マイケル・ジャクソンの思想

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日本は自らの歴史に学び、アメリカの愚行を止めるべきだ。

1930年。日本の国際的地位は絶頂にあった。

たとえば、日米英の三カ国の結ぶ軍縮条約が、世界平和を担保すると信じられていた。

中国もまた繁栄の入り口に立っていた。1911年の清朝崩壊以降続いた混乱がようやく収束し、中華民国が1928年に全土を統合した。中国東北部・満洲は、日本軍が張作霖を爆殺するというテロを働いたにもかかわらず、その息子の張学良という英明な指導者を得ていた。中国で最強の軍事力を持つ張学良が易幟によって中華民国に参加したことで、統合が果たされたのである。当時、日本企業は上海を中心として巨額の投資を行い、「在華紡」とよばれる紡績工場群を作り出していた。

これによって、東アジアは、日本を中核として、空前の繁栄を迎える直前にあった。

しかし。1931年9月18日。

愚かな日本軍は、満洲事件を引き起こし、すべてをぶちこわしてしまった。満洲国をつくるだけならまだしも、首謀者の石原莞爾が止めるのも聞かず、日中全面戦争に突入した。もちろん、在華紡を持つ財界は反対したが、それも簡単に押し切られた。国民が支持したからだ。

そして大日本帝国は滅亡し、ついでに、中華民国も解体してしまった。そこから生まれたのが中華人民共和国である。

毛沢東は、確かに天才だった。しかし、どうみてもおそろしい天才だった。ものすごい数の人を殺してしまった。

日本が余計なことをして解体させてしまった中華民国の総統は、蒋介石だった。もちろん、蒋介石にもいろいろと問題はあるが、日本にとっては大変にありがたい人物であった。というのも、彼は1907年に日本に留学し、1909年〜11年まで、大日本帝国陸軍十三師団の高田連隊の野戦砲兵隊の将校をしていた知日家だったからだ。沖縄が日本の手に残ったのは、カイロでルーズベルトの沖縄領有の提案を、蒋介石が断ってくれたからだ。(遠藤誉『チャイナ・ギャップ』参照)

毛沢東の率いる共産党は、当時はテロリスト集団だとみなされていた。いってみればイスラム国みたいなものだ。蒋介石は、フセインみたいなものだ。

フセインに戦争を仕掛けてイスラム国を作り出してしまったアメリカは、蒋介石に戦争を仕掛けて毛沢東の共産党政権を作り出してしまった日本と、構造的によく似ている。

このことを日本は十分に反省し、その上でアメリカに忠告する義務があると私は思う。

馬鹿な戦争をおっぱじめなければ、1940年に東京オリンピックが開催されていたのだ。
その前後に日本と中国とは、高度成長を経験したはずなのだ。

まぁ、しかし、我々の愚かな先祖は、本当に面倒くさい遺産を残してくれたものだ。
開いた口が塞がらない。


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  1. 2015/01/28(水) 12:38:12|
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【東大話法の見本】池内恵東京大学准教授「「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ」という記事について

私も忙しいのだから、かんべんして欲しいのだが、これは飛びつかずに居られない格好のサンプルなので、解析しておく。

===========
なお、以下のことは最低限おさえておかねばなりません。箇条書きで記しておきます。

こうやって「最低限」と頭から押さえつけるように言うのである。これは

【東大話法規則】12 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。

の変形である。

*今回の殺害予告・身代金要求では、日本の中東諸国への経済援助をもって十字軍の一部でありジハードの対象であると明確に主張し、行動に移している。これは従来からも潜在的にはそのようにみなされていたと考えられるが、今回のように日本の対中東経済支援のみを特定して問題視した事例は少なかった。

