原子力発電とオカルトとは、同じ論理構造を持っている。それが私の結論である。以下にその理由を説明する。
原発に反対する人々のなかには、物理法則を無視するオカルト好きの人が結構いる。原子力などに依存しなくとも、エネルギーは無限に調達することができるのだ、というのである。そういう技術があることが知られると、資本家が利益を挙げられなくなるので、封殺されているに過ぎない、あるいは軍事的な理由で秘密にされている、というように議論が進む。
実際、過去にもたとえば、アラン・チューリングが開発した世界初の電子計算機は、チャーチルが戦後にも軍事機密にしたために、イギリスはコンピュータ産業の主導権をアメリカに奪われてしまった、というような事例がある。意味のある技術が、「一般的でない」というだけの理由で、くだらない技術に抑えつけられている例は無限にある。
しかし、オカルト好きの人たちが望むように、人類が直面する様々の制約条件を一挙に解放するような技術、というようなものはない。それは無理なのである。特に、エントロピー増大則を否定するような、そういう技術は決して実現できない。
私は、「魂」や「暗黙の次元」や「縁起」というものを前提として学問を構築すべきだ、と主張していて、科学を含めた既存の学問に対して否定的なので、往々にしてこういうオカルト系にも寛容に違いない、と思われているらしい。
しかし、私はエントロピー増大則を思考の基盤に置いている。ついでに言うと、「非線形科学」や「複雑系科学」なども、オカルトに近いと思っている人が多いようだが、それは大きな間違いである。これらは全て、エントロピー増大則の範囲内に入っている。その範囲外のことは起きないのである。
エントロピー増大則とは何か。それは「何をするにしてもエントロピーというゴミが出るの法則」とでも思えば良い。何をやっても、どんどんゴミが出てきてしまい、ついにはできなくなってしまうのである。それゆえ、何かをやり続けようと思ったら、出てくるゴミをなんとかしないといけない。このゴミ処理問題こそが、生き物が生きる上で、最大の問題なのである。
我々が食事をするのも、排泄物や熱と共にこのゴミを捨てるためである。あるシステムが作動を継続するためには、その作動から生じるエントロピーを捨て続ける必要がある。捨てられなくと、システムは停止する。
我々がエントロピーを捨てると、外にそれが溜まる。地球の表面だって有限だから、溜まり続けると作動を止めてしまう。では地球表面の作動がなぜ止まらないかというと、水の対流を通じて、宇宙にエントロピーを捨てているからである。この理屈を発見したのは
槌田敦という日本の物理学者である。
(つづく)
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- 2011/04/09(土) 01:20:00|
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