1930年。日本の国際的地位は絶頂にあった。
たとえば、日米英の三カ国の結ぶ軍縮条約が、世界平和を担保すると信じられていた。
中国もまた繁栄の入り口に立っていた。1911年の清朝崩壊以降続いた混乱がようやく収束し、中華民国が1928年に全土を統合した。中国東北部・満洲は、日本軍が張作霖を爆殺するというテロを働いたにもかかわらず、その息子の張学良という英明な指導者を得ていた。中国で最強の軍事力を持つ張学良が易幟によって中華民国に参加したことで、統合が果たされたのである。当時、日本企業は上海を中心として巨額の投資を行い、「在華紡」とよばれる紡績工場群を作り出していた。
これによって、東アジアは、日本を中核として、空前の繁栄を迎える直前にあった。
しかし。1931年9月18日。
愚かな日本軍は、満洲事件を引き起こし、すべてをぶちこわしてしまった。満洲国をつくるだけならまだしも、首謀者の石原莞爾が止めるのも聞かず、日中全面戦争に突入した。もちろん、在華紡を持つ財界は反対したが、それも簡単に押し切られた。国民が支持したからだ。
そして大日本帝国は滅亡し、ついでに、中華民国も解体してしまった。そこから生まれたのが中華人民共和国である。
毛沢東は、確かに天才だった。しかし、どうみてもおそろしい天才だった。ものすごい数の人を殺してしまった。
日本が余計なことをして解体させてしまった中華民国の総統は、蒋介石だった。もちろん、蒋介石にもいろいろと問題はあるが、日本にとっては大変にありがたい人物であった。というのも、彼は1907年に日本に留学し、1909年〜11年まで、大日本帝国陸軍十三師団の高田連隊の野戦砲兵隊の将校をしていた知日家だったからだ。沖縄が日本の手に残ったのは、カイロでルーズベルトの沖縄領有の提案を、蒋介石が断ってくれたからだ。(遠藤誉『チャイナ・ギャップ』参照)
毛沢東の率いる共産党は、当時はテロリスト集団だとみなされていた。いってみればイスラム国みたいなものだ。蒋介石は、フセインみたいなものだ。
フセインに戦争を仕掛けてイスラム国を作り出してしまったアメリカは、蒋介石に戦争を仕掛けて毛沢東の共産党政権を作り出してしまった日本と、構造的によく似ている。
このことを日本は十分に反省し、その上でアメリカに忠告する義務があると私は思う。
馬鹿な戦争をおっぱじめなければ、1940年に東京オリンピックが開催されていたのだ。
その前後に日本と中国とは、高度成長を経験したはずなのだ。
まぁ、しかし、我々の愚かな先祖は、本当に面倒くさい遺産を残してくれたものだ。
開いた口が塞がらない。
スポンサーサイト
- 2015/01/28(水) 12:38:12|
- ブログ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0