「日本ブログ村」の「猫の闘病生活」というジャンルがあるらしい。
http://cat.blogmura.com/cat_disease/そのなかで常に上位に位置する
「ウメの健康日記: ぼくは20歳の猫です。脳腫瘍かもしれないとの診断を受けましたが、ぼくは元気です。」
http://www.umediary.com/entry/2014/09/29/231950というブログを書いておられる
Ume Yoshida さん
https://www.facebook.com/ume.yoshida.3 が、『誰が星の王子さまを殺したのか』についてのアマゾンに書評を書いてくださった。重要なので、こちらに転載させていただいた。
http://www.amazon.co.jp/誰が星の王子さまを殺したのか――モラル・ハラスメントの罠-安冨-歩/dp/4750340456/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1412080753&sr=8-1&keywords=安冨歩#customerReviews
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『誰が星の王子さまを殺したのか ―モラル・ハラスメントの罠―』を読んで、私は、過去の自分の体験を整理することができました。
以下は、私の体験からの推論です。
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「このことは、誰にも話すなよ。」
虐待にも色々な形がありますが、加害者は、このようなセリフを好むようです。私も、セクハラやパワハラ、モラハラなど、様々な場面で、色々な立場の人達から、このセリフを何度も言われました。
このセリフを言われるとき、被害者は大抵、恐怖で金縛りになったような状態に陥っていると思います。だから被害者は、加害者の指示に従って、長期間にわたり、自分の受けている暴力について誰にも告げずに沈黙を守ろうとするのではないでしょうか。また、「あの人は、私のために良かれと思ってやってくれているに違いない」と信じようとしてしまうのも、被害者の沈黙を長引かせる原因の一つだと思います。
しかし加害者の方は、自らの残忍さの成果を確認・堪能し誇示したいとの欲望から逃れられないらしく、被害者への暴力の程度をドンドン強めていきます。そして、当初は密室で行っていた加害行為を、最終的には、公衆の面前で、残忍さを明示する形で行うようになっていきます。
被害者は、この過程で苦しみ、のたうちまわります。加害者は快感を味わい、暴力を加え続けます。しかし、どうもこの快感は加害者の判断能力を低下させてしまうようです。被害者が「逃げよう!自由になりたい!」と決意して、暴力から逃れるための準備を始めたことに、加害者は一向に気が付かないことが多いからです。
加害者による暴力(虐待)がエスカレートしていくと、やがて被害者は、自らが無力感の谷に突き落とされていたことに気付き、
「なんで自分ばかりがこんなにイヤな思いを強いられなければならないのか?」「なんでこんな理不尽な暴力に耐えなくてはいけないのか?」
という感情と共に、谷から這い上がろうともがき始めます。
やがて、動きを止めていた被害者の心に怒りが満ちていきます。そして、抵抗の意欲がみなぎる瞬間が訪れます。
私は、このような心の中の「転換」を過去に何度か体験しました。その度に、人生の舵を大きく切って、加害者による暴力から距離を置くことができました。
しかし、「もう大丈夫だ、もう自分は被害者にはならない!」と思っていても、いつのまにか、また新しい暴力の構造の中に自ら嵌まり込んでいることに気付くことがしょっちゅうです。
「あッ!またやっちゃった!」と気付いたら、心のUFOキャッチャーで自らをつまみ上げ、救い出します。そしてこう思うのです。「やれやれ!いつまで同じことを繰り返すのだろう!まあ、前回よりはダメージは小さくなっているから、ちょっとは成長したのかもしれないけれど。まだまだ、虐待される癖が、全然抜けていないんだなあ。」
すると、せっかく少しずつ育てて来た自信が、一瞬の内にしぼんでいくようで、とても落ち込んでしまいます。
もうずいぶん長い間、このような繰り返しの日々を過ごして来ました。
しかし!
『誰が星の王子さまを殺したのか ―モラル・ハラスメントの罠―』を読んだ私は、目の前が明るくなったように感じて、すっかり元気になりました。
私の場合、普通は虐待についての描写を読むと、PTSDになるためか、元気がなくなります。それなのに、この本を読んだら、なぜか元気になったのです。
「虐待について書いてある本なのに、なんで元気になったのだろう?」
不思議に思った私は、時間をおいてから、もう一度読んでみました。そしたら、すごく良くわかりました!
読んで明るい気持ちになったのは、この本が教えてくれたからだったのです!
世界は「虐待の連鎖によって埋め尽くされて」いること、そしてそれが「人類の危機の本質」であることを。
「どうりで私は、やっとひとつの虐待の構造から抜け出したと思っても、すぐ次の虐待の構造に陥ってしまうことを繰り返してきた訳だ」と納得しました。世界が「虐待の連鎖によって埋め尽くされて」いるのだから、私が次々と虐待の構造にぶち当たるのも当り前です。「私が間抜けなせいかしら?」と、うなだれ・やさぐれていたけれど、「そうじゃない、人類全体で取り組まないと解決できない巨大な課題だったんだ!だからこそ、逆に、ひとりひとりが身の回りの虐待の連鎖をひとつひとつ断ち切っていくことで、世界平和にも貢献できるようになるんだ!」と膝を打ちました。
そして、私自身の歩みは遅くても、少しずつ着実に「虐待の連鎖」から抜け出していけば、いつかは、虐待の連鎖の中で苦しんでいる人達の相談を受けられるくらいに自由になっていけるのではないだろうか・・・そんな風に感じられたので、元気になったのだ!と2度目に読んだときに納得したのです。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリと安冨歩の両氏は、「子どもの持つ真実を見抜く力」こそが、世界を埋め尽くしている虐待の連鎖を断ち切るのに必要であり、だからこそ、「子どもを守ることが、世界を救うことになるのだ」と、様々な方法で、体を張って伝えてくれています。
「子どもの魂を守ること」「大人の見方を子どもに押し付けるのではなく、子どもの目を大人が回復すること」が、「魂の生の回復」につながるのだと、この本は教えてくれています。
20年にわたる会社員生活ですっかり絶望していた私の魂が、この本を読んでいくうちに生き返っていくのを感じました。
折に触れて再読すると、その時々に自分が必要としている文章に出会える・・・この本は、そんな一冊になりそうです。
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- 2014/09/30(火) 21:44:49|
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