江口友子平塚市議会議員による、競輪のセクハラ広告についてのFacebookの書き込みです。これに対して、競輪関係者がとんでもない炎上行為を仕掛けました。途中で、私が入ってフィールドワークを行い、以下のような結論に到達しました。ぜひ、最後までご覧下さい。
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これは、烏賀陽 弘道 (@hirougaya): さんの分析の転載です。
【引用 はじまり】
Retweeted 烏賀陽 弘道 (@hirougaya):
(1)平塚市議会議員の江口友子さんが平塚競輪の「顔より太もも」広告が女性を侮蔑しているようで不快だと表明したことに対して「競輪や競輪選手を侮辱している」と江口さんを非難した人たちはほとんどが論点を間違えたままだった。
(2)この広告は「男性の性的対象としての女性の身体」と「運動選手の鍛錬やすぐれた能力としての身体」の境界線を狙って、前者のように思えるコピーが実は後者を指しているという「混乱」のユーモアを狙っている。江口さんはそのうち前者の想起が不快だと女性の立場から表明している。
(3)ところが、江口さんを非難する人々の大半が(当の女性競輪選手を含め)広告のコピーに後者の意味しか取らない、あるいは江口さんが後者を非難していると誤解していた。
(4)つまりこの広告が最初から意図した「誤解ギリギリのユーモア」に完全に乗せられたまま、誤解組はまったく筋違いな非難をしている。
烏賀陽さんの分析の補足
(1〜4に補足) この広告はユーモアにきわめてよくある「ダブル・ミーニング」の手法です。解釈が見る人によって異なるので「誤解」「混乱」する。それを最初から狙って人目を引く広告手法です。
(1〜4に補足2)こうした「セクハラだ」「いや、ちがう」「競輪選手を侮辱している」「いや、ちがう」という誤解と混乱に基づく社会的議論が起きることそのものが、平塚競輪への耳目を集め、広告として成功する、というよくある広告手法です。
【引用 おわり】
【安冨歩の結論】
つまり、彼らは、広告の意味がわかっていません。
あの広告は、背後にセクハラの香りがないと、面白くないので、彼らのように受け取られたら、広告つくった人が、泣きます。
というわけで、この広告で、耳目を集めることに成功したわけだけど、「競輪=セクハラオヤジの趣味」という印象が広まった、と私は思います。
「そんなの、競輪知らない奴の妄言だ!」といくら言っても、無駄です。競輪知らない人が、大半なので。
この広告は、製作者の狙い通り、成功したのです。そして、そんなものを、お金払ってあちこちに貼りまくった競輪関係団体は、自分で、自分の印象を下げることに成功しています。
なぜそうなったのかというと、競輪関係団体が、あれを「セクハラでまずいんじゃない?」と思わない人々で構成されていて、それが、現代社会で重視される女性の人権などの感覚と、ずれているからです。
さらに悪いことに、この一連の暴力的な書き込みによって、ファンの皆さん、競輪関係者の皆さんは、自ら、そのことを立証されました。
競輪関係者と競輪ファンは、女性の人権に対する感覚が乏しく、しかも、そのことを指摘されると、逆上して、極めて攻撃的な炎上行為をする、危険な人々であって、なるべく、近寄らない方が良い、ということを、自ら、立証されたのです。
そして、こういうことを書くと、「この変態東大教授、気が狂っている!」と彼らは逆上するはずです。そういう暴力的書き込みをどんどんして欲しいと思います。
私の主張を補強する証拠が増えて嬉しいので。
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- 2016/05/14(土) 00:44:24|
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