昨日、少し書いたら、意外に反響が大きかったので、最初の記事をより詳しく分析することにした。
【小出裕章氏が反原発のヒーローとなったもう一つの理由】
というブログである。
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原発問題に過剰にのめり込んでいるのは
一般社会に強い欺瞞を感じた人たち
震災や原発事故を「まるでなかったかのように」して、3.11以前の生活に戻ってしまおうとする人が増えています。そして前回お話ししたように、現代社会は「被災者支援を持続させられない」社会になっています。
その一方で、ネットの世界を中心に、原発事故にのめり込んでいる人たちがいます。
彼らの多くは、知的レベルが高く、情報収集に熱心で、いまの世の中の趨勢を注意深く見ている人たちです。
特に、これまで一般社会にうまく適応できなかった、引きこもりやニートといった人たちがその中心層の多くを占めているように見えます。
彼らは、企業社会やアルバイト先で、会社人間としての振る舞いや低俗なオヤジギャグに会話を合わせることに耐えられません。薄汚いごますりや打算、好きでもない商品を売ることに対して、強い欺瞞を感じている人たちです。
「食っていくためには、嘘もつかなければいけないときもある」
大人が発するそんな言い訳めいた言葉に、かえって嫌悪感を強めています。
彼らには生活能力がなく、結局は親がかりです。
しかしながら、自分がやりたくもないことを、社会をまるでわかっていないような頭の悪い人たちと一緒にやりたくない。劣等感と優越感がない交ぜになったような、一面では純粋な理想主義者たちなのです。
そんな彼らが原発問題にのめり込んでいます。そして、「神」として崇拝しているのが、いま反原発で最も注目されている小出裕章氏です。
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この文章はすでにかなり気持ちが悪い。私にとって何よりも気持ちが悪いのは、
「知的レベル」
という言葉である。聞いただけで虫唾が走るこんな言葉を平気で使う神経がわからない。この言葉の使い方だけで、著者の「知的レベル」がわかってしまう。それから、
「情報収集に熱心」
という言葉も不快である。著者もまた情報収集に熱心なのであろうか。それから、
「世の中の趨勢」
という言葉も腹が立つ。著者もまた、世の中の趨勢に敏感に反応してうまく立ち回っているに違いない。しかも、こういった言葉は、いずれも肯定的に使われているようである。
「一般社会」
という言葉も不気味である。なんなんじゃそれは。おそらくその意味は、
個人ではなく会社人間として振る舞い、
低俗なオヤジギャグに会話を合わせ、
薄汚いごますりや打算にあけくれ、
好きでもない商品を売り、
食っていくためには、嘘もつかなければいけない
ような社会なのであろう。
なんとも通俗的でステレオタイプの社会観であることか!!
確かに世の中、そういう面がある。しかし、それだけで動いているのではない。そんなものだけでは、人間は生きていけない。そうではなく、懸命に生きる人間の姿があるから、「一般社会」は存続している。
「いえいえ、私はそういうことを言ってるのではなくて、ニートや引きこもりの人が、一般社会をそういう風に見ているんだ、と言っているのです!私が一般社会をそう見ているのじゃありません!!」
と言うかもしれないが、もしそうなら、その主張の根拠を示してほしい。どうせ示せないだろう。なぜなら、それは、この著者の思い込みに過ぎないからだ。
それから、
「純粋な理想主義者」
という言葉も吐き気がする。どういう奴が純粋な理想主義者かというと、一般社会を見下して、傷つくのを恐れてブラブラしている連中なのである。そんな連中は、「純粋」でもなければ「理想主義者」でもない。ただの弱虫である。
もしもネットで原発問題を論じている人々が、こんな弱虫どもが中心だというなら、即刻やめたほうがいいだろう。どうせ碌なことにはならない。
しかし、実際にネットの原発論議を見ればわかるが、そんなことで原発問題が論じられているのではない。なぜネットで多くの人が原発問題を論じているのか。その理由は、
メチャメチャ怖いからである。それから、
東電も政府もマスコミも、滅茶苦茶してるからである。こんなとんでもないものを見たら、普通の人間は、発狂しそうになる。そして、何が起きているのか調べようとするし、どうしたらいいのか考えようとするだろう。そういう一般社会に住む普通の人間の普通の反応が、昨今のネット上での原発論議なのだと私は思う。
それがどういうわけか、香山氏の脳の中では、
知的レベルが高く情報収集に熱心で、世の中の趨勢を傍観し、一般社会を見下しておりながら、財布は空っぽのすねかじりの弱虫が、暇つぶしにネットで「反原発」にのめりこんでいる
というように見えるらしい。いったい、どういう目玉をしているのだろうか?
(つづく)
追記:コメントで警告いただいたので念の為に書いておきたい。私は、「ニート」や「引きこもり」の状態になっている人々が「一般社会を見下して、傷つくのを恐れてブラブラしている連中」だとは思っていない。香山氏の言葉を解釈するとそうなる、と言っているのである。
私の考えを書いておけば、どこにでもそういう弱虫はいる。というより、誰もが、そういう弱虫を自分の中で飼っている。この弱虫を手懐けるのは難しい。
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- 2011/07/07(木) 11:44:44|
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| コメント:2
こんにちわ。初めてコメントさせていただきます。
香山さんはニートの人たちも侮辱しています。彼らは、「驕った弱虫」ではなく、自分の生きていく場所を見つけようと苦しみ、格闘しています。この「自己責任」の日本で、だれが、安穏として「親がかり」の生活ができますか?
香山さんは、「学者」として、通り一遍の「原発」解釈をしたくなく(目立ちたい)、自分の専門領域にひきつけ陳腐な解説で、墓穴をほった俗物ではないでしょうか。小出氏もニートも、そして「反原発」も自己顕示のためのレトリック…真摯な思考の形跡なし。
- 2011/07/07(木) 15:04:04 |
- URL |
- coucou #79D/WHSg
- [ 編集 ]
>coucouさん
私の書き方が悪いところに気づいたので、上に追記しました。ありがとうございます。香山氏の有様は、そういう感じだと思います。
- 2011/07/07(木) 15:18:53 |
- URL |
- 安冨歩 #79D/WHSg
- [ 編集 ]