マイケル・ジャクソンの思想

傍観者について:渡邊芳之教授のツイッターから

@ynabe39 反原発派は自分以外はみんな安全デマを信じていると思い込んでいるようだし,反反原発派は一般の人がみな原発の恐怖系デマを信じかねないと危惧しているように見える。
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というツイッターを見て、私は何か強いものを感じて、以下のように反応した。


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anmintei 安冨歩 @
傍観者の立場に自分をおいて、高みの見物を決め込んでいるように見えます。 @ynabe39 反原発派は自分以外はみんな安全デマを信じていると思い込んでいるようだし,反反原発派は一般の人がみな原発の恐怖系デマを信じかねないと危惧しているように見える。
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実は、この方がどなたか存じ上げなかったのだが、あとで見たら渡邊芳之氏という帯広畜産大の教授で心理学者であった。それに対して、以下のようなやりとりが続いた。

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私がですか? でもこの問題でどちらかの立場に必ず参加しなければならない理由があるでしょうか? RT @anmintei: 傍観者の立場に自分を於いて、高みの見物を決め込んでいるように見えます。 

hara8so はらや まこと
そう。立場を決めなきゃならない世の中が嫌だ。中庸。“@ynabe39: 私がですか? でもこの問題でどちらかの立場に必ず参加しなければならない理由があるでしょうか? RT @anmintei: 傍観者の立場に自分を於いて、高みの見物を決め込んでいるように見えます。

@anmintei: @hara8so 安冨歩
中庸と傍観は違います。

ynabe39 渡邊芳之
どうも「傍観者」とかいった言葉の悪いイメージにとらわれて,傍観そのものを悪いことのように考えているように思います。問題や状況の性質によっては傍観するほうが自分にとっても相手にとってもよい結果になることはいくらでもあります。 RT @anmintei:
3時間前
»

ynabe39 渡邊芳之
私は傍観ではないとも言っていません。なぜ傍観ではいけないのか,なぜこの問題で2者のどちらかの立場を選択せねばならないのか,と言っています。 RT @anmintei: @hara8so 中庸と傍観は違います。
3時間前 お気に入り リツイート 返信
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なぜ私がこんな反応をしたのか考えてみた。私の考えの前に、渡邊氏の発想を整理しておく。氏は、

・「傍観」は悪いことではない。
・「傍観」の対立概念は、「立場の選択」である。

と考えておられる。これは根本的な問題に触れるテーマである。

最初に私は、

(1)「傍観」しないなら、「立場を選択」しないといけない

という考えが間違っていると考えている。そもそも、

(2)「立場」という考え方が間違っている

と考えている。「意見」と「立場」とは違うのである。意見というのはそれぞれに違うもので、たとえ「原発は廃絶せよ」という人が二人いても、意見は違う。たまたまこの質問に対しては、同じ応えをする、ということである。

私が、「傍観」として批判したのは、そういった多様な意見を持つ人々を、ある一つの質問に対する応えに応じて、

「反原発」
「反反原発」

というように勝手に「立場」として分類する態度である。こういう態度は、失礼というものだと私は感じる。

その上、そういうふうに二つの「立場」を勝手に実体化した上で、

「 反原発派」は自分以外はみんな安全デマを信じていると思い込んでいる
「反反原発派」は一般の人がみな原発の恐怖系デマを信じかねないと危惧している

と、その属性を設定して見せる態度は、更に失礼である。私は、原発は廃絶すべきだと考えているが、自分以外はみんな安全デマを信じていると思い込んでなどいない。それゆえ、このようなレッテル張りを拒絶する。

また、この態度は、自分を「傍観者」という安全地帯に置いているという点でも問題だと考える。とはいえ、「反原発」か「反原発」か、どちらの「立場」をとれ、と言っているのではない。「原発をどうすべきか」という問に対して応えられないという状態であっても、それはそれで一つの意見なのだから構わない。「どちらが良いか、よくわかりません」と言いながら、発言するのも、それなりの発言である。

しかし、この問から自分を切り離した上で、その問を巡ってさまざまな意見を出している人々を、外部から観察して分類し、属性を当てはめて解説してみせる、という態度は、発言している人々に対して失礼である。それゆえ私はそれを「傍観」と呼んで批判する。

「傍観者」は失礼なばかりではなく、破壊性がある。「傍観者効果」というやつである。意見を表明せずに傍観している人間がいると、人々が意見の表明をしにくくなるのである。

しかも、現在の原発をめぐる問題は、対等な二つの見解の対立ではない。原発を推進している側は、暴力と既成事実と利権とで武装した権力である。それに反対する見解は、それを表明するだけで勇気がいる。この状態を傍観し、勇気をもって論戦に参加している人々にレッテル貼りして茶化す行為は、発言者に圧力を加え、権力に加担していることになる。

もちろん、「こういうことになっているのではないか」という形で状況に割り込み、それを変化させようという態度は、傍観ではない。もしかするとそれは「中庸」かもしれない。渡辺氏がそのような態度をとって割り込まれるなら、私は傍観者だとは言わない。

以上のように考えて、私が鋭く反応した理由がわかった。これは「東大話法」によくある態度の取り方なのだ。渡邊氏は東京大学とは何の関係もお持ちでないようであるが、東京大学関係者は、頻繁にこういうスタンスをとって、「傍観者」として自分を安全地帯に置いて、発言だけするのが得意であることを思い出した。

【東大話法規則】自分を傍観者の立場に於いて、発言者をレッテル貼りして実体化し、属性を勝手に設定して、解説する。
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  1. 2011/05/17(火) 17:49:58|
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