マイケル・ジャクソンの思想

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「大飯原発3,4号機運転差止請求事件判決」に対する読売新聞の社説の分析

読売新聞の社説である。
強烈な欺瞞論法のサンプルとして解析する。
引用文は【】に入れる。

【大飯再稼働訴訟 不合理な推論が導く否定判決】2014年05月22日 01時25分

大島堅一教授が指摘していたが、「大飯原発運転差止請求」なのであって、「再稼働訴訟」ではない。社説のタイトルからいきなり、名を歪めている。原告は、「再稼働するな」と言っているのではなく、「そもそも運転すんな」と言っているのである。


【「ゼロリスク」に囚とらわれた、あまりに不合理な判決である。】

いきなり、無茶苦茶である。判決文は、「リスクをゼロにしろ」などと、一言も言っていない。万が一の場合の被害があまりも巨大であり、その事態を完全に封じることができないばかりか、それを実行する責任を負うはずの原子力の専門家が信頼に値せず、そのリスクを見積もる地震の専門家もたよりにならないので、原発はやめろ、と言っている。


【定期検査のため停止している関西電力大飯原子力発電所3、4号機について、福井地裁が運転再開の差し止めを命じる判決を言い渡した。原発の周辺住民らの訴えを認めたものだ。】

「周辺住民」というが、判決は、半径250キロを「周辺」と認めたのだ。京阪神や愛知はもとより、岡山・和歌山・長野・静岡あたりまでが含まれている。とてつもなく画期的なことを、スルーしている。


【判決は、関電側が主張している大飯原発の安全対策について、「確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに成り立ち得る脆弱ぜいじゃくなもの」との見方を示し、具体的な危険があると判断した。】

一応、正しいが、それだけのことではない。


【「福島第一原発の事故原因が確定できていない」ため、関電は、トラブル時に事態把握や適切な対応策がとれないことは「明らか」とも一方的に断じた。】

これも話がすり替えられている。この判決は「原発に求められる安全性」を詳しく論じ、人格権の中核部分に対して、電気の生産という経済活動の自由が憲法上劣位に置かれるべきである、という明確な設定を行い、その上で、原発の危険性の本質とその被害の大きさが福島第一原発事故で「明らか」になった、と言っているのである。


【昨年7月に施行された原発の新たな規制基準を無視し、科学的知見にも乏しい。】

この判決文は、上記のような事態を招く具体的危険性が万が一にもあるかを裁判所が判断すべきであって、これを回避することは、重要な責務を放棄することになる、としている。ここで判断しているのは、原発の本質であって、小手先の規制基準の問題ではないがゆえに、無視しているのである。こういうところで「科学的知見にも乏しい」と悪口を言って済ませる態度は、実に、非科学的である。


【判決が、どれほどの規模の地震が起きるかは「仮説」であり、いくら大きな地震を想定しても、それを「超える地震が来ないという確たる根拠はない」と強調した点も、理解しがたい。】

なによりも、この文が、理解しがたい。日本語になっていないのである。

「いくら大きな地震を想定しても、それを『超える地震が来ないという確たる根拠はない』と強調」

などという日本語を書いて平気な人間が、この判決文を理解できないのは、やむを得ないところであろう。ここで言わんとしていることはおそらく、

これ以上の規模の地震は来ない、と根拠を以て示すことはできない、と強調

くらいのことかと思う。これは、実に科学的に正しい発言であって、これを正確に見積もることは不可能である。というのも地震の規模はベキ分布という性質を持つので、どんな規模の地震も「あり得ない」とはいえないのである。社説の筆者はそういう科学的知見に乏しい人物である。また、

「どれほどの規模の地震が起きるかは「仮説」であり」

という日本語もおかしい。多分、

地震の規模の見積もりを厳密に与えることはできず、あくまで「仮説」としてしかできない、

ということであろうが、これは当たり前のことである。地殻の運動などというものを、予測したりなど、できるはずがそもそもないことは、自明である。判決文は、わざわざ、

「しかし、この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に、5回にわたり想定した地震動を超える地震が、平成17年以後、10年足らずの問到来しているという事実を、重視すべきは当然である。地震の想定に関し、このような誤りが重ねられてしまった理由については、今後、学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。」

