
今年になって『ジャパン・イズ・バック』(明石書店)と『ドラッカーと論語』(東洋経済新報社)とを出版したが、これらはそれぞれ、ながたかずひさ氏、窪田順生氏にライターとして協力して頂いて書いたものだった。だから純粋な単著は昨年の4月に出た『合理的な神秘主義』以来である。
この本は、『星の王子さま』についての文学書であるが、同時にモラル・ハラスメントの本でもある。イルゴイエンヌ(普通に読めばイルゴワイヤンのはずだが、訳書がなぜかこうなっている)の『モラル・ハラスメント』をもとにしてハラスメント論を構成し、その角度から『星の王子さま』を読解している。
こういう風に言うと、「ああ、また例の王子さま本かよ」と思うかもしれないが、そんなことはない。本書の「解題」でれっきとしたフランス文学研究者で、サン=テグジュペリ研究を専門とする大谷大学文学部准教授の藤田義孝博士が、
『星の王子さま』研究とサン・テグジュペリ研究に新しい視角をもたらした本書『誰が星の王子さまを殺したのか』は、研究者のための参考文献リストに是非とも登録すべき一冊であるといえよう。
安冨流の『星の王子さま』読解が的外れでないことは、その指摘の正しさが証明している。と太鼓判を押してくださっている。フランス語が読めないのに、フランス語に遡って解析するという荒業をやった甲斐があったというものだ。
それと同時に、『星の王子さま』の読解を通じて、モラル・ハラスメントが実のところ、サン=テグジュペリが見抜いて警告していた現代社会の根本問題と関係していることを明らかにしていく。彼はそれを死の直前に書いた「X将軍への手紙」の中で次の様に表現していた。
我々は驚くほど見事に去勢されているのです。だからこそ、我々は自由なのです。手足をまず切断されてから、歩く自由を与えられます。私はこの時代を憎悪します。そこで人間は、「普遍的全体主義」のもとで、温和で礼儀正しく大人しい家畜になっています。それを、道徳的進歩だと思い込まされているのです。この意味で本書は、『星の王子さま』に依拠しつつモラル・ハラスメント論を考察する本でもある。そもそも本書を書き始めた時は、『星の王子さま』をネタにモラル・ハラスメントを解説する本として書き始めたのだった。
そんなことを言うと、難しい本のように思うかもしれないが、そんなことはない。校正のために三回読み直したわけだが、いずれもスッと読めた。著者がスッと読めるのは当たり前だ、と思うかもしれないが、なかなかそうではない。校正していると疲れれてくる本も多いのだが、本書は何度も楽しく読めた。
この本で重要な論点は、「飼いならす apprivoiser」という言葉である。キツネはこれを「絆を結ぶ」という意味だと言って、王子をセカンド・ハラスメントの罠にかける。こうして王子はバラへの罪悪感に苦しみ、自殺に追い込まれる。私はそのように読んだ。そして、藤田氏の言っているように、その解読の正しさを本書で示している。
このように読むことによって、多くの謎が一挙に解ける。
・なぜ王子は羊を必要としたのか。
・なぜ王子は一日に四十四回も夕日を見るほどに悲しくなったのか。
・なぜ王子はバラの棘の話で激昂したのか。
・なぜ王子はバラに対する責任は果たそうとするのに、飼いならしたはずのキツネや飛行士はおいてきぼりにするのか。
・熊(?)が大蛇に捕まっている絵は何を意味するのか?
・帽子に見える、象を飲み込んだ大蛇の絵は、何を意味するのか?
・バオバブは何を意味するのか?
・「大切なことは目に見えない。」という言葉は何を意味するのか?
などなど。これらの謎が一気に解けて、スッキリすること、間違いない。
また、『星の王子さま』に興味がない人でも、メランコリックな気分になって困る人には、ぜひとも読んでいただきたい。鉛色の空から抜け出す大きな手がかりがここにある。
いや〜、こいつは面白い本だなぁ!
と自分で思うのだから間違いがない。
買わないと損だ!!
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- 2014/08/07(木) 11:13:23|
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