何を言いたいのかよくわからないが、少なくとも、

【東大話法規則】16 わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。

という専門家ぶった煙幕として機能している。

*2億ドルという巨額の身代金が実際に支払われると犯人側が考えているとは思えない。日本が中東諸国に経済支援した額をもって象徴的に掲げているだけだろう。

まぁ、そうだろうが、その根拠はどこにあるのだろうか。

【東大話法規則】5 どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。

で信頼感を醸成する作用がある。


*アラブ諸国では日本は「金だけ」と見られており、法外な額を身代金として突きつけるのは、「日本から取れるものなど金以外にない」という侮りの感情を表している。これはアラブ諸国でしばしば政府側の人間すらも露骨に表出させる感情であるため、根が深い。

これは池内氏自身が、特定の偏った感情を「アラブ諸国」に対して抱いていることを示唆している。根が深い。

【東大話法規則】6 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。

である。


*「集団的自衛権」とは無関係である。そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである。

これは強烈なパンチである。しかしたとえば、NATOはその理念の中心を The principle of collective defence 集団的防衛の原則に置いている。

http://www.nato.int/cps/is/natohq/topics_110496.htm?

これが中心原則になる、ということはつまり彼らが単独の防衛と集団的防衛とを明確に区別しているからである。実際、スイスやオーストリアは「永世中立」を掲げて集団的防衛を否定してきた。オーストリアは1995年にEUに加盟し、NATOとも関係を持ったので、厳密な意味での永世中立は放棄したことになる。このときオーストリアでは激しい議論が行われたが、これは個別的防衛でいくのか集団的防衛に参加するのか、という議論である。

問題は、日本に憲法第九条があるので、本来は戦力を放棄しているずだというところにある。それゆえ「自衛権があるのかないのか」ということろが問題になって、そのために、集団的防衛の権利があるのかどうか、という議論になってしまうわけである。それゆえ「集団的自衛権」という奇妙な概念が出てきたのである。それだけのことであって、「そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである」という言葉はおかしい。

(1)日本では欧米諸国と異なって、自衛権があるのかないのか、が議論になる。
(2)集団的防衛に参加するかどうかは、どこの国でも議論になりうる。
(3)しかし(1)の問題があるので、「個別的自衛権」「集団的自衛権」という特殊な用語が使われる。

という風に言わねばならない。

【東大話法規則】16 わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。

である。

ちなみに、BBCの以下の記事でもわかるように、日本の両者の区別をイギリスが<議論>している。

http://www.bbc.com/news/world-asia-28122791


現在日本が行っており、今回の安倍首相の中東訪問で再確認された経済援助は、従来から行われてきた中東諸国の経済開発、安定化、テロ対策、難民支援への資金供与となんら変わりなく、もちろん集団的・個別的自衛権のいずれとも関係がなく、関係があると受け止められる報道は現地にも国際メディアにもない。今回の安倍首相の中東訪問によって日本側には従来からの対中東政策に変更はないし、変更がなされたとも現地で受け止められていない

一般に、何かが「ない」ことを証明するのは非常に困難であって、ひとつでも反例を挙げられたら終わりであるから、学者は、通常、このような言葉の使い方をしないものである。これだけ「ない」という根拠なき断言を繰り返す人の発言を信用することは、私にはできない

【東大話法規則】9 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。

の類だと判断する。


そうであれば、従来から行われてきた経済支援そのものが、「イスラーム国」等のグローバル・ジハードのイデオロギーを護持する集団からは、「欧米の支配に与する」ものとみられており、潜在的にはジハードの対象となっていたのが、今回の首相歴訪というタイミングで政治的に提起されたと考えらえれる。

上の「ない」の連打に根拠がない以上、この推論にも根拠がない。

【東大話法規則】5 どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。

である。

安倍首相が中東歴訪をして政策変更をしたからテロが行われたのではなく、単に首相が訪問して注目を集めたタイミングを狙って、従来から拘束されていた人質の殺害が予告されたという事実関係を、疎かにして議論してはならない。