と厳しく批判している。


【非現実的な考え方に基づけば、安全対策も講じようがない。】

これが最強の噴飯ものの文である。そもそも「安全対策を講じる」責任を負っているのは電気会社の方であって、この言葉を電力会社に投げつけるなら、意味は通じる。しかし、その責任を負っていない裁判所にこんなことを言って、何の意味があろうか。

しかも興味深いことに、非現実な考えに基づいて、まともな安全対策を講じていないのが、電気会社であって、この判決はまさにこの点を批判しているのである。そもそも原子力発電が非現実的な考え方に基づいているため、原理的に安全対策の講じようがない、としてこの判決は原子力発電そのものを否定しているのである。


【大飯原発は、福島第一原発事故を受けて国内の全原発が停止した後、当時の野田首相の政治判断で2012年7月に再稼働した。順調に運転し、昨年9月からは定期検査に入っている。】

それがどうしたというのだ。「万が一」の問題を判決文は問題にしているのであって、「万が一」でない事態を言ってみせたところで、何の意味もない。


【関電は規制委に対し、大飯原発3、4号機が新規制基準に適合しているかどうかの審査を申請している。規制委は、敷地内の活断層の存在も否定しており、審査は大詰めに差し掛かっている。】

で?

【別の住民グループが同様に再稼働の差し止めを求めた仮処分の即時抗告審では、大阪高裁が9日、申し立てを却下した。規制委の安全審査が続いていることを考慮し、「その結論の前に裁判所が差し止めの必要性を認めるのは相当ではない」という理由からだ。常識的な判断である。】

この判決文は、このような態度が裁判所の重要な責務を放棄することになっている、として鋭く批判しているのである。そういう決意を帯びた判断に対して、「そんなん、非常識じゃ〜」と言って、何の意味があろうか。


【最高裁は1992年の伊方原発の安全審査を巡る訴訟の判決で、「極めて高度で最新の科学的、技術的、総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委ねられている」との見解を示している。原発の審査に関し、司法の役割は抑制的であるべきだ、とした妥当な判決だった。各地で起こされた原発関連訴訟の判決には、最高裁の考え方が反映されてきた。】

福井地裁は、そんなことは知った上で、福島第一原発後に、こういう責任回避を続けていては、司法そのものに対する国民の信頼が失われる、と考えて、この判決に踏み切ったのである。


【福井地裁判決が最高裁の判例の趣旨に反するのは明らかである。関電は控訴する方針だ。上級審には合理的な判断を求めたい。】

まさにここが問題になっている。司法が、この国家的危機を経ても、行政に阿る態度をとりつづけるのか。それとも、司法に対する国民の信頼を得べく、「裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」という日本国憲法の規定の実現に向けて踏み出すのか。日本の司法の運命が掛かっていると言っても良いであろう。

上級審には合理的な判断を求めたい。
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  1. 2014/05/23(金) 00:05:14|
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『魂の脱植民地化とはなにか』へのアマゾンのコメントに示された魂の植民地化の構造

深尾葉子著 魂の脱植民地化とは何か (叢書 魂の脱植民地化 1)  に対して、アマゾンのコメント欄にきわめて興味深い文章が出ていた。日本社会における魂の植民地化を理解するサンプルとして貴重なので、解析しておきたい。

「議論が足りていない, 2014/4/29」

というタイトルで、評価は☆☆である。以下で全文引用しながら解析する。

まず、

================
本書では、ある人が周囲から押し付けられた、かつその人が(往々にして無意識のうちに)受け入れている
価値観、思考方法(これを魂に覆いかぶさる「蓋」としている)にその人自身を捕らわれている状態を
「魂の植民地化」、「呪縛」と呼び、そこからの解放を「魂の脱植民地化」としている。
その上で、具体的な例として、著者本人の体験(ほぼ来歴と言って良いものになっている)や、
大学のゼミでの学生の発表、また、別途福島の原発事故後に自主的に避難した人残った家族との葛藤等を
取り上げ論じている。

