マイケル・ジャクソンの思想

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必見!菅原伝授手習鑑!

【必見!菅原伝授手習鑑】
国立文楽劇場(大阪)の菅原伝授手習鑑を見た。全部で10時間くらいかかるのだがまったく退屈することも疲れることもない。日本社会の疎外が克明に描かれ、そこに対する無言の痛烈な批判に貫かれた、恐るべき作品であることがわかった。

http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2014/4114.html

<大阪人の恥>
私は、文楽を実は今まで真剣に見たことがなかったのだ!大阪生まれなのに恥ずかしい。そして、こんなものすごいものを、見ないでいる、ということが、大阪人にとって大変な浪費、大変な恥であることを知った。絶対に見に行くべき。

<住大夫の芸>
今回の菅原伝授手習鑑の通し狂言は、国立文楽劇場開場30周年記念・七世竹本住大夫引退公演という重要なもの。住大夫の語りはものすごい迫力だ。橋下の嫌がらせで脳梗塞を起こされたが、リハビリで復活。日常生活では支障があるというのに、義太夫はできる、という恐ろしい芸に震えが来る。

<全ての源流>
菅原伝授手習鑑の後半を見ただけで、日本のドラマ、映画、漫画、アニメ、その他もろもろが、ことごとく、文楽のパクリ(というかそれを引き継いだもの)であることがよくわかった。ゴジラなんか、雷神になる道真そのまんまだし。。

<見えない現実>
誰がも我が子を殺させるために寺子屋に送って行き、「せまじきもの」たる「宮仕え」によって生き、どこかの子どもの首を刎ねる。ただ、それが見えないようになっているだけだ。もし全てが見えれば、気が狂って雷神になって飛んで行くしかない。道真が雷神になる場面のカタルシスは本当にスゴイ。ベートーヴェンの5番の第四楽章をはるかに上回る。

<東天紅の段>
立田の前は、自分の夫とその父が、道真を暗殺せんとしていることを知る。最初は、母親に伝えに行こうとするが、それでは夫と父とが破滅することに思い至り、悩んだ末に、彼らを説得しようとして、殺される。こういうモードに入った連中を説得して丸く収めようとすると、殺されるだけなのだ。決してそこで躊躇してはならない、という貴重な教え。全力で踏み潰すしかない。

<車曳の段>
クライマックスは、悪役の権力者、時平が、不気味な笑いを3分くらい続ける場面。
ただそれだけで圧倒的なハラスメントの力を余すところなく表現する。時平はどこにでもいる。

<茶筅酒の段〜桜丸切腹の段>
息子が切腹する決意であることを知りながら、ニコニコと嫁達を迎え、自らの七十歳の祝いをする白太夫。ガッチリと自分の感覚に蓋をして、気配り、バランス感覚を見せつける。偽善に貫かれた善人。こういう人が、腐りきった日本の立場主義社会を支えてきたのだ。私の父親のロールモデルがこれだったのだと、衝撃を受けた。


<寺子屋の段>
母親は息子を殺させるために寺子屋に連れて行き、先生は偉い人の子どもの身代りに首を刎ねる。父親は首実検にきて「息子はお役に立ったぞ!」と感涙にむせび、夫婦で野辺送り。合格発表の図。これに「学問の神様が伝授されたお勉強の手本」と題した感覚は凄い。

田舎の子どもたちは活き活きとしていて、生きる命が溢れており、言葉もしっかりしている。
それに対して、菅秀才や小太郎は顔色が悪く、体は硬直していて、「いーちーにーちーひーとーもーじー」とか「おーしーしょーうーさーまー」とか発話もおかしい。端的に壊れている。壊れていることが、秀才たる条件であることが明白である。

<見る人の数だけある物語>
この物語は、見る人の心の奥底の傷に突き刺さる。それで人々は涙をながす。しかし、なぜ涙を流しているのか、についての解釈は、自由自在にできる仕組みになっている。それゆえ、見る人に応じて、自分の心の蓋が揺るがないようなストーリーを組み立てることができる。それによって、本当は蓋が揺らいでいるというのに、揺らいでいないことにすることができる。かくして極めて過激で危険な物語でありながら、「安全な物語」というようにすり替えることが可能になっている。これがスゴイところ。

<無言の批判>
社会の倫理を貫徹すると、どうなるかを描いてみせる。見た目は、そういった倫理を教化するための物語。しかし、人々の笑いや声の震えで、そういったシステムの帯びている人間の抑圧を徹底的に批判する。表面的には一切、批判がないので、どんな検閲でも通過する。完璧な方法に脱帽する。
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  1. 2014/04/17(木) 08:18:16|
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  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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コメント

 文楽を観たのは、数十年前の小学校低学年の頃に、祖母に連れられてでした。 何が何かは分かりませんでしたが、強烈な印象を受けたのは、確かで、今に至るまで当時の場面が脳裏に残像として残っています。 
 熱心に鑑賞に通っていたのは、亡母で、女学校時代の友人とともに定期的に文学座へ通っていました。 自分の感想を熱心に、私に語る亡母は、まるで女学生のようで、その笑顔を観るのは、十代の亡母を彷彿とさせるようでした。 私は、亡母と鑑賞はせずとも、一緒に観たような、奇妙な感覚に襲われたものです。 亡母を若がえらせるかのような文学座には、懐かしい祖母との経験が重なり、自分も、一度でも亡母とともに鑑賞しておけば良かった、との後悔が、今、脳裏に有ります。 
 そんな、大阪に住む私たちの、ささやかな思いを断ち切ろうとする、橋下を始めとする輩には、何とも言えない哀しい思いでいっぱいです。 此処で生まれ、生きる庶民の心が分からない輩に政治は任せられない、と痛感します。
  1. 2014/04/22(火) 20:11:21 |
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