これも同じことである。こんな証明不可能なことを、「事実」と称して論証を疎かにする文章を書いてはならない。


「イスラーム国」側の宣伝に無意識に乗り、「安倍政権批判」という政治目的のために、あたかも日本が政策変更を行っているかのように論じ、それが故にテロを誘発したと主張して、結果的にテロを正当化する議論が日本側に出てくるならば、少なくともそれがテロの暴力を政治目的に利用した議論だということは周知されなければならない。

「イスラーム国」のところに「安倍政権」を入れてみよう。

「安倍政権」側の宣伝に無意識に乗り、「安倍政権批判」の批判という政治目的のために、あたかも日本が政策変更を行っていないかのように論じ、それが故にテロを誘発したのではないと主張して、結果的に政治謀略を正当化する議論が日本側に出てくるならば、少なくともそれがテロの暴力を政治目的に利用した議論だということは周知されなければならない。

池内氏はこのような議論をしていないだろうか。


「特定の勢力の気分を害する政策をやればテロが起こるからやめろ」という議論が成り立つなら、民主政治も主権国家も成り立たない。ただ剥き出しの暴力を行使するものの意が通る社会になる。今回の件で、「イスラーム国を刺激した」ことを非難する論調を提示する者が出てきた場合、そのような暴力が勝つ社会にしたいのですかと問いたい。

これも同じことが出来る。

「特定の勢力の気分を害する政策をやれば政治弾圧が起こるからやめろ」という議論が成り立つなら、民主政治も主権国家も成り立たない。ただ剥き出しの政治的暴力を行使するものの意が通る社会になる。今回の件で、「イスラーム国を刺激した」ことを非難する論調を圧殺する者が出てきた場合、そのような暴力が勝つ社会にしたいのですかと問いたい。


*テロに怯えて「政策を変更した」「政策を変更したと思われる行動を行った」「政策を変更しようと主張する勢力が社会の中に多くいたと認識された」事実があれば、次のテロを誘発する。日本は軍事的な報復を行わないことが明白な国であるため、テロリストにとっては、テロを行うことへの閾値は低いが、テロを行なって得られる軍事的効果がないためメリットも薄い国だった。つまりテロリストにとって日本は標的としてロー・リスクではあるがロー・リターンの国だった。

決して身代金を払わないイギリスとアメリカとの国民が、頻繁にテロのターゲットになっている事実はどう説明するのだろうか。


しかしテロリスト側が中東諸国への経済支援まで正当なテロの対象であると主張しているのが今回の殺害予告の特徴であり、重大な要素である。それが日本国民に広く受け入れられるか、日本の政策になんらかの影響を与えたとみなされた場合は、今後テロの危険性は極めて高くなる。日本をテロの対象とすることがロー・リスクであるとともに、経済的に、あるいは外交姿勢を変えさせて欧米側陣営に象徴的な足並みの乱れを生じさせる、ハイ・リターンの国であることが明白になるからだ。

「正当なテロの対象であると主張」という表現が奇妙だが、それはおいておこう。

こんな風に、リスクとリターンで議論できるものなのだろうか。それを一概に言えるほど、単純なことではない。もし日本が政策変更したとして、それで調子に乗って頻繁にテロを日本に仕掛けたら、それこそ日本人も怒り狂い、諸外国がとめるもの聞かずISISに襲いかかってくる可能性だってある。

それに、身代金は支払わないが、人道的援助の対象にISISを加えるという政策だってある。現に、そこに沢山の悲惨な状況にある人々がいるのであるから。もちろん、そんなことをしたら足並みが乱れるだろうが、過去の経緯を見れば明らかだが、足並みを揃えていたって、ISISを弱らせるのは非常に困難である。

考えて見ればよいが、タリバンのアフガニスタンや、フセインのイラクを崩壊させる前と、させた後は、どちらがマシだっただろうか。やればやるほど具合が悪くなっていないだろうか。それは理由は簡単であって、国家というものが、実は壊れやすいものだからである。

国家が強固で、簡単には壊れないのであれば、その国に戦争を仕掛けて負けさせたら、それでOKである。日本がその例だ。日本は、戦っている間は本当に下手くそで間抜けであったが、負けたとなると、急に立派になり、それこそ世界史上、如何なる国よりも立派に負けた。それゆえにこそ、その後の繁栄があったのだ。これは日本が世界に誇りうることだ。