================

と、内容が「客観的」にまとめられる。既にこの段階で、なんだか気持ち悪いのである。星2つという否定的評価を下すような本に、懇切丁寧な説明をつける人は少ないだろう。どんなに嫌いな本でも、こういう手つきで内容をきちんとまとめる、という作法が、学会雑誌の書評欄のようであり、既に素人とは思えない。ところが、次の段落で「素人の私」という言葉が出てくるのが、気持ち悪いのである。「素人のフリをしている玄人」なのではないだろうか。

また、これだけバランスに配慮しながら紹介しているのに、なぜか本書の白眉とも謂うべき、『ハウルの動く城』についての議論が抜けている。これを抜かすと、個人的体験のみに依拠して議論している、という印象を与えることになる。こういう微妙な印象操作もまた、学術雑誌の書評欄で駆使される、私には馴染みの嫌がらせの技術である。

続けて、

================
個人的に納得がいかない部分があるが、全部あげるとキリがないがひとまず以下を挙げておく。
================

これも良くある学術雑誌書評欄の表現方法で、実際には1つか2つくらいしか問題点を見つけられなくても、「ひとまず」と称して1つか2つの問題点を論い、それによって、問題だらけであるかのように思わせる、という手口である。

具体的に挙げている問題点は、

1、魂とは何かという議論が無い
2、「呪縛」の定義

の2つだけである。

最初の問題点について、次のように言う。

================
1、魂とは何かという議論が無い
 本書を通して魂とは、生まれながらの(モデルの立て方からみてなおかつ外部に影響されない不変)
 人の本性という意味で使われているものと思われるのだが、そのあたりの議論は無い。
 読んだ人間が納得するか否かは別として最低限の議論なり定義なりは必要と思う。
 冒頭のスピノザやフロムの言葉だけ断っているつもりかもしれないが素人の私には厳しく、
 本書を読んでいて終始違和感を拭えなかった。

================

しかし、常識的に考えて、「魂とは何か」を正面から議論したら、それは学術書ではなくなる。オカルト書になるだろう。「魂の脱植民地化」の研究戦略は、神秘は神秘として受取り、尊重し、その神秘的な生きる力を破壊するものを、厳密に科学的に議論する、というところにある。(詳細は安冨歩『合理的な神秘主義』)

それゆえ魂は当然ながら定義されず、その作動を破壊するものの探求に焦点が当てられる。このような方法論の明示が、本書ではなされていない、というならまだ話はわかる。

次に、2番めの「問題点」である。

===============
2、「呪縛」の定義
 呪縛に関する上記の定義に対して、「捕らわれている本人が苦しんでいる」くらいは付けておいた方が
 良い様に思う(本書で見た限りでは上記以上の定義の絞りは行っていないように見える。)。

===============

これがこのコメントの「白眉」である。この人は、

「捕らわれている本人が苦しんでいないなら、それは呪縛ではない」

と主張しているわけである。これは重要な論点である。

この記述を見て私は、文化人類学の基本的タブーを思い出した。彼らが研究の対象としている「文化」と称するものは、まさに「とらわれている本人が、あたりまえだと思い込んでいて、苦しいと自覚していない呪縛」である。「文化相対主義」という文化人類学の基本的なイデオロギーに従えば、社会によってそれぞれにそういう「苦しくない呪縛」があって、それを他の社会の人間が見て「あいつらはおかしい」とかいうのは、西欧中心主義の暴力なので、そういう「文化」は黙って尊重せねばならない、ということになっている。

ちなみに、人間集団はタブーの共有によって成り立っている、という原理を見出したことは、文化人類学のもっとも重要な貢献であるが、文化人類学そのものもまた、タブーによって成り立っている。それが、「苦しくない呪縛を、呪縛と言ってはならぬ」というタブーなのだ、と思われる。もちろん、このタブーに言及することは、タブーであるから、文化人類学者に聞いても、教えてはくれない。

つづけて kaseki 氏は言う。

===============
 本書に出ているケースについては、対象になっている人物が悉く「呪縛」され苦しんでいる
 (あるいは苦しんでいた)ケースのみ挙げられているので問題ないが、
 ある人がある価値観に縛られていて当人(あるいは周囲も含め)が
 苦痛を覚えているとは限らず、十把一絡げにするのは乱暴に見える。

