さきほどの記事でIAEAの考えに、希望的観測は入っているだろうが、と書いた。どういう希望的観測が入っているのか、あのあと考えた。本当は、もう考えたくないのだが、どうしても考えてしまう。考えた結果、やはり疲れた。
どういう希望的観測かというと、事故の連鎖的拡大が起きない、という前提で話がなされているのだ。
(1)たとえば、局所的だが、決して小さくはない再臨界が1号機で起きたとしよう。
(2)爆発は起きない。
(3)しかし、放射性物質の放出が急激に増える。
(4)たとえば圧力容器の破損が拡大する、ということは十分ありうる。
ここまではIAEAの言うとおりである。話はここから先が、気分が悪くなる。
(5)すると、大量の放射性物質が周辺に散布される。
(6)1号機周辺の放射線量が高くなる。
(7)作業を中断せざるを得なくなる。
(8)格納容器やプールへの注水が中断する。
(9)長時間、接近できない状態が続く。
(10)炉心がむき出しになる。
(11)溶解が進む。
(12)また再臨界が起きる。→(3)に戻る。
ということになって、
(13)そのうち1号機は、暴走する。
(14)放射線量が極めて高くなって、発電所全体から、全員撤退することになる。
(15)全ての格納容器、プールへの注水が中断する。
(16)全ての原子炉が暴走する。
となってしまうのだ。
マッチポンプの冷却が安定に継続できる、という前提を置いて話をするのはやはり問題である。この連鎖的拡大が起きる可能性を考えて、小規模の再臨界が起きても、どこかで止める体制を急速に確立しなければダメなのだ。
なぜそれをやらないで、プラスチックで固めるとか、シートを被せるとか、被害の補償だとかいう、あたかも危機が過ぎ去ったかのような話が先に出てくるのか、私には理解できない。これもまた、安心安全の雰囲気を創りだすための策動なのであろうか。
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- 2011/03/31(木) 17:02:03|
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