しかし、国家が脆弱であるなら、戦争を仕掛けられると、国家そのものが崩れてしまうのだ。そうなると、戦争に勝つことも負けることもできず、両者は無秩序の泥沼に足をとられるのだ。

ISISをたたきつぶせば、何が起きるかというと、更なる無秩序が起きる。というより、ISISは、まさに無秩序そのものを栄養にして成長する怪物のようなものだ。無秩序を拡大すれば、ますます成長するのかもしれない。そういう極めて厄介な相手であると考えるべきだ、と私は思う。

今、必要とされていることは、秩序の再生だ。それは、外部からの強権によって実現できるものではない。その地域の人々の間に、暴力を超える力が生成されなければ、決してできないことなのだ。一体、どうやったらそんなことができるのか、私にもまったくわからないが、そのような極めて難しい問題に直面しているのだ、と私は考える。少なくとも、暴力を行使し続ける限り、無秩序は拡大していく。


*「イスラエルに行ったからテロの対象になった」といった、日本社会に無自覚に存在する「村八分」の感覚とないまぜになった反ユダヤ主義の発言が、もし国際的に伝われば、先進国の一員としての日本の地位が疑われるとともに、揺さぶりに負けて原則を曲げる、先進国の中の最も脆弱な鎖と認識され、度重なるテロとその脅迫に怯えることになるだろう。

この文章は何かに怯えているように見える。私には、池内氏が「先進国村」の村八分にあうことにおびえているようにしか見えない。より具体的に言うと、「集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけ」とか「リスク」とか「リターン」という言葉遣いから、中東関係の国際政治学関係の学会に池内氏が行った時に、欧米の学者から、ボロカスに言われるのに怯えているように感じる。

「イスラエルに行ったからテロの対象になった」といった発言が、欧米の偉い学者に伝わり、「反ユダヤ主義」の烙印を押されたら、先進国の一員としての日本の一員たる私の学会での地位が疑われるとともに、揺さぶりに負けて原則を曲げる、先進国の中の最も脆弱な鎖と認識され、度重なる学問的テロとその脅迫に怯えることになるだろう。

というのが私の読み取った内容だ。


特に従来からの政策に変更を加えていない今回の訪問を理由に、「中東を訪問して各国政権と友好関係を結んだ」「イスラエル訪問をした」というだけをもって「テロの対象になって当然、責任はアベにある」という言論がもし出てくれば、それはテロの暴力の威嚇を背にして自らの政治的立場を通そうとする、極めて悪質なものであることを、理解しなければならない。

これは、

「中東を訪問して各国政権と友好関係を結んだ」「イスラエル訪問をした」というだけをもって

というところがミソである。誰がそんな理由でテロが起きた、と言ったのであろうか。教えて欲しい。こういう極めて稚拙でトンチンカンな理由を出しておいて、

「テロの対象になって当然、責任はアベにある」という言論

に対してイメージ操作を行い、その上で「極めて悪質」と畳み掛けるような手口は、汚い。

これこそまさにテロの暴力の威嚇を背にして自らの政治的立場を通そうとする、極めて悪質なものであることを、理解しなければならない。
  1. 2015/01/22(木) 17:28:15|
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「東京大学における軍事研究の禁止について」という文書の解析

これは実に奇妙な文章である。「東京大学における軍事研究の禁止について」というタイトルであるから、そのまま見れば、軍事研究を禁止する文章に見える。しかも第一段落では、

「学術における軍事研究の禁止は…東京大学の教育研究のもっとも重要な基本原則の一つである。」(0)

と明記されているので、つまり、軍事研究禁止の原則を確認しているわけである。

ところがそこから話が徐々にズレていく。第二段落で、

「日本国民の安心と安全に、東京大学も大きな責任を持つことは言うまでもない。」(1)