===============

しかし、本書が本当に問題にしているのは、「苦しくない呪縛」である。それこそが社会をまるごと縛り付け、その作動を狂わせるからである。呪縛に苦しむ人間は、それを「呪縛」として認識するがゆえに苦しむのであって、呪縛に苦しまない人間は、それを「呪縛」として認識できないがゆえに、平気なのである。議論の対象が「呪縛に苦しむ人」に限定されるのは、そのためである。

===============
 著者のそのあたりの区分の乱暴具合は本書ではさほど出ていないものの他所で出している
 文には大いに出ており、ゆえに干されているように見える。(自覚が無さそうであるが)


それにしても、本書の思想の結末があの独善的な意見(同著者の別の本の「タガメ女」、「カエル男」)なのであれば、あまりにも残念な結末としか思えない。
===============

つまるところ、この kaseki 氏は、御本人がカエル男であって、かつご自分は「苦しくない」のだと思う。それゆえ自分は「立派な夫」であって、「カエル男とか言うな!」とお怒りなのである。これは上の文化人類学的言葉でいえば、日本的夫婦関係は、それはそれで立派な文化現象であり、それが「タガメ女、カエル男」だ、とかいうのは、乱暴だ、ということである。こういう議論は、文化人類学のタブーに触れているのである。

しかし、タガメ女・カエル男に立腹しながら、わざわざこの高くて面倒くさい本を入手して、その上、怒りながらも最後まで読み、しかもアマゾンにコメントを書く手間をとるとは、ずいぶんなストーカー的執念である。「素人」は、こういうことをしないで、だいたい、読まずに悪口だけ書くものであろう。こういうことができるというのは、やはりこの人は、「玄人」なのではないか、を思わざるを得ない。

それに気になるのが、

「ゆえに干されているように見える。(自覚が無さそうであるが)」

という謎めいた表現である。

「干されている」という表現が普通に意味するところは、「食い扶持を与えられない」ということである。特に、食い詰めている院生などが、非常勤講師の口を充てがってもらえない、というようなときに「干されている」と言う。しかし、深尾氏は同世代としては異例の早さで母校の国立大学に就職し、現在も阪大の先生であるから、この意味ではぜんぜん干されていない。

にもかかわらず「干されている」とこの人が言うのは、「シンポジウムや研究会に呼んでもらっていない」ということである。「学界」に生息する生き物は、学会や研究会に呼んでもらえないことを、極度に恐れる。そうやってシカトされていると、「自分は学者ではない」ということになってしまって、立場を失う気がするからである。私もかつては、シンポジウムや研究会を開いたり、あるいは研究班を立ち上げるときに、「この人を呼んで、あの人を呼ばないわけにはいかないよなぁ。。。」とかいって、悩んだものであった。逆に、誰かをいじめるときには、学会や研究会に呼ばなかったり、集団で本を書く時に声を掛けなかったりする。そうやって「干す」ことで攻撃になっている、と彼らは思うのである。「干されている」という言葉に、こんな意味があることを、普通の人は知らないだろう。

しかも、深尾氏は、そういう意味で「干される」ことをあえて望んで作り出している。どうでもいいシンポジウムや研究会に呼ばれたり、学会運営に駆り出されたりすることは、学会に生息する生き物にとっては無上の喜びであるが、そういう呪縛を抜けだした者にとっては、ただの苦痛である。しかも「干される」という感覚そのものが、アカデミズムの小さな池に生息し、周囲の評判や学会の評価におもねって日々を送っている人々が強固に恐れる感情であるということを示している以上、ある種の「呪縛」概念であることを熟知しているからである。

それゆえ深尾氏は、そういう「干す/干される」というような不気味な世界から足を洗うべく、こういう本を書いたのである。それは私がこの本の序文で「学術ダムの決壊」と書いたことの意味である。「干されている」ことに「自覚が無い」のではなく、「自覚的に決別した」のである。そういう人に向かって「お前、干されているのに、気づかんのか?!」とか言う喜劇的振舞いは、まさに呪縛のなせる技である。

