睾丸を 握り、腰振り、愛を説く (若村舞光)
この句はかなり真剣に考えて詠んだ。
そもそも掛け軸を書こうと思い立ったのは、☆まみ☆さんのブログで使われていたからである。同じものを頂いて書くことにしたのだが、なんと書いて良いか戸惑い、マイケルの本質を一言で表現するものを書こう、と思った。
そう考えてマイケルの思想を端的に表現している、
レジェンドの受賞演説を参照してみた。この演説の一節を掛け軸にしようかと思ったのだが、一言でその思想の本質を表現するようなものは、見当たらなかった。
そこで立ち戻って考えてみたのだが、マイケルの思想そのものは、特段、珍しいものではないことに思い立った。お天道様の下に新しいものなどない、というラテン語の諺どおりであり、マイケルの思想は過去の様々の偉人のそれと同じことを言っている。偉人どころか、市井の誠実に生きる多くの人々も同じ思想を語ってきた。それを一言で言うなら、
自分自身に立ち返れ!というところであろうか。
そこでこのフレーズを書こうかとも思ったのだが、これだけ取り出してマイケルらしさが伝わるかというと、そうも行かないように感じた。マイケルの思想そのものは非常に立派なのであるが、しかしそれは、マイケルに特別、というものではない。なぜなら彼が語っていることは、人類の普遍的な真理だからである。
ではマイケルすごさはどこにあるのだろうか。それはこの普遍的メッセージを、特別なやり方で伝えたところにある。
「自分自身に立ち返れ」という普遍的真理を直接表現するメッセージは、自分自身を誤魔化して生きている者にとっては、非常に厳しいものである。耳を塞いで聞きたくない言葉である。それゆえ、もしもストレートに表現したら、人々は逃げる。この直接の真理を喜んで受け取る人は、既に真理を知っている人だけである。
つまり、それでは、自分自身に立ち返っている人にだけ通じる、ということになる。
これでは意味がない。
このメッセージは、自分を誤魔化して生きている私のような凡人にこそ届かねばならない。そういう人が受け取り、魂の作動を回復して初めて、意味が生まれる。この凡人が塞いでいる耳をどうやって抉じ開けるか、が一番難しいのである。
マイケル・ジャクソンの凄さは、そこにある。自分自身に立ち返れ、という口に苦い良薬を、美しい音楽、妙なる声、見事なダンス、寸止めのエロチシズムを通じて人々に伝えたことにある。あんなにも魅力的で人々を惹きつけるコーティングを施して、このメッセージを伝えた人は、人類史上、彼だけである。
これが私の考えるマイケル・ジャクソンの偉大さである。
そこで私は、その姿の最もエロチックな場面を考えてみて、そのまま詠んでみたのである。これが、上の句の、
睾丸を、握り、腰振り、
という部分である。そして下の句は、「自分自身に立ち返れ」というメッセージを、論語の忠恕の思想に代表させて、
忠を解く
としてみた。しかしこれでは誰にも意味がわからない。そこで、これを論語の倫理思想全体を表現する「道」という言葉に置き換えて、
道を説く
としてみた。当然ながらこれは、与謝野晶子の
やわ肌の、熱き血潮に触れもみで、淋しからずや、道を説く君
という衝撃的にエロチックな歌を想定している。ちなみに、与謝野晶子のこの歌は、平安女流歌人の熱いエロチシズムの伝統の上に乗っている。たとえばポピュラーな百人一首を見ただけでも、以下のような激しい歌がある。
長からむ 心も知らず 黒髪の
乱れて今朝は ものをこそ思へ
待賢門院堀河
(解釈) 昨夜、一夜を共にしたあなたは、末永く心変わりはしないと言ったけれど、どこまで本気なのか。その心をはかりかねて、あなたと別れた今朝、この乱れた黒髪のように、心もまた千々に乱れ、物思いにふけってしまう。
難波江の あしのかりねの 一夜ゆへ
身をつくしてや こひ渡るへき
(皇嘉門院別当)
(解釈) 難波の入り江に生い茂る葦を刈り取ったあとの根は、わずか一節という短さになる。昨夜私は、葦の刈根を思わせるほど短かくはかない、仮寝の一夜をあなたと過ごしてしまった。そのたった一夜のゆえに私は、「みおつくし」という難波の枕詞のように身を尽くし、一生あなたを恋したいつづけることになってしまったのだろうか。
熱い。とてつもなく熱い。
こんな物凄く熱い歌が、彼女と別れたあと、ケータイに送られてきたら、頭がクラクラするだろう。そういう伝統はどこに行ってしまったのだろうか。
キモチよかった~(^_^;) また来てね (^_^)/~ Love !
などというアホなメールを送っていたのでは、彼氏は逃げるぞ。平安女流歌人に学べ!
閑話休題。
さて、そういうわけで、
睾丸を、握り、腰振り、道を説く
という句をつくってみたのだが、これで私の考えは正確に表現されている。しかし、私以外の人がよんでもおそらく、ピンと来ないだろう。それで誠に残念ながら「道」では意味が通じない、という結論に到達した。そこで考え直したところ、
愛を説く
と言わざるを得ないという結論に到達した。マイケルの思想は、私がどう言い張ろうとも、キリスト教信仰に根ざした、愛の思想である。論語や親鸞やガンディーに似ているとはいえ、仁や念仏やサッティヤーグラハの上に基礎づけられてはいない。
しかしこの愛は、「好き好き~(^^♪」というようなものではない。全身全霊の、宇宙の真理へと通じる、捨て身の覚悟を決めた、強烈な愛である。それは自分自身の感覚に立脚した愛である。決して妥協しない、欺瞞のない、一点の誤魔化しもない、愛である。その深く激しく優しく美しい愛を、
金太郎さんのレオタードを着て、
睾丸を握り締め、
腰をフリフリして説く
というところがマイケル・ジャクソンのすごいところである。このようにして私は、
睾丸を、握り、腰振り、愛を説く
という掛け軸の句に到達したのであった。
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- 2011/01/14(金) 19:00:00|
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| コメント:4
私、この句大好きです。マイケルは、エロチックで、エレガント!本当に不思議な人です。まだまだ、これからも惹かれていくんだろうなぁと思います。
- 2011/01/14(金) 19:52:19 |
- URL |
- としちゃん #79D/WHSg
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この句と解説を読ませていただいて笑い転げたのは私だけでしょうか。
まさに的を射た本質をついた一句です。最高!
しかし女子には声に出して詠めない一句ですね。
- 2011/01/16(日) 23:57:01 |
- URL |
- ハピー #79D/WHSg
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