最後に、香山氏はなぜ、あのようなブログを書いてしまったのか、考えたいと思う。
香山氏の当初の考えでは、彼女は「脱原発」であって、その動きを加速させるための議論を書こうとした。ところが、調べる過程で、原発をめぐる知識の体系に魅せられていって、心が動いてしまった。
原子力発電所の爆発という恐るべき事実世界の露呈と、小出裕章という真の仮面ライダーの出現は、このような仮装された人格に、強い衝撃を与えたのであろう。この衝撃を香山氏が正面から受け取っていれば、「大人の世界」を離脱して「事実の世界」と踏み込むスペクタクルが展開するはずであった。
ところが香山氏にはその勇気がなかった。そこで、この心の動きを抑えこむために考え出した答が、
「知的レベルが高く、情報収集に熱心で、いまの世の中の趨勢を注意深く見ている人」、「特に、これまで一般社会にうまく適応できなかった、引きこもりやニートといった人たち」がハマっているような、そういう子どもじみた逃避的感覚なのだ。
と自分に言い聞かせて、そこから離脱する道だったのであろう。このような考えに彼女が至ったのは、
「会社人間としての振る舞いや低俗なオヤジギャグに会話を合わせることに耐えられません。薄汚いごますりや打算、好きでもない商品を売ることに対して、強い欺瞞を感じ」、
「『食っていくためには、嘘もつかなければいけないときもある』大人が発するそんな言い訳めいた言葉に、かえって嫌悪感を強めており」、
「自分がやりたくもないことを、社会をまるでわかっていないような頭の悪い人たちと一緒にやりたくない。劣等感と優越感がない交ぜになったような、一面では純粋な理想主義者」
と描写されるパーソナリティが、まさしく、香山リカ氏本人のそれだからなのだと思う。
香山氏は、そのような傷つきやすい弱い心を押し隠し、
「『自分はどうせ受け入れられない、というのは、自分の思い込みに過ぎない』という思い込み」
の力によって、世間に漕ぎ出して、グイグイと押し進んできた、そういう人物なのではないかと思う。
一連のツイッターで私が、香山氏のことを「愚か」だと言ったのは、いま思えば、彼女が真実と出会いながら、それを奇妙な屁理屈で回避したことを指していたのだ、と思う次第である。これこそ、悲劇である。
(了)
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- 2011/07/15(金) 12:00:00|
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