ではなぜ、深尾氏が「干されている」のに「自覚が無い」ということを、この人は「知って」いるのであろうか。それはこの人が、深尾氏を「干して」いる張本人の一人だからであろう。それに効き目がないのでますます腹が立つので、わざわざこの本を読んで、アマゾンに書き込みをして、嫌がらせをしているものと思われる。
以上、このコメントが、著者への嫌がらせを目的に書かれ、なおかつ著者が批判するアカデミズムの呪縛を体現したものである、ということが明らかになる。

FBIのプロファイリングみたいに書けば、深尾氏の「本職」は中国研究であるから、

中国研究者で、文化人類学者で、ストーカー気質のある日本人の初老の男性研究者

という像が浮かんでくる。こんな絞り込みが当たっているかどうかはわからないが、少なくとも、日本社会の「ムラ」に棲息する傷ついた魂のありようが、短い文章のなかに見事に表現されている極めて興味深いコメントであることは、間違いがない。
  1. 2014/05/16(金) 11:28:46|
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奴らはやる気だ。国民が大人しくしていると、どうしようもなくなった財政を誤魔化すため、戦争をする。

ドクター・ロマンは、医大生だった。ある試験で落第したのをきっかけに、勉強をやめてしまった。しかし大学にいっているフリを続け、卒業したフリをして、医者の資格をとったフリをして、WHOの職員になったフリをして、結婚して子どもを二人もうけて、十八年も「家族思いのパパ」のフリを演じた。妻も、親も、子どもも、愛人も、友人も、知り合いも、すべて騙した。

その生活費は、資産運用すると称して自分や妻の両親や、あるいは愛人の資産をだまし取ってそれで暮らした。「スイスの銀行で特別に運用してもらえるのだ」と言った。親戚が死にそうになったとき、「スイスの特別な薬がある」と言って、数百万円で売りつけた。妻の父親が「車を買うから金を引き出してくれ」と言ったら、突然、階段から転げ落ちて死んだ。その家にいたのはドクター・ロマンだけだった。

そしてついに、その嘘がバレる時が来た。彼は、そうになった時、家族・親たち全員を殺し、自分の家に火をつけ、自分だけ、救出された。

これは実話であり、『嘘をついた男』エマニュエル カレール http://www.amazon.co.jp/dp/4309203418/ref=cm_sw_r_tw_dp_OunDtb1009PPE という本に詳しく書かれているし、日本のテレビで再現ドラマが放映されたこともある。

私が『東大話法』以来、繰り返し指摘しているように、こういう人種がエリートを形成しているのだ。

彼らは、国民の資産を騙し取り、その金で生活を切り盛りし、財政を破綻させてしまった。
その破綻がどうしようもなくなったとき、ドクター・ロマンと同じように振る舞うだろう。
私は常々、そう言ってきた。

岩上氏の記事には次のように書かれている。五十代のエリート官僚の一人の発言だ。

 「うちの上層部はもう、戦争を覚悟しており、その方向へ進もうとしている」。

 なぜ?という問いに即座に「一部の人は、儲かるから」。戦争は一部の人間にとってはビジネスなのだ。

 「この秘密保護法を突破されたら、一気呵成に憲法改正、そして集団的自衛権行使まで突き進む。そうなったら間違いなく戦争になる。省内を見ても、他省を見ても、自分のように懸念している人間はたくさんいる。でも、上の方は戦争の方向へ進む気でいる。食い止めるにはここしかない」と、昨年末の時点で、このキャリアはそう断言していた。

 「日本の財政はもうこんなに悪化している。戦争でもやって儲けるしかないと、本気で思っている」。

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/140101


「戦争でもやって儲けるしかないと、本気で思っている」と言っているが、私にはそうは思えない。その程度の合理性すら欠いているように思うのだ。彼らは、自分たちの嘘を誤魔化すため、ドクター・ロマンと同じように、国民を殺し、家に火を放とうとしているのだ。

私だって信じたくはないが、彼らがそういう人間であれば、大人しくしていれば、ドクター・ロマンの家族のように、わけもなく殺されるだろう。



  1. 2014/05/16(金) 00:17:56|
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マイケル・ジャクソンの没後アルバムについて

またマイケルの「ニューアルバム」が出る。

しかし私は、これらはマイケルの作品とは認めない。
彼の残した音源が、そのまま発売されるなら、マイケルが完成したとは認めていないという意味で芸術的価値は劣るが、まだ資料的価値がある。
しかしそれを、わけのわからない編曲と音源操作で「それっぽく」して作る音楽には、資料的価値もなければ、芸術的価値もない。