というが、そんな責任を東京大学が持つ、という話は聞いたことがない。たとえば東大憲章にはそのようなことは一言も書かれていない。そこには、

国籍、民族、言語等のあらゆる境を超えた人類普遍の真理と真実を追究し、世界の平和と人類の福祉、人類と自然の共存、安全な環境の創造、諸地域の均衡のとれた持続的な発展、科学・技術の進歩、および文化の批判的継承と創造に、その教育・研究を通じて貢献することを、あらためて決意する。 (A)

と書かれており、「人類普遍の真理と真実を追究」し「世界の平和と人類の福祉」に貢献することが使命だと高らかに宣言している。(A)では「人類普遍」主義を主張しながら、(1)では「日本国民」主義を主張している。両者は明らかに齟齬している。

その上で次のように言う。

「そして、その責任は、何よりも、世界の知との自由闊達な交流を通じた学術の発展によってこそ達成しうるものである。」(2)

「世界の知」という奇妙な言葉は、文書全体の欺瞞性の象徴であるが、ここでは論じない。ここで言っていることは、(1)に示された責任は(2)によって達成される、というのであるが、両方をくっつけると、

「日本国民の安全・安心という東大の責任は、学術の発展で達成される。」(2’)

ということになる。これは、学術の発展を日本国民の安全・安心の手段とする、という意味であり、学術の純粋性を自ら放棄していることになる。つまり、東大憲章に示された理念を、放棄していることになる。

そして次に、

「軍事研究がそうした開かれた自由な知の交流の障害となることは回避されるべきである。」(4)

と「軍事研究」が現れる。ここでは(3)で提示された、

日本国民の安全・安心 ← 学術の発展 ← 世界の知との交流(3’)

という関係性を前提として、「軍事研究」が「開かれた自由な知の交流の障害」となってはいけない、という話が持ちだされる。なぜなら、それでは「日本国民の安全・安心」が達成できないからである。

しかしここでよく考えてみよう。「軍事研究」に関する文脈で、「日本国民の安全・安心」という言葉は何を意味するのだろうか。すくなくともそれは「安全保障」を含意している。そればかりかこの言葉は「安全保障」の言い換えではないだろうか。そしてそもそも「安全保障」は「軍事」の言い換えである。ということは、

日本国民の安全・安心=日本の安全保障=日本の軍事

ということになる。そうすると(4)の主旨は、

開かれた自由な知の交流が軍事によって阻害され、学術の発展が滞り、それが軍事の妨げになってはいけない(4’)

ということであり、さらに言い換えると、

軍事研究が軍事研究を阻害してはならない(4’’)

というぐるぐる周りの循環論法を展開していることになっている。これは常に満たされる恒等式であるから、何の歯止めにもならない。つまり、軍事研究は全面的に解禁される、ということになってしまう。

このように軍事研究禁止原則を無効化した上で、とどめを刺す。

「軍事研究の意味合いは曖昧であり、防御目的であれば許容されるべきであるという考え方や、攻撃目的と防御目的との区別は困難であるとの考え方もありうる。また、過去の評議会での議論でも出されているように、学問研究はその扱い方によって平和目的にも軍事目的にも利用される可能性(両義性:デュアル・ユース)が、本質的に存在する。実際に、現代において、東京大学での研究成果について、デュアル・ユースの可能性は高まっていると考えられる。」(5)

ここで言っていることは、「結局のところ、どんな知識だって、善用もできれば悪用もできる。防御にも使えれば攻撃にも使える。平和利用もできれば軍事利用もできる。現代ではますますそうなっているよね。」ということである。これはつまり、

