昨日、作業員の深刻な被曝事故があった。理由は、
「作業を開始してからアラームが鳴りましたものの、故障と思って勘違いをしてしまって、作業を継続してしまったということでございます」
というものである。東京消防庁のハイパーレスキュー隊は、放射能の恐ろしさを熟知し、心のそこから恐怖しつつ、冷静な思考によって立案した対策によって安全を確保して、恐怖心を克服して作業した。これに対して原発の作業員は、「安全神話」に依拠しつつ、「大丈夫だろう」という思い込みによって作業していることが明らかとなった。
平岡憲夫氏の『原発がどんなものか知ってほしい』によれば、
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原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。
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ということが行われているそうである。こういう風になっていなければ、あれだけの事故が起きている現場で、「アラームがこんなに早く鳴るはずがない」と思い込むことは無理であろう。
二番目に引用した記事に出ているように、安月給の下請け会社の社員までがこのひどい事態に立ち向かっている理由は、
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断ったら後々の立場が悪くなるというか。今の会社で、またこういう仕事を続けていきたい気持ちなんで、少しでも協力し、会社の指示にできることは従って(やっていきたい)
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というものである。日本社会は、「人間」ではなく「立場」から出来ている、というのが私の説なのだが、それを立証してくれる証言である。「立場」上必要があれば、原発事故現場にでも行くのである。この心情があればこそ、事故対応が続けられているのであるが、この心情があるから、こんな事態にもなるのである。というのも、原子力安全欺瞞言語を使って喋っているのは、「人間」ではなく「立場」だからである。
3つ目に引用した記事で東電社員の家族は、
「いま体を張っているのは、家庭を持つ、普通の市民であることもわかって欲しい」
と言っている。その通りである。最初からそのことに、気づくべきだったのである。普通の市民に、原発などという危険なシステムを運営できはしないのであるから。そんな無茶ができるのは、「普通の市民」ではなく、「立場」の集合体である。このことを意味を我々はしっかりと認識しなければならない。
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福島第1原発3号機・作業員被ばく事故 線量計のアラームを誤作動と思い込み作業
フジテレビ系(FNN) 3月25日(金)6時31分配信
福島第1原発の3号機で24日、3人の作業員が被ばくした事故について、東京電力は、3人は線量計のアラームが鳴っていたにもかかわらず、誤作動だと思い込み、作業を続けていたと説明した。
25日午前4時半ごろ、東京電力は会見で「作業を開始してからアラームが鳴りましたものの、故障と思って勘違いをしてしまって、作業を継続してしまったということでございます」と話した。
東京電力によると24日、3号機のタービン建屋の地下でケーブルの敷設を行っていた協力会社の男性作業員3人から、17万3,000マイクロシーベルト~18万マイクロシーベルトの高い放射線量が確認され、このうち2人は「ベータ線熱傷」の可能性もあるとして、病院に搬送された。
東京電力の説明では、この作業現場では前日、放射線量が低かったため、3人は事故当日、線量計のアラームが作業開始直後に鳴ったにもかかわらず、「アラームがこんなに早く鳴るはずがない」として、誤作動だと思い込み、高い放射線量の中、作業を続けたという。
東京電力は、今回の事故を受け、現場の環境が変わりやすい状況にあるため、被ばくの可能性が高い現場は、専門の社員を同行させる方針を示した。
一方、東京電力は、作業員が踏み入れた水たまりの放射性物質の濃度が、通常運転中の原子炉内の水が含む量のおよそ1万倍の濃度であることを明らかにした。
水たまりからは、コバルト60、ヨウ素131、セシウム137、セリウム144などの放射性物質が検出されており、1立方cmあたり、あわせておよそ400万ベクレルになるという。
検出されたセシウムやセリウムは、核分裂反応の生成物であることから、東京電力は、高濃度の放射性物質が検出された原因について、燃料が破損して原子炉の外部に流出したためではないかとしている。
最終更新:3月25日(金)6時31分
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福島第1原発:英雄でも何でもない…交代で懸命の復旧作業
災害時のために造られた免震重要棟内の「緊急時対策室」=東電福島第1原発のホームページから
東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発では東電だけでなく原子炉メーカーや下請け企業の作業員らも懸命に復旧作業を続けている。水素爆発や構内火災で一時は約50人にまで減った作業員を、一部の海外メディアには「フクシマ・フィフティーズ」と英雄視した報道もあるが、実際は多くの作業員が交代で危機回避に取り組んでいる。近く現場に入るという下請け会社の30代の男性社員が毎日新聞の取材に応じ「不安はあるが、少しでも(事態の)沈静化に協力したい」と話した。【袴田貴行、日下部聡】
東電によると、原子炉建屋内は20日午前も照明が消えたまま。安全性を考慮して放水時は放水だけ、電気工事の際にはその作業だけを行い、19日現在の従事者は約500人。一方、3号機周辺の放射線量は19日午後2時の3443マイクロシーベルトが、放水後の20日午前3時40分に2758マイクロシーベルトに下がったものの依然高い。20日午前5時現在、以前の制限値だった100ミリシーベルト以上の放射線を受けた作業員は7人。このため東電は交代要員集めを進めている。