どうかこういう無駄な商売はやめてほしい。

以前から私が言っているように、彼の残した全ての音源や楽譜や歌詞や文書を、その来歴を含めて完全に調査し、オリジナルに忠実に編集した「マイケル・ジャクソン大全」を一刻も早く作っておかねばならない。それはまさに人類の遺産であり、何世紀も人々に恩恵を与え続けることになる。

この事業をすれば、その機関は、マイケルを人々が愛する限り、永遠に反映し続けるはずなのだ。ローマ・カトリック教会やギリシャ正教会のように。
  1. 2014/05/09(金) 10:07:21|
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深尾葉子「ある黄土高原農民の死」

深尾葉子大阪大学准教授は、二〇年以上にわたり中国・黄土高原の村に調査に赴いている。私も、過去十年ほど、参加させて頂いている。そこでお世話になっている家の戸主が昨年末突然病気で亡くなった。黄土高原の典型的な住居ヤオトンのその家には、これまで日本から多くの人が訪れ、泊めてもらい、彼と彼の奥さんの美味しい手料理をごちそうになっていることから、多くの人が関心をもって関わっている。今年のお正月に第一報の悲報が届いた際、これまでゆかりのあった日本人に知らせたところ、多くの香典が寄せられた。中国の農民は現在医療の集団保険に加入していて、治療費の一部はカバーされるものの、遠方の病院での治療や高度医療、入院費などカバーされない費用も多い。今回も短い間ではあったが、集中的な治療と手術に何万元ものお金を要した。そのため、日本から寄せられた香典も、借金して工面した治療費の返済にあてられている。今回、深尾准教授が、村を訪れてお金を届け、その死の前後の様子を詳しく聞いた。以下の内容は、現代中国農民のおかれている境遇や社会状況、そして黄土高原の農民が最期に自らの尊厳をとりもどして、死を迎える様子が書き表されているとともに、我々にも共通する現代医療の問題なども表現していると思われるので、ここに掲載する。

この家では、陝西省北部の郷村の伝統的様式を復活させて、日本人が結婚式を行う、というイベントが行われ、全中国に広く報道された。その様子は以下の「楊家溝村日本人結婚式の経緯」で紹介している。

