元自動車エンジン技術者で、現在は環境と技術について研究しておられる石田靖彦さんから、以下のメールをいただいた。極めて重要な論点なので、ご紹介しておきたい。
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今朝の新聞によると、全国の原発地域ではいまだに「経済的見返り」のために原発を許容する声が高いようです。福島原発周辺の人々も、原発を受け入れたのはお金のためです。結局、お金のために将来世代の安全も、自分達自身の魂も売ってしまったのです。始めから反対し続けた人だけが本当の被害者で、補償金など原発で潤って喜んでいた人たちは本当の被害者ではなくむしろ加害者です。企業や政府や学者に簡単に誤魔化されたのも、金に目がくらんだからでしょう。
結局、お金が人間をダメにしてしまったのです。そのお金も必要以上の贅沢や浪費のためで、本当は大して必要ないお金だったと思います。
いくら安全な原発を求めても、或いは脱原発を叫んでも、物やお金への執着を捨て、つつましい生活に戻ろうとしない限り、社会の破滅は免れないことが、ますますはっきりしてきました。物やお金への執着が人や社会をダメにすることは、ずっと昔から、多くの賢人達が唱えてきたことでした。
小出先生達のような、不遇にも屈せず、真の学者らしさを貫いている原子力専門家がいたことは、救いでした。「助教」という肩書がいまや勲章のように光って見えます。学問にごまかしはきかないものだということがはっきりし、心では反対しながら体制に流れてしまった多数の学者や専門家達、更には若い研究者達に、勇気を与えてくれたのではないかと思います。きっとそうあってほしいと祈っています。
石田靖彦(4月18日)
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戦争時代のような言論統一がやってきました。
福島から避難してきた人の放射能検査をしたつくば市等に対して非難の声が上がっています。枝野官房長官も明らかに過剰反応だといっています。
しかし、放射能物質に汚染されているかも知れない人の放射能検査をしたというだけで、あたかも人道に反するような非難の仕方をするのは大いに危険を感じます。
福島から避難してきた人の中には、地震や津波で家を失った人もいるでしょうが、放射能汚染地区のために避難してきた人たちも大勢いるはずです。汚染度が高ければ、接触する他人に影響を与える心配があります。満員電車に乗ったり、衣服に付いた放射性物質を他人、特に乳幼児が吸い込んだりすれば、大変です。また、放射能検査をするのは、本人にとっても有益で、もし高ければ衣服を替えるなどの処置も取れます。
汚染度が小さくても受け入れなかったり、測定場所がないのにただ追放するだけなら、人道に反するでしょう。しかし、測定場所も用意し、測定結果が高かった時に適切な対応ができるようになっているならば、測定すること自体は決して非難されるべきではないと思います。
放射能汚染地区の住人や、農業、漁業の人達の、できるだけ汚染の程度が低くあって欲しいという気持ちは十分理解できますが、それが高じて、安全上心配があると公言する人を非難したり、測定すること自体を抑えようとする傾向が感じられます。報道や政府もそれを助長しています。これでは、原発が100%安全だと言いまくり、危険性をとなえ、事実を明らかにしようとする人たちを迫害してきた今までの原発推進側の体質と全く変りありません。人間の放射能検査はけしからんというのは、人権主義に名を借りた言論統一です。
福島市では今でも1.5μSv(市役所)というかなり高い環境放射線量で、最近はこの水準からほとんど下がりません。これを1年間浴び続けると13mSVになります。学校の放射線量基準が3.8μSv/hとされ、これは年間20mSvを目安に決められたそうです。いままでの、一般人の基準年間1mSvの20倍もの量で、放射線を扱う専門家の基準量です。福島には、この基準が高すぎると考える先生方や、今の環境放射線量がまだ安心できない高水準にあると考える人がいないはずはないと思います。その人達が何の圧力も感ぜずに自分の意見を自由に述べられるようになっているのでしょうか。
石田靖彦 (4月20日)
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- 2011/04/20(水) 22:44:38|
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最初のメールについて。
ガンディーの言う「非暴力」は「欲望の制御」でした。つまり、「暴力」とは「欲望を制御しないこと」(安冨先生には、釈迦に説法ですね!)
子供の頃、両親が「お金ほど汚いものはない」と言ってたその意味がよくわかりました。
2つ目のメールについて。これは、ものすごく重要!! どこかで読んだ「自粛/不謹慎反対運動」と同じくらい、重要です!!
先生、まだまだのんびりできないみたいですが、どうぞご自愛ください。
- 2011/04/21(木) 09:18:08 |
- URL |
- まゆまゆ #79D/WHSg
- [ 編集 ]
小出先生、昨日は「みのもんたの朝ズバ」に出演されたらしいし、今日の「日経新聞」にもコメントが引用されてました。ホンの僅かですが、漸くメディアも普通の言葉を使い出すケースが出てきた気がします。
今回感じているのは、記者の名前を書いた記事や社説の方が、比較的バランス良い意見になっているケースが多く、無記名記事が「大本営発表」であること。
あらためて新聞記事は全て記者の名前を明らかにすべきだと思いました。記者の名前の無い記事こそ、まさに「風説の流布」、暴力そのものです。
それにしても福島の子供達が「3マイクロシーベルト/h」以上の環境で学校に通っている記事は気が滅入ります。「東電の計画」では数か月のことなのに、何故わざわざリスクを取らせるのでしょう。折角発表した「計画」、こういう目的でこそ使うべきだと思われます。
- 2011/04/21(木) 14:50:08 |
- URL |
- K #79D/WHSg
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