空馬さんのメルマガから、許可を得て転載します。
この「クソな舞台」をやったのは、どこのオケのどのコンサートなんだろう?
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オーケストラというのは、どんな生き物だろう。
イメージと現実に違いがあるのだろうか。
10代のころ、ウィーンでみたオペラは最後で本当に心臓を刺されて血吹雪が上がっているように見えた。
地下には、どうやら演奏をする人たちが埋まっているらしく、なにやら、凄い音が鳴り響いていた。
ベルリンでみたコンサートは、なにやら有名な人が有名な曲をやっていた、僕も聞いたことがある音だった、その時に、まるで感情がぶつけられてくるように痛みを感じた。
痛みの中に音があった。
全部もう20年以上まえだ。
僕のオーケストラのイメージは、そういうい痛みと圧力という力だ。
今回久しぶりにオーケストラを聴いた。
本当に久しぶり。
小さな集団の演奏するコンサートには何度か最近もいっている。
友だちが参加している、古楽器の集団はなかなかよい。
だら、日本人という種類がクソなわけではない。
今回は、友人の曲を聴きに行った。
CDを持っている。
ナマで聞いてみたいとずっと思っていた。
CDでは分からない、何かがあると感じていた。
現代音楽という分野、いろいろあるけど、何かに挑戦しなくてはならない宿命を背負っていると思おう。これは、気負うようなものではないが、宿命としてはある。
彼女の曲は肉体と魂のコミュニケーションである。
そのコミュニケーションを楽器と音が媒介していく。
その時に鳴るであろう音が創造されている。
という期待。
それを期待させる構造。
しかし、未だ僕はその体験をしらない。
この僕の期待感は強力である。
それは、まさにフラジャイルである事の強度という事を唯一音楽で実現しようとしているからだ。
それは、僕が生きる重要ところだ。
これを聴くには、CDでは無理である。たぶん。
ライブが必要である。ダイレクトな肉体と魂が必要である。
さて、なぜ、このオーケストラはこんなにも鳴らないのか?
なぜ、このオーケストラはコミュニケーションを停止しているのか?
なぜ、このオーケストラ2時間の中で成長をしないのか?
僕は何を聴けば良いのか?
久々にクソな舞台を聴いた。
僕は糞にまみれて生きているので、糞は嫌いじゃない。
糞が命の源になるから、でも最近の糞はやばい、農薬とか薬とか余計なものが沢山あって、土も殺す。これは、もう本当に糞ではなくクソだ。
もし、音楽の可能性を信じることができないなら退場すべきだ。
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- 2014/01/13(月) 11:39:16|
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