9月3日(水)緑茶会政治セミナー・プレシンポジウム
「地方からつくりだす政権交代の青写真」
安冨歩(東京大学教授)、髙橋茂(「ザ・選挙」編集長)、長谷川平和(緑の党共同代表)
西崎光子(東京都議会議員/東京・生活者ネットワーク)など。
http://ryokuchakai.com/2014/07/28/seminar/私は、講演では決して原稿を用意しないのだが、今回は非常に珍しく、原稿を書いた。原稿を出してしまったら、講演する意味がなくなるので、ごく一部だけ、味見で出しておく。私の本の読者なら、もうわかっちゃうかもしんないけど。。。。
【中略】
のところを知りたい人は、参加してください。
=======原稿のごく一部=========
本日は講演の機会を与えていただき、ありがとうございます。
私は普通は原稿を一切用意しないのですが、今回は、ふと、原稿を書いてみようと思い立ちました。
私は、具体的な活動を苦手としています。ですから、何をどうしたらいいかを皆さんにお話することはできません。
私は、考えることが仕事です。ですから、何をどう考えたらいいのか、そのお手伝いになることをお話出来たら、と思います。
先の参議院選挙において、緑茶会は、残念ながらまったく機能しませんでした。量的には、完全な失敗だったと認めるべきだと思います。
しかし、「量」や「大きさ」に注目することは、まったくの間違いなのです。
【中略】
ではどうなれば社会だと言えるでしょうか。それは人々の間にコミュニケーショが生成されているなら、社会だと言えます。それゆえ、社会は「コミュニケーション」でできている、という考えが正しいのです。
【中略】
私がかねてより「戦略的投票(strategic voting)」と呼ばれるもの(戦術的投票 tactical voting ともいいます)の重要性を訴えてきました。私がイギリスにいたときに、・・・
【中略】
これから考えるべきことは、どうやってゼロノミクマを軸として、他の何かを接合していって、自己増殖的な循環関係を生み出して、戦略的投票を日本の政治文化に根付かせるか、です。この新しいコミュニケーション戦略をどうやれば実現できるのか。本日は、この問題を皆さんと共に考えたいと思います。
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- 2014/08/30(土) 20:01:34|
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2014年7月25日に、私にとって画期的な出来事があった。 東京藝術大学の毛利嘉孝准教授の主催で、「特別研究会 暴力の音楽と音楽の暴力」が開かれたのである。毛利准教授の司会で、安冨歩×烏賀陽弘道(ジャーナリスト)×片岡祐介(打楽器奏者・作曲家)が登壇した。このなかで、玉田兵吾作詞、安冨歩作曲、片岡祐介採譜「サリエリの歌(あるいは、立場の音楽)」を学内試演した。
この曲の歌詞は下記のとおりであり、
https://drive.google.com/file/d/0Byujdzu7HWhYRnVEbWZqWTZmVmVJU3N1QzNBaWZlSDdlNVVn/edit?usp=sharing ↑ここから楽譜をダウンロードできる。これは、自由に演奏あるいは改変できるが、その際には、作詞作曲・採譜者を明記する必要がある。
音源はこちら→
https://drive.google.com/file/d/0Byujdzu7HWhYZGluM212M0g0b28/edit?usp=sharing
サリエリの歌(あるいは、立場の音楽)
作詞・作曲 玉田兵吾
この国は 立場で できている。
芸大も 立場で できている。
音楽も 立場で できている。
指先は ピアノを 操作せよ。
筆先は 音符を 操作せよ。
魂を 惑わす ことなかれ。
魂を 震わす ことなかれ。
何事も 立場を 守るため。
作曲も 立場を 守るため。
演奏も 立場を 守るため。
小手先で 楽器を 掻き鳴らし、
口先で 楽譜を 弁護せよ。
魂を 惑わす ことなかれ。
魂を 震わす ことなかれ。
立場を 脅かす者を 私は許さない。
秩序を かき乱す者を 私は許さない。
才能を ひけらかす者を 私は許さない。
音楽を 生み出す者など 決して許さない。
創作は 立場に ふさわしく。
研究も 立場に 沿ってやれ。
