下に添付した読売新聞の記事のように、東電の職員は、とんでもなく危険な状態で作業を強いられている。ある水準を超えてしまえば、全員、撤退せざるを得なくなり、原子炉はやがて再臨界を迎え、メルトダウンする。
毎日新聞(2011年3月15日 20時41分)に以下のような意見が出ていた。前者の言うように、燃料棒の発熱が本当に下がるなら、福音である。しかし本当にそうなのだろうか?「責任」をもってやれば何とかなる、というように読めるのも不気味である。
後者の方が合理的に聞こえる。東電のみならず、全国の原発の技術者を投入して、被ばくを防護できる部屋から何とか操作できるようにする作業を並行して行わないと、原子炉との長期戦を戦えるとは思えない。今のようなマッチポンプでは、原子炉がおとなしくしてくれるような気がしない。
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住田健二・大阪大名誉教授(原子炉工学)は「とにかく水を入れ続けなければならない。あと1~2日も注水すれば、燃料棒からの発熱も減って、今よりも条件が改善される。これ以上の燃料の溶解を防ぎ高い放射線レベルの核分裂生成物も出なくなる。事業者が責任を持って取り組むべき問題だ」と話す。
一方、吉川栄和・京都大名誉教授(原子炉工学)は「原子炉圧力容器に海水を注入する作業は近づいてしなければならない分、(遠隔操作で対応した)米スリーマイル島原発の事故より状況は悪い。作業員の被ばくを防ぐためにも、圧力容器内の水を自動的に循環させるなどの経路を人為的に構築すべきではないか」と話している
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被曝の恐怖、余震…真っ暗な建屋で決死の作業
高濃度の放射性物質の放出が続く福島第一原発。
放射能汚染の恐怖と闘いながら、決死の作業が続く。15日朝に大きな爆発が起きた2号機。東電や協力企業の作業員ら800人が水の注入作業を行っていたが、爆発に伴い、「必要最小限」という50人を残し、750人が一時、現場から離れた。被曝ひばくを避けるため、放射線量が高くなると作業を中断しなければならない。15日午前、隣接する3号機付近で観測された400ミリ・シーベルトの環境下で作業できる時間は15分が限度。津波による被害で、停電も続く。照明がつかないため真っ暗な建屋内で、作業効率はあがらない。余震が続く中、津波警報で作業の中断を余儀なくされることもある。400ミリ・シーベルトを記録したのは、作業員が携帯する放射線監視装置だった。
12日午後、高圧になった1号機の格納容器内の蒸気を逃がすための弁が開放された。格納容器に亀裂が入る最悪の事態はまぬがれた。その弁を開ける作業にあたった男性は、100ミリ・シーベルト以上の放射線を浴び、吐き気やだるさを訴えて病院へ搬送された。
もともと、この作業では、大量の放射線を浴びる危険があった。このため、1号機の構造に詳しいベテラン社員である当直長が作業を担当。「タイベック」と呼ばれる特殊な全身つなぎ服とマスクを身につけ、手早く弁を開けたが、10分超で一般人が1年に浴びてもいい放射線量の100倍にあたる放射線を浴びた。
経済産業省原子力安全・保安院によると、同原発で注水作業に当たる東電職員らは約70人。緊急時対策室でポンプなどを制御しつつ交代しながら格納容器付近の現場で活動している。
中央制御室で監視できる計器も、被災後、故障し計測不能なものがある。遠隔制御も不能で、原子炉冷却のために弁を開く作業も手作業するしかない。福島第一原発は1971年に1号機が稼働した古い原発で、通路などが狭く作業しにくいことも足を引っ張る。
注水が進めば原子炉内の圧力が上昇し、炉の崩壊の危険性が高まるため、弁を開いてガスを外部に放出しながら進めなければならない。ガスは放射性物質を含むため、放出自体は最小限に抑えなければならない。東電の担当者は「バランスをみながらぎりぎりの選択の連続だ」とため息をつく。
(2011年3月15日20時01分 読売新聞)
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- 2011/03/15(火) 22:01:04|
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