ハイパーレスキュー隊の活動が成功した。これは、人間側がはじめて収めた大きな成功である。これで敷地内の放射能濃度が下がるように願う。そうすれば活動領域を拡大できる。
記者会見を見れば、彼らの活動が、如何に深い知識と、冷静な判断力と、勇気とによって実現されたかがわかる。富岡豊彦総括隊長は、「長男に、安全が確保されない限り、仕事はしないから、安心して待ってろ、と言って私は家を出ました。」と言っている。正確な知識に基づいて安全を確保し、最大限の貢献をする、ということが、まさに勇気なのである。
読売新聞は、
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佐藤総隊長は「放射能の危険を熟知しているので、恐怖心を克服できた」と述べた。
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と書いているが、これは事実を大きく歪曲している。YouTube では見つからなかったのだが、先程見たNHKニュースで流れた記者会見で佐藤康雄総隊長が言っていたことは、
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「私たちは、普通の人とは違って、放射能について熟知していますので、それゆえ、非常に強い恐怖心を持っています。それを克服して、この任務に取り組みました。」
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というようなことであった。
読売新聞の表現では、佐藤総隊長が、「正しい知識があれば、放射能なんて怖くないぜ!」という無謀者であるということになる。とんでもない侮辱である。意図的に歪めているとしか考えられない。
『論語』に、
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子路曰、
「子行三軍、則誰与。」
子曰、
「暴虎馮河、死而無悔者、吾不与也。必也臨事而懼、好謀而成者也」。
子路曰はく、
「子三軍を行はば、則ち誰と与にせん。」と。
子曰はく、
「暴虎馮河し、死して悔い無き者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成す者なり。」と。
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という対話がある。孔子は
「虎に素手で襲いかかったり、黄河を泳いでわたるような、そんな死んで悔いないような者とは、一緒にやらない。必ずや、事に臨んでおそれを抱き、良く考えて行動する者と一緒にやる。」
と言った。ハイパーレスキュー隊の指導者たちは、まさにそういう人々である。
また、
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子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。
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という章がある。彼らはまさに知者であり、勇者であり、仁者であった。
原子力欺瞞用語を駆使する最低の小人どもが引き起したこの事態を、このように立派な人々の命を危険に晒すことで尻拭いさせるとは、痛恨の極みである。
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東京消防庁放水「恐怖心を克服、プールに命中」
読売新聞 3月19日(土)23時16分配信
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、3号機の使用済み核燃料の一時貯蔵プールに19日未明に放水を行った東京消防庁の緊急消防援助隊の総隊長ら3人が同日夜、東京・大手町の同庁で記者会見を行い、「恐怖心を克服し、ミッションを達成できた」などと振り返った。
会見に出席したのは、現場に行ったハイパーレスキュー隊の冨岡豊彦(47)、高山幸夫(54)の両隊長ら。オレンジ色の作業服姿に黒いブーツを履いた冨岡隊長は大変だったことを尋ねられると、「隊員の士気が高いので……」と切り出し、絶句。しばらく声を詰まらせた後、「家族ですね。本当に申し訳ない。この場でおわびとお礼を申しあげたい」と唇を震わせながら目に涙を浮かべた。
高山隊長は、「(放射能という)目に見えない敵との戦いだった。短い時間で活動を終了するのが大変だった。仲間のバックアップがあったから良かった」と話した。
会見に同席した同庁警防部長の佐藤康雄総隊長(58)の説明によると、同隊はまず、18日午後5時過ぎ、同原発の正門から中に入った。当初の予定では、3号機そばの岸壁から直接海水をくみ上げることになっていたが、がれきや流木が現場に散乱して大型車が通行できなかったため、いったん撤退した。
同日午後11時30分、隊員約40人で再び敷地内に入った。そのうち20人が約350メートルにわたって手作業でホースをつなぐなどし、19日午前0時30分、屈折放水塔車の高さ約22メートルのホースから3号機に向かって20分間、毎分約3トンを放水した。
放水前の現場の放射線量は約60ミリ・シーベルトあったが、放水を終えた段階でほぼ0ミリ・シーベルトに。佐藤総隊長は、「(使用済み核燃料プールに)命中しているなと思った。139人の安全を確保しつつ、連続して大量の水を注入するミッションを達成できた」と笑顔で語った。
2度の活動に従事した約50人のうち、最も被曝(ひばく)量が多かった隊員は約27ミリ・シーベルトで、14~15ミリ・シーベルトが3人、10ミリ・シーベルト以下が45人いた。同庁は原子力災害の現場での被曝量の基準を30ミリ・シーベルトと設定しており、佐藤総隊長は「基準を満たすことができた。放射能の危険を熟知しているので、恐怖心を克服できた」と述べた。活動には、本人が承諾したハイパーレスキュー隊員を充てた。
最終更新:3月20日(日)1時28分
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消防放水「命中を確信」 涙の隊長、家族に陳謝
2011年3月20日5時6分
「非常に難しく危険な任務だった。国民の期待をある程度達成でき、充実感でほっとしている」――。東京電力福島第一原発の冷却作戦で、10時間以上の「連続放水」を成功させた東京消防庁の派遣隊員の一部が19日夜、帰京した。佐藤康雄総隊長(58)ら3人が東京都内で記者会見し、心境を語った。
会見したのは、災害救助のスペシャリストである「ハイパーレスキュー」の冨岡豊彦隊長(47)と高山幸夫隊長(54)。
冨岡隊長は「大変だったことは」と問われると、「隊員です」と言って10秒ほど沈黙。涙を浮かべ、声を震わせながら、「隊員は非常に士気が高く、みんな一生懸命やってくれた。残された家族ですね。本当に申し訳ない。この場を借りておわびとお礼を申し上げたい」と言った。
高山隊長は18日、職場から直接現地に向かった。妻に「安心して待っていて」とメールで伝えると、「信じて待っています」と返信があったという。
佐藤総隊長も妻にメールで出動を伝えた。「日本の救世主になってください」が返事だった。
高山隊長は今回の任務を「目に見えない敵との闘い」と振り返った。注意したのは放射線量。「隊員たちが常に測定しながら安全を確認し、アピールしてくれた。仲間のバックアップがあったから任務を達成できた」と話した。
会見では、作戦の具体的な中身も明かされた。
佐藤総隊長によると、派遣隊は本人が承諾した隊員から選抜された。
原発に入ったのは18日午後5時5分。作戦は当初、車から出ずに車両でホースを延ばす予定だった。8分で設置できる計算だった。だが、海岸付近はがれきだらけ。車が走れそうなルートだと2.6キロあり、ホースが足りない。
一度本部に戻り、安全な方法を再検討した上で午後11時半に原発に戻った。最終的には、途中まで車で延ばし、最後の約350メートルは隊員が車外に出て、巻いたホースを手で延ばし、取水のために海まで届かせた。
ポンプで吸い上げた海水を放つ「屈折放水塔車」を止めたのは、2号機と3号機の真ん中で建物まで約2メートルの至近距離。目標とした、使用済み核燃料が貯蔵された3号機のプールまでは50メートルだった。いつでも退避できるようにマイクロバスを用意し、「特殊災害対策車」も待機した。
翌19日の午前0時半、「白煙の方に向かって」3号機への放水が始まった。
放水現場の放射線量は毎時60ミリシーベルトだったが、放水後はゼロ近くに。「命中している」と確信したという。
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- 2011/03/20(日) 11:48:42|
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