なかった」

 -原子力船の誘致による地域振興を願っていた地元関係者には、原子力開発に熱心な中曽根首相(当時)なら廃船論を抑えてくれる、との期待感もあったと思う。

 「軍事用には使われるけれども、一般の商船用には使われない。そういう世界的すう勢を見ていたから。日本は世界的な海運国だから、外国と同じペースで進まないと地位が保てない」

 -下北半島が日本のエネルギー政策に果たしてきた役割をどう評価しているか。

 「日本の原子力発展については一番高い貢献をしてもらっている。今後の原子力開発の将来を見ると、下北半島にはまだ余裕がある。施設立地をお願いする前に、国が責任を持って港湾と高速道路の整備を急ぎ、原子力推進に国として力を入れて取り組むことが大事だと思っている」(聞き手=政経部・福田悟)



2006年3月20日(月)
(下)原子力50年/政治の力で利用に道

 -中曽根氏が、昭和二十八(一九五三)年度予算に突然、修正案という形で原子力関連予算を提出したのは、どういう思いからだったのか。

 「五三年、私は米国ハーバード大学の国際研究セミナーに招待され、終了後に米国の原子力施設を視察した。アイゼンハワー米国大統領の『アトムズ・フォー・ピース』(平和のための原子力)という発言が大いに注目を集めたころで、軍事機密を民間に公開していた。米国では民間の原子力産業会議が発足したことも知り、このままでは日本は遅れてしまうとの危機感を抱いた。そこで、カリフォルニア州バークレーのローレンス研究所にいた、理化学研究所の嵯峨根遼吉博士と会って相談した」

 -博士からは、どんな助言があったのか

 「彼は三原則をぜひ守ってくれ、と言った。一つは、長期的展望に立った国策を確立すること。二つ目は、法律と予算でそれを裏付けること。三つ目は、優秀な学者を集めること。いいかげんな学者が群がって来るが、いい学者を入れないと発展しない-と彼は言っていた。私はいい話を聞いたと思って、それを実行したわけだ」

 -当時の学術界の様子はどうだったのか。

 「日本学術会議の茅誠司会長、伏見康治さん(大阪大学教授)らが原子力研究の承認を得る動議を出しては、ことごとく否決され、動きがとれなかった。そういう状況を見て、政治で壁を破る以外にないと決心した。事前に情報が漏れると反対運動が起きるから、川崎秀次君、桜内義雄君、稲葉修君ら同志にだけ極秘に相談した。私は予算委員会の筆頭理事を務めていたが、党幹部に前日に相談し、予算案が予算委員会を通過する直前に修正案として出した」

党派を超えて

 -修正案提出は各界に衝撃を与え、大騒ぎになったとか。

 「当時、私は改進党に所属していた。予算案を組んでいた自由党は小憎らしいと思っただろうが、反対するわけにもいかない。改進党が賛成しなければ、予算案が通らない状況だったからだ。短時間の仕事だったからうまくいった。成立した原子力関連予算は、原子力平和利用研究費補助金二億三千五百万円とウラニウム資源調査費千五百万円だった」

 -翌五五(昭和三十)年にはジュネーブで第一回原子力平和利用国際会議も開かれた。

 「会議には日本も代表団を送った。工業技術院長の駒形作次博士が団長で、私と自由党の前田正男君、社会党右派の松前重義君、同党左派の志村茂治君の四人が顧問として同行した。議長はインドのバーバー博士。インドの原子力開発がかなり進んでいることが分かったし、世界の原子力情勢も知り、日本も早く取り組まなければいけないと感じた。会議終了後、四人でフランス、ドイツ、イギリス、米国を回って原子力施設を視察したほか、政策を子細に調べて、道中、四人で議論をした。羽田空港に戻る前には日本の原子力政策の要綱を作り上げた」

 「帰国後は、超党派で原子力合同委員会をつくり、私が委員長になり、原子力関連法を制定した。原子力基本法、原子力委員会設置法など八法案を一つの国会で通した。これは超党派で取り組んだ結果だ。与野党とも世界の進運に遅れてはならない、との切迫感があった。それが原子力推進の大きな力になった」

 -原子力基本法の施行から半世紀がたち、国内では五十五基の原発が運転し、電力供給の三割を賄うまでになった。

 「今後もさらに動力炉の改善が進んでいくと思う。プルサーマル(軽水炉でのプルトニウム利用)、高速増殖炉といった技術的進歩に取り組んでいかなければならない。ナトリウム漏れで停止したままの高速増殖炉原型炉『もんじゅ』についても事態を改善して前進させる段階になってきた」

 「米国は原子力開発を一時ストップしていたが最近、ブッシュ政権が日本やフランスに追い付こうとして、再処理まで含めて動きだした。米国では既に百基以上の原子炉が動いているから、追い付くのも早い。ドイツ人は用心深いために遅れているが、フランスはもう十分な発展を遂げ、実績を積んでいる。英国も進んでいる」

地域の理解大事

 -原子力関係者や立地地域に望むことは何か。

 「新型原子炉開発、廃棄物処理、放射線の多目的利用をさらに前進させる段階になってきた。石油が高騰して(資源小国の)日本は原子力開発が一番必要な状況になってきている。米国ですら今、慌てて再開し始めたのだから。原子力推進のためには、やはり(地元住民と)話し合い、理解を得ることが大事な要素だ。分からない分野だから(不安を抱くのも)無理もない。日本の原子力施設は震度6ぐらいでも問題ないような耐震構造にしてあるため、費用はかかるが、それでもやらざるを得ない状況だ」

 -エネルギー政策に関する小泉純一郎首相の発言はあまり聞かない。

 「小泉君は集中主義で、道路公団と郵政の民営化問題から目を離さない。しかし、政治で一番大事なのはエネルギー政策、それと科学技術だ」(聞き手=政経部・福田 悟)
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  1. 2011/07/15(金) 15:59:33|
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