「ある研究が、軍事かどうかは、それ自身としては判定できない」

という意味である。

以上をまとめると、

・「軍事研究禁止原則は保持する」
・「軍事研究は軍事研究を阻害してはならない」
・「ある研究が軍事かどうかは判定できない」

ということになる。これによって軍事研究禁止を保持しながら、それを完全に無効化することができる。

そしていよいよ本題に入る。

「このような状況を考慮すれば、東京大学における軍事研究の禁止の原則について一般的に論じるだけでなく、世界の知との自由闊達な交流こそがもっとも国民の安心と安全に寄与しうるという基本認識を前提とし、そのために研究成果の公開性が大学の学術の根幹をなすことを踏まえつつ、具体的な個々の場面での適切なデュアル・ユースのあり方を丁寧に議論し対応していくことが必要であると考える。」(6)

「このような状況を考慮すれば、東京大学における軍事研究の禁止の原則について一般的に論じるだけでなく」というのは、つまり「軍事研究の禁止の原則」は一般的な議論の対象に格下げになる、ということである。「世界の知との自由闊達な交流こそがもっとも国民の安心と安全に寄与しうるという基本認識」は、(3’)の図式を確認している。

「研究成果の公開性が大学の学術の根幹をなす」という表現は実に受け入れがたい。東大憲章では「人類普遍の真理と真実を追究」することが学術の根幹だと宣言していたのではないだろうか。

研究成果を公開したからといって、それが人類普遍の真理と真実であることはまったく保証されない。というのも、大抵の研究は後から間違っているか、意味が無いことが確認されるものだからである。研究成果と称するもののごくごく一部だけが、長い年月を経て人類普遍の真理として受け入れられていく、という学術の歴史を見れば、それは当然のことである。

研究というものは、一人の研究者が一生掛けても大抵は達成しえないような人類普遍の真理の追求のために、全身全霊で献身するところではじめて可能となる。それはキレイごとでもなんでもなく、厳然たる事実である。東大憲章に謳われた「国籍、民族、言語等のあらゆる境を超えた人類普遍の真理と真実を追究」するという東大の責務からかんがえるなら、研究成果の公開というものはアタリマエのことであって、単なる前提条件に過ぎない。

しかもその公開の必然性は、それが「国民の安心と安全=安全保障=軍事」に貢献するために必要なのだ、という脆弱な論理の上に構築されている。こんなことで学問の自立性や独立性を守ることは、決してできない。

産経新聞の報道によれば、

東大は解禁理由について「デュアルユース研究は各国の大学で行われている。研究成果の公開性を担保する国際的な動向に沿った形で、ガイドライン改訂を行った」と強調している。

ということなのだが、これはガイドラインにも何もなっていない。このような矛盾に満ちた文書で軍事研究原則を無意味化すれば、必然的に軍事研究大学へと転がり落ちていくであろう。それが「各国の大学」で行われているとしても、果たして「第二次世界大戦の惨禍への反省を踏まえて」いるはずの大学にふさわしいかどうか、極めて疑問である。

そしてまた、更に驚いたことにこの文章を書いている最中に(2015年1月16日21時29分)、朝日新聞で『東大「軍事研究認めない」 「解禁」の一部報道を否定』という次のような記事が出た。

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 軍事に関わる研究を禁止している東京大学で、大学院の情報理工学系研究科が昨年12月、「科学研究ガイドライン」を改訂した。これについて一部の報道機関が16日に「軍事研究を解禁」などと報道。東大は同日、「報道内容が間違っている」と否定した。広報課は「誤解を招いたようだが、軍事研究禁止の方針はこれまでと変わらず、一部でも認めない」と説明した。「今後は個別の研究を確認し、軍事目的の研究と判断すれば研究を認めない」としている。
 東大によると、ガイドラインは同研究科の学生向けに2011年に作られた。改訂では「一切の例外なく軍事研究を禁止する」という文言を削除し、「成果が非公開となる機密性の高い軍事を目的とする研究は行わない」と追加した。
 東大は、こうした改訂が「軍事研究の解禁」と解釈されたとみている。研究科に対し、「誤解のない表現を工夫するよう伝える」という。
=============

これを見ると、ここで解析した総長の文書は、「東大が軍事研究を解禁した」という報道を否定するために出た、ということになろう。とするとこれは、まったく開いた口が塞がらない。というのも、上で見たように、この文書は東大憲章と齟齬する論理によって構築された、軍事研究を可能にするものだからである。