教育で 立場を 叩き込む。
鼻先で 彼らを あざ笑い、
矛先を 向けるは アマデウス。
魂を 惑わす 者に死を。
魂を 震わす 者に死を。
- 2014/08/09(土) 23:18:50|
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今年になって『ジャパン・イズ・バック』(明石書店)と『ドラッカーと論語』(東洋経済新報社)とを出版したが、これらはそれぞれ、ながたかずひさ氏、窪田順生氏にライターとして協力して頂いて書いたものだった。だから純粋な単著は昨年の4月に出た『合理的な神秘主義』以来である。
この本は、『星の王子さま』についての文学書であるが、同時にモラル・ハラスメントの本でもある。イルゴイエンヌ(普通に読めばイルゴワイヤンのはずだが、訳書がなぜかこうなっている)の『モラル・ハラスメント』をもとにしてハラスメント論を構成し、その角度から『星の王子さま』を読解している。
こういう風に言うと、「ああ、また例の王子さま本かよ」と思うかもしれないが、そんなことはない。本書の「解題」でれっきとしたフランス文学研究者で、サン=テグジュペリ研究を専門とする大谷大学文学部准教授の藤田義孝博士が、
『星の王子さま』研究とサン・テグジュペリ研究に新しい視角をもたらした本書『誰が星の王子さまを殺したのか』は、研究者のための参考文献リストに是非とも登録すべき一冊であるといえよう。
安冨流の『星の王子さま』読解が的外れでないことは、その指摘の正しさが証明している。と太鼓判を押してくださっている。フランス語が読めないのに、フランス語に遡って解析するという荒業をやった甲斐があったというものだ。
それと同時に、『星の王子さま』の読解を通じて、モラル・ハラスメントが実のところ、サン=テグジュペリが見抜いて警告していた現代社会の根本問題と関係していることを明らかにしていく。彼はそれを死の直前に書いた「X将軍への手紙」の中で次の様に表現していた。
我々は驚くほど見事に去勢されているのです。だからこそ、我々は自由なのです。手足をまず切断されてから、歩く自由を与えられます。私はこの時代を憎悪します。そこで人間は、「普遍的全体主義」のもとで、温和で礼儀正しく大人しい家畜になっています。それを、道徳的進歩だと思い込まされているのです。この意味で本書は、『星の王子さま』に依拠しつつモラル・ハラスメント論を考察する本でもある。そもそも本書を書き始めた時は、『星の王子さま』をネタにモラル・ハラスメントを解説する本として書き始めたのだった。
そんなことを言うと、難しい本のように思うかもしれないが、そんなことはない。校正のために三回読み直したわけだが、いずれもスッと読めた。著者がスッと読めるのは当たり前だ、と思うかもしれないが、なかなかそうではない。校正していると疲れれてくる本も多いのだが、本書は何度も楽しく読めた。
この本で重要な論点は、「飼いならす apprivoiser」という言葉である。キツネはこれを「絆を結ぶ」という意味だと言って、王子をセカンド・ハラスメントの罠にかける。こうして王子はバラへの罪悪感に苦しみ、自殺に追い込まれる。私はそのように読んだ。そして、藤田氏の言っているように、その解読の正しさを本書で示している。
このように読むことによって、多くの謎が一挙に解ける。
・なぜ王子は羊を必要としたのか。
・なぜ王子は一日に四十四回も夕日を見るほどに悲しくなったのか。
・なぜ王子はバラの棘の話で激昂したのか。
・なぜ王子はバラに対する責任は果たそうとするのに、飼いならしたはずのキツネや飛行士はおいてきぼりにするのか。
・熊(?)が大蛇に捕まっている絵は何を意味するのか?
・帽子に見える、象を飲み込んだ大蛇の絵は、何を意味するのか?
・バオバブは何を意味するのか?
・「大切なことは目に見えない。」という言葉は何を意味するのか?
などなど。これらの謎が一気に解けて、スッキリすること、間違いない。
また、『星の王子さま』に興味がない人でも、メランコリックな気分になって困る人には、ぜひとも読んでいただきたい。鉛色の空から抜け出す大きな手がかりがここにある。
いや〜、こいつは面白い本だなぁ!
と自分で思うのだから間違いがない。
買わないと損だ!!
- 2014/08/07(木) 11:13:23|
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