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マイケル・ジャクソンの思想

福島原発:原発震災

超党派の危機管理都市推進議員連盟の会合で石橋克彦・神戸大名誉教授が講演したそうである。議員は聞くだけではなくて、すぐに行動して欲しい。次の地震がいつ来るかわからないのだから。

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特集ワイド:レベル7の「原発震災」 予想された「想定外」 科学技術過信の果て

 やはり、と言うべきか。巨大地震が引き金となった東京電力福島第1原子力発電所の事故は、国際評価尺度で最悪の「レベル7」と位置づけられた。「原発震災」は、なぜ回避できなかったのか。想定すべき事態が、いつしか「想定外」へと追いやられた背景を探った。【中澤雄大】

 「3・11の地震はマグニチュード(M)9・0。有史以来の地震活動は今後も、まだまだ続く。今の福島第1原発は揺れや津波に全く無防備です。大規模地震が再び起きないことを、ひたすら心をこめて祈るしかない」

 国会で13日開かれた超党派の危機管理都市推進議員連盟の会合。講師を務めた石橋克彦・神戸大名誉教授(地震学)が語る議員らの“想定”をはるかに超えたシナリオに、会場は重苦しい空気に包まれた。「どうして日本の原発は危険で、欧米の原発は安全なのか」。議員の問いかけに石橋氏は「ひとえに日本が地震列島だからです」と淡々と応じた。

 石橋氏は旧建設省建築研究所室長などを経て、阪神大震災の翌96年から08年まで神戸大で教えた。地震に伴う原発事故と通常の震災が複合する「原発震災」を97年から警告し続け、07年の新潟県中越沖地震で東電柏崎刈羽原発が被災してからは、「原発震災の危険性が一層高まった」と指摘していた。しかし、その主張は聞き入れられず、「原子力村」の住人らが「仮想事故」と呼んでいた事態は「現実」となってしまった。

  ■

 「私は『反原発』の立場から、この問題を考え始めたわけじゃないんですよ」。神戸市に石橋氏を訪ねると、意外な答えが返ってきた。阪神大震災で、やはり「起きることはない」とされてきた高速道路の倒壊などが現実のものとなり、耐震工学の安全神話が崩れたにもかかわらず、国の原子力安全委員会は「国内の原発の耐震安全性は損なわれない」とした。「原子力関係者は地震への危機感がなさ過ぎるのではないか」。素朴な疑問がわいた。

 「少し調べたら、あまりにいいかげんで驚きました。調べるほどに心配の種が増える。地震学の専門家として積極的に情報発信すべきだと思って発言したが原発至上主義の時代にあっては、『反原発』のレッテルを貼られただけ。ほとんどの地震学者は無関心を装い、日本列島に原発を造ることには口をつぐむ。最近1年ほどは正直、徒労感があった。でも、可能性があることは、いずれ必ず起きる。こんなにも早く現実になるとは痛恨の極みです」。石橋氏は無念そうに語る。

 50~60年代、「夢の新エネルギー」ともてはやされた原子力。一方、現代の地震学は60年代後半から緒についたばかり。福島第1原発1号機が設置許可された66年は、その足元にプレート境界巨大断層面が存在するなどとは考えられていなかった。くしくも原発建設ラッシュ当時の日本列島は大地震静穏期。激震を経験しないままに原発が増えていった。「95年ごろを境に活動期に入り、鳥取県西部など想定されていなかった地域・規模で地震が発生するようになった。自然は段階を追って、日本人に教えてくれていたのです。07年の中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発で『耐震安全性が実証された』との意見があるが、それは運が良かっただけだ。防災対策で原発震災をなくせないのは明らかで、危険度が高い原子炉から順次止めていくべきです」(石橋氏)

 東北沖の巨大地震については、実は2年前の09年夏、原発の耐震・構造設計に関する経済産業省の審議会で、取り上げられていたのだ。

 独立行政法人・産業技術総合研究所は、869年に起きた貞観地震について調査・研究し、M8級以上で津波による浸水も宮城から福島まで広範囲に及んだことなどが分かった。審議会では産総研活断層・地震研究センター長の岡村行信氏が、貞観地震の「再来」を考慮すべきだと主張したが、「まだ十分な情報がない」とする東電側の反応は鈍く、実際に対策に生かされることはなかった。

 今、岡村センター長は、報道室経由で「今後、客観的な原因究明がなされるので、一科学者としてコメントする立場にない」とするのみだ。石橋氏が言う。「結果的に原発の津波対策は放置された。東電、審議会事務局や原子力安全・保安院などの行政、そして専門家の責任は重大です。超巨大地震が今年あると思わなかったこと自体は仕方がないとも言える。しかし、この地震列島では、いつかそのスキを突かれる。そこに危機の本質が潜んでいるのです」

  ■

 従来の安全審査が全く機能しなかったことに、エネルギー工学に詳しい東大名誉教授、山地憲治・地球環境産業技術研究機構所長は「東電も政府も、シビア・アクシデント・マネジメント(過酷事故対策)が不十分だった」と指摘する。

 過酷事故対策とは、79年の米スリーマイル島原発事故を教訓に欧米で導入が進んだ危機管理概念だ。日本でも想定を超えた事故に、外部電源なしでも作動する原子炉冷却装置などのハード整備とシステム運用などで対処できるようにしたはずだった。しかし、今回の事故では大津波ですべての電源が失われ、冷却できなくなり最悪の事態を招いた。

 「プラント設計の問題というより、炉心損傷に至らないためのアクシデントコントロールができなかったのが問題なのです。(地球温暖化対策として)エネルギー基本計画で二酸化炭素を出さない原子力の拡大を掲げるなか、日本の原発の設備利用率(稼働率)は世界で2番目に低い。これを高めようと官民ともに努力を集中する一方で、過酷事故が発生した際にどう対処するかの訓練・準備が不足していたのでしょう」

 山地所長は、そう分析し、「格納容器内の水蒸気を放出するベント作業や海水注入のタイミングの遅れが議論されているが、民間会社の東電は廃炉にした場合の株主への責任など経営責任を考える。最後はやはり、国の判断が重要なのです」と、緊急時における政府の責任に言及した。

 吉村昭の秀作に「海の壁」(後に「三陸海岸大津波」と改題)がある。明治以降、繰り返し襲った三陸海岸大津波の貴重な記録文学。住民は津波を「ヨダ」と呼び、恐れた。湾の奥をせり上がった波が<50メートルの高さにまで達したという事実は驚異だった>。1896(明治29)年の大津波を経験した高台に住む古老の証言に、作家は驚きを隠せないでいる。

 人間の英知を超えた自然の猛威には、なすすべはない。今回の事故で歴史に謙虚に耳を傾け、科学技術を過信しない姿勢が改めて問われている。

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t.yukan@mainichi.co.jp

ファクス03・3212・0279

毎日新聞 2011年4月18日 東京夕刊
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  1. 2011/04/18(月) 16:04:49|
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