http://individuals.iii.u-tokyo.ac.jp/~yasutomi/hunli/index.html


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【ジーホイの悲報】

 2014年のお正月二日目、突然電話がなった。電話口の向こうは私が黄土高原でお世話になっている家族の息子、タールンだ。こちらから電話をかけることはあっても、向こうからかけてくることは珍しい。何かあったんだろうか、と一瞬緊張する。どう?そちらは皆元気?と聞くや、重い声で「父が亡くなった」と告げた。
 一瞬、なんのことかわからなかった。父ってジーホイが?わずか4ヶ月前村を離れた時は、いつになく顔色もよく、これからゆっくりと心豊かに老後を送れるようになったと喜んでいたばかりだ。まさか、そんなことが?あまりのことに一瞬呆然とする。なぜ?どうしてこんなに早く?
 15年ほど前から胃をわずらって、重労働も畑仕事もできなくなってはいたものの、数年前に孫が誕生してからは、生活にも張り合いができ、最近はとても楽しそうに見えた。もともと、料理が上手く、我々日本からの訪問客に温かく接し、美味しい手料理でもてなしてくれていたので、彼を慕う日本人は何十人といる。ようやく60を過ぎたばかりで、子どもも独立し、心身ともに負担が減った矢先に病に倒れるなんて。
 聞くと8月に我々が村を離れてからしばらくはいつもどおりに過ごしていたが、9月末頃から少し具合が悪いのを感じ始めた。同じヤオトンに暮らすターガーが、夜中にトイレにいく回数が増えているのに気が付き、どこか悪いのではないかといって、20キロ離れた県城の病院に検査にゆくことになった。とはいえ、秋は収穫のシーズンで、農作業を一手にに担う妻のルオリンは、ジャガイモや雑穀の収穫に忙しい。自分自身も、親戚の結婚式の「総管」(ゾングアン・全体の進行を指揮する責任者)の役を引き受けていたので、10月末までは、いつもどおりに過ごし、11月になってようやく県の病院に足を運んだ。まずは県医院で検査をしたが、そこでは胃が悪い以外に異常はない、という。長年この病院で診てもらい、一日12元の胃薬を飲み続けてきたが、今回はどうもおかしい、というので、同じ県城のもう少し設備のよい病院で精密検査をうけることにした。県城の息子の家に夫婦で泊まりこみ、毎日病院で点滴を受けながら検査の結果をまった。同病院の医師は、「ここでは何も有効な治療はできない。もしも希望するなら西安の病院で、開腹せずにできるレーザー治療の手術が受けられるから、それを受けてみれば何か事態を少し好転させることができるかもしれない。もし手術が成功したら、またこの病院に帰ってくれば点滴など簡単な事後治療はできるので戻ってくればよい」と本人に語った。本人は「そういう医療があるならぜひ受けてみたい」と語り、一旦村に帰宅し、西安の病院にゆくための準備を整えることになった。実は検査の結果は肝臓がんの末期で、息子や妻のルオリンには、余命は数ヶ月、県の病院ではなんの手も打つことができないので、もし知り合いが西安にいるのであれば、西安の大きな病院に移ったほうがよいと告げられていたが、本人には末期であることは知らされず、ただ、肝臓にガンが転移している、ということだけが知らされていた。しかし、検査の結果が出る頃には、すでに腹水がたまるほど、病状が進行していた。一旦村に戻ったジーホイは自分で荷物をもって歩けるほどで、自宅へ帰るなり、西安の病院にいくための資金を自分で集めようと、小さな黒いショルダーバッグをもって、村の数件の知人の家を訪ね歩いた。12月2日のことであった。
 中国では今も民間金融が非常に発達しており、とくに内陸部農村では、それぞれの関係に応じて、親戚や友人が相互に資金を融通しあう関係が今も健在だ。農民の主たる支出といえば、息子の結婚式や、息子のための家を購入する資金の調達、まれに留学や進学などに必要な金の調達、そして病気の際の費用の工面などである。村の中では、個人の情報はとても頻繁に取り交わされ、誰がいつ、どんな目的で金を必要としているか、子どもたちや家計の状況はどんなものか、など、詳細にうわさ話がやりとりされている。ジーホイの家族は村では、金持ちというほどでもないにせよ、外国人が出入りし、妻方の親戚が多数西安にいて、皆それなりの仕事をしているため、恵まれた家族だと考えられている。また、以前息子が県城に家を買う際に一度借金をしたことがあるが、それも数年で全部完済し、信用度はかなり高い。
 この時ジーホイは、自身が病気であることは告げずに、少し金が必要だが貸してほしい、と金銭状態の豊かな村の家を数軒まわり、一件1万5千元から4万元まで、あわせて13万元の資金を借り入れた。前回息子の家を買う際には、親族からの借り入れが多く、利息はなかったが、今回は村の人からで、初めて利息のつく借り入れであった。
 村人は、ジーホイが自らの病気治療のために金を借りていることをうすうす知ってはいたものの、特に問いたてることはせずに、金を貸してくれた。1万元借りるごとに、一ヶ月4元の利息(実際には日割り計算)が現在の相場だ。