東大が軍事研究解禁報道を否定するというのであれば、総長は直ちにこの文書を撤回されるべきである。さもないと、これを根拠として軍事研究が進んでしまうからだ。そして、東大憲章に基づいた強力な議論を構築されるように切望する。

さもなくば、この文書の目的は、騒ぎが大きくならないように「軍事研究の否定」のポーズを示しつつ、実際は、軍事研究を可能にする、という目的で作成された、ということになる。東京大学の総長がこのような欺瞞を率先して示すなら、その影響は計り知れない。



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http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/news/notices/3564/

東京大学における軍事研究の禁止について
2015年01月16日掲載

 学術における軍事研究の禁止は、政府見解にも示されているような第二次世界大戦の惨禍への反省を踏まえて、東京大学の評議会での総長発言を通じて引き継がれてきた、東京大学の教育研究のもっとも重要な基本原則の一つである。この原理は、「世界の公共性に奉仕する大学」たらんことを目指す東京大学憲章によっても裏打ちされている。

 日本国民の安心と安全に、東京大学も大きな責任を持つことは言うまでもない。そして、その責任は、何よりも、世界の知との自由闊達な交流を通じた学術の発展によってこそ達成しうるものである。軍事研究がそうした開かれた自由な知の交流の障害となることは回避されるべきである。

 軍事研究の意味合いは曖昧であり、防御目的であれば許容されるべきであるという考え方や、攻撃目的と防御目的との区別は困難であるとの考え方もありうる。また、過去の評議会での議論でも出されているように、学問研究はその扱い方によって平和目的にも軍事目的にも利用される可能性(両義性:デュアル・ユース)が、本質的に存在する。実際に、現代において、東京大学での研究成果について、デュアル・ユースの可能性は高まっていると考えられる。

 このような状況を考慮すれば、東京大学における軍事研究の禁止の原則について一般的に論じるだけでなく、世界の知との自由闊達な交流こそがもっとも国民の安心と安全に寄与しうるという基本認識を前提とし、そのために研究成果の公開性が大学の学術の根幹をなすことを踏まえつつ、具体的な個々の場面での適切なデュアル・ユースのあり方を丁寧に議論し対応していくことが必要であると考える。


平成27年1月16日
東京大学総長 濱田 純一

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東大、軍事研究を解禁 公開前提に一定の歯止め
産経新聞 1月16日(金)7時55分配信

 東京大学(浜田純一総長)が禁じてきた軍事研究を解禁したことが15日、分かった。東大関係者が明らかにした。安倍晋三政権が大学の軍事研究の有効活用を目指す国家安全保障戦略を閣議決定していることを踏まえ、政府から毎年800億円規模の交付金を得ている東大が方針転換した。軍事研究を禁じている他大学への運営方針にも影響を与えそうだ。

 東大は昭和34年、42年の評議会で「軍事研究はもちろん、軍事研究として疑われるものも行わない」方針を確認し、全学部で軍事研究を禁じた。さらに東大と東大職員組合が44年、軍事研究と軍からの援助禁止で合意するなど軍事忌避の体質が続いてきた。

 ところが、昨年12月に大学院の情報理工学系研究科のガイドラインを改訂し、「軍事・平和利用の両義性を深く意識し、研究を進める」と明記。軍民両用(デュアルユース)技術研究を容認した。ただ、「成果が非公開となる機密性の高い軍事研究は行わない」と歯止めもかけた。以前は「一切の例外なく、軍事研究を禁止する」としていた。

 東大などによると、評議会は審議機関で、軍事研究の是非など運営方針の決定権は総長にある。総長には審議結果に従う法的な義務はない。それにもかかわらず、東大は評議会での一部の総長らの軍事忌避に関する発言をよりどころに禁止方針を継承してきた。