取材に応じた下請け会社の30代男性社員は「東電から元請けに話がきて、そこから1次、2次と下請けに要請があった。私も準備が整い次第向かう」という。海外メディアなどの注目については「残っている人がずっと放射線を浴びながら作業していると思われるかもしれないが、実際は法にのっとった管理で人を入れ替えながら作業を進めているので、英雄でも何でもないと思います」と冷静だ。
一方で「不安は当然ありますね。それだけ高い放射線の中でやっているし、現場もどうなるか分からないですから。また爆発が起こるかもしれないし、放射線量が上がるかもしれない。断る選択肢もありますよね。家族からそういうこと言われますけど。すごく難しい判断で、みんな考えていると思います」。
◇「今後も原発で働きたいから」
それでも現場行きを決めたのは「原発の仕事をしてきた職業人としてのプライドより、沈静化した後のこと」だという。「これからもこの仕事で食べていきたいという気持ち。断ったら後々の立場が悪くなるというか。今の会社で、またこういう仕事を続けていきたい気持ちなんで、少しでも協力し、会社の指示にできることは従って(やっていきたい)」と淡々と話した。
現在、現場で作業に携わっているのは東電と子会社の東電工業、原子炉メーカーの東芝、日立のほか、鹿島、関電工やそれらの関係会社など。電源復旧では送電で4社、変電で5社、配電で3社という。地震発生直後に約800人いた作業員は15日の4号機の爆発による退避で一時約50人まで減ったとされるが、それ以降は300~500人で推移。18日に米軍に借りた高圧放水車で3号機に放水したのも、東電工業の社員2人だった。
現在の急務は原子炉冷却に不可欠な電源の復旧作業だが、東電によると、実際に作業できるのは技術を持つ70人程度。しかも高レベルの放射線を長時間浴びるのを避けるため、20人くらいずつ順番に作業せざるを得ない。「真っ暗な中、投光器や懐中電灯を使いながら、防護服と顔を全部覆うマスク、ゴム手袋での作業になる。大変時間がかかり苦労している」(東電の担当者)
作業員の「命綱」となっているのが、原発の敷地中央付近にある免震重要棟だ。07年の中越沖地震で柏崎刈羽原発の事務本館が被災したことを教訓に昨年7月完成した。2階建てで延べ床面積約3700平方メートル。震度7に耐えられる免震構造で、内部には災害時のための「緊急時対策室」が設置されている。
1~4号機の中央制御室は放射線レベルが高すぎて誰もいない状態。普段は緊急時対策室にいる作業員が、定期的に交代で制御室に行き、監視や操作をしている。作業に出る時はやはり防護服を着て現場へ向かい、作業を終えると免震重要棟に入る前に脱ぎ捨てる。大量の防護服が必要とされている。
毎日新聞 2011年3月21日 13時41分(最終更新 3月21日 14時40分)
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原発、過酷な現場 食事はカロリーメイト・椅子で睡眠(1/2ページ)
2011年3月25日8時1分 朝日新聞
福島第一原発の復旧作業から休憩に戻り、線量計の測定を受ける東京電力の作業員=23日、福島県いわき市の小名浜港、河合博司撮影
震災から25日で2週間。東京電力福島第一原発は予断を許さない状態が続く。一方で、現場の作業環境も劣悪さを増している。その一端を、東電社員の家族が明かした。
「睡眠はイスに座ったまま1、2時間。トイレは水が出ず、汚れっぱなし」
今週初め。神奈川県に住む女性のもとに、第一原発で復旧作業にあたっている夫から初めて電話があった。夫は40代、東京本社の原発部門の社員だ。11日の震災発生後からほぼ連日、対応のため会社に泊まり込んだ。16日、ようやく自宅に戻ったが、出勤すると、そのまま第一原発行きを命じられた。
「ヘリに乗る。福島に行く」
こんなメールを最後に、メールも電話もつながらなくなった。
16日は3号機から白煙が上がり、放射線量が上昇。自衛隊は上空からの放水を断念した。東電の会見では、夫の旧知の同僚がつらそうな顔で対応を迫られていた。
「お父さん大丈夫かな」。2人の小学生の子どもも不安を口にした。
夫は原発部門を希望したわけではなかった。理系の大学を出て入社し、「たまたま配属された」。以後、原発の現場と本社勤務を繰り返した。2007年の中越沖地震の際、柏崎刈羽原発で火災が起きた時も現地に2週間ほど詰めた。当時はメールや電話で様子を知ることができたが、今回は音信不通。自衛隊が接近をためらうほどの放射能の中で、「いったいどうしているのか」。
20日、ようやく本社の専用線を経由して自宅に電話があった。「食事は“カロリーメイト”だけ。着替えは支給されたが、風呂には入れない」。あまり感情を表に出さない夫は淡々と語り、2分ほどで電話を切った。
23日の電話では、「そろそろ被曝(ひばく)量が限界のようだ」。交代はまだか。もし夫が健康を害したら、家族はどうなるのだろう。政府に頼りたいが、新聞やテレビのニュースによると、菅直人首相は東電幹部に「撤退などありえない。覚悟を決めて下さい。撤退した時は、東電は100%つぶれます」と怒鳴ったという。不安と、悲しさがこみ上げた。
24日、原子力安全・保安院が、3号機のタービン建屋地下1階で作業員3人が被曝したことを明らかにした。
国民の、電力会社への厳しい視線は理解できる。でも、「いま体を張っているのは、家庭を持つ、普通の市民であることもわかって欲しい」。(佐々木学)
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- 2011/03/25(金) 08:32:42|
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