 東大は解禁理由について「デュアルユース研究は各国の大学で行われている。研究成果の公開性を担保する国際的な動向に沿った形で、ガイドライン改訂を行った」と強調している。

 東大の軍事研究をめぐっては、昨年4月、複数の教授らが平成17年以降、米空軍傘下の団体から研究費名目などで現金を受け取っていたことが判明し、学内の独自ルールに手足を縛られてきた研究者が反旗を翻した。5月には防衛省が、不具合が起きた航空自衛隊輸送機の原因究明のため、大学院教授に調査協力を要請したが、拒否された。
  1. 2015/01/17(土) 09:58:28|
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1月17日の夕刻 「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会 キラキラ外苑ウオーク」

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迎春

「神宮の森と空を守ろう、思い出のつまった今の国立競技場を改修して使い続けよう」
という提案にご賛同下さったみなさま

「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」を応援していただき、ありがとうございます。槇文彦氏、伊東豊雄氏、磯崎新氏はじめ建築の専門家の異議、私たち市民35000人以上の再考の願いを一顧だにせず、新国立競技場計画は粛々と暴走を続けています。

IOCは既存施設の利用、分散開催の了承含め、持続可能なオリンピックに向けて舵を切りました。東京都の舛添知事も施設の分散や縮小で、より安価で効果的なオリンピックにしようと努力しています。ひとりJSCだけが相変わらず重厚長大型のスタジアムの既定路線を進むつもりのようです。

解体入札は不調、官製疑惑などで遅れておりましたが、12月に北工区・南工区ともに解体業者が決まり、1月末より解体が始まる模様です。

その前に、もう一度、わたしたち市民の気持ちを社会にアピールしたいと考えます。
昨年7月6日に行なわれた「国立さんを囲む会」を前回の主催者との協力のもと、

1月17日の夕刻に「キラキラ外苑ウオーク」を行ないます。

前回の街頭アピールは全世界に報道されました。勉強会や国会対策も大事ですが、やっぱり街頭で意志を表明する事が今一番大切のようです。寒い冬の夕方ですが、最後の機会かもしれません。前回を越える人数で、私たちのレガシーであり、ヘリテージである現国立競技場に、感謝と愛惜のライトを捧げましょう!
将来世代のつけとなるホワイトエレファントを作らせないために。

解体されてもなお、私たちはより良い競技場計画を求めて、できる範囲で活動していくことにいたします。これからもさまざまなご支援をお願い申し上げます。

2015年1月


神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会
http://2020-tokyo.sakura.ne.jp
  1. 2015/01/08(木) 21:51:01|
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講演討論会 「暴力を〈無〉にするための神秘主義」 @慶応大学三田校舎

講演討論会 「暴力を〈無〉にするための神秘主義」
Mit Mystik der Gewalt zu Leibe ruecken 

日時:2015年1月13日(火) 18:30-21:00
場所:慶應義塾大学 三田校舎 大学院棟 313教室

講演者
香田芳樹 + 安冨 歩 (東京大学東洋文化研究所教授)

昨今国際的にも、日常的にも常態化している「暴力」「紛争」「ヘイトスピー チ」「ハラスメント」といった破壊行為に対抗するための思考回路が、神秘思想にあるのではないかという問題提起から出発して、具体的な反暴力への提言を したいと考えています。ゲストの安冨 歩さんは『東大話法』や 『誰が星の王 子さまを殺したのか』などの著作を通して、日本の原発行政や立場主義を厳しく 批判する論客です。

皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。

香田芳樹 (慶應義塾大学)
  1. 2015/01/08(木) 21:42:34|
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BEYOND の「海闊天空」で振り返る香港雨傘革命




日本のテレビ番組でリーダーの黄家駒が事故死して休止してしまった香港のバンド BEYOND の名曲「海闊天空」と共に振り返る香港雨傘革命。何が何だかわかっていない人も、とりあえずこれを見て、漢字の字幕を追っていれば、なんとなくわかるはず。

  1. 2015/01/01(木) 14:53:05|
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