 西安にいくための資金を自分で調達し、まもなく息子の手配で西安の病院に入院する手はずがととのって、列車にのって600キロ離れた西安まで家族とともに向かった。家族はジーホイの病気が助からないものであることを聞かされてはいたが、西安には先進医療があると聞き、手を尽くさずに座して死を待つよりは、よりよい医療を受けて助かる見込みはないだろうか、と一縷の望みを託しての決断だった。
 中国では、何か特別な縁故がなければ、大きな病院で手術を受けることも入院することも極めて困難な現状だが、西安を拠点に全国で子どもの遊技場の遊具を貸し出す商売をしている二番目の息子の嫁が安康出身で、お父さんの同級生である親友が西北五省でもっとも医療水準が高いとされる西京医院の事務局長をやっていることがわかり、その紹介で、特別に入院が許可された。今回受けるのは開腹手術ではなく、管を通してレーザーで手術をするといもので、順番を待つ人が多数入院する中、ジーホイは症状が悪化し、緊急を要するということで一週間早めて12月半ばには手術を受けられることになった。この時ジーホイは、自分はなんとよい親戚に恵まれているのだろうと、たいそう喜び、西安での手術にきわめて前向きだったという。この手術は一本1万元。農民の医療保険は、戸籍のある場所での医療には適用されるが、外地での高度医療には適用されず、すべて自費負担となる。西安には妻の姉妹兄弟とその子どもたちが多く住んでおり、全員が総出で看護にあたり、手術を受けることになった。手術は3箇所で、その手術代だけで3万元の支出となった。もちろん本人は、なんとか病気を治して自ら借金もかえそうという意気込みであった。
 しかし、そもそも肝臓がんが末期に達し、体の免疫力が著しく低下している状態で、たとえ影響の少ない手術とはいえ体に傷をつける手術を三箇所も行ったことから、術後容態は一変し、大量吐血とともに、腹部に大量の内出血があり、腹部から腰回り全体が内出血で紫に腫れ上がるほどの状態であった。痛みも激しく、わずか一週間前に自分で列車にのって入院したとは思えないほどの激変であった。病院側は、手術で7割の摘出には成功したが、あとは本人がその影響を乗り越えられるかどうかにかかっている、と説明し、これ以上手をうつことはできないので、できるだけ早く退院し、自宅にもどるよう説明した。要はもはや助からないので、病院で命を落とすよりも、一刻も早く自宅に帰って最後を迎える準備をするように、とのことである。また、西安の病院で亡くなった場合、都市民への死後の処理が適用されるので、近くの火葬場で火葬され、遺骨で村に帰ることになる。黄土高原の農民は今も土葬が一般的で、どうしても火葬を受け入れることができないため、親族は一刻も早く退院させ、生きている間に村に送り届けなければ、という思いにかられていた。またこの頃、2度にわたって、大量の吐血もあり、村への搬送は一刻を争う事態となった。
 手術のあとの大量出血と痛みにより、もはや通常の車でも600キロの移動は困難なので、家族はやむを得ず、個人開業の救急救命車両を雇い、12月の23日の早朝午前5時、病院の下で待機した。総勢20名を超える西安の親戚一同も病院にかけつけている。ところが、本人は「病気は始まったばかり、西安の病院を離れては治療ができないから自分は帰らない」とまったく帰ろうとしない。救急車両も親族も階下で待機する中、本人は病院を離れ村に戻ることを一切受け入れようとしなかった。ついに、常家の2番目の姉婿(妻の家族)が病室に入り、「ジーホイ、帰ろう。処方箋も全部渡してもらった、これ以上ここにいても何もできないから、あとは帰って県の病院で点滴を受けよう」と説得した。
 この時初めてジーホイは、自らの病状がもはや助からないものであることを悟り、病院の衣服から帰宅するための衣服へと着替えることに同意したという。その後も立ち上がることも困難な中、担架で運ばれて、救急車輌に乗り込み、一路米脂県に向かった。一緒に車に乗り合わせたのは妻のルオリンと、二人の息子、タールンとアールンだ。
 民間の救急車輌は、公的な救急車輌は使えないが、一般の車輌では輸送が困難な重篤な患者専用のもので、車輌には酸素マスクや血圧計、救急救命の器具などが搭載されている。しかし、医師や看護婦や救命士が同乗するにはまた別途料金がかかり、しかも急な手配で数百キロ離れた村まで同乗してくれる人を見つけることもできなかったので、家族のみ同乗し、2名の運転手が交代で、運転にあたった。救命士が同乗しない状態では、緊急車輌も担架で運び入れることができることと、交通渋滞をすりぬけることができる以外には一般車両とそれほど変わらない。しかもその費用は4000元で、少しでも道中様態急変などで時間をとった場合はさらに料金が加算されるしくみだ。
 道中、痛みがひどくなり、何度も途中の病院に寄ろうとするも、救急の受け入れ体制は十分ではなく、痛み止めも十分に持ち合わせていなかったため、ひどい苦しみの中の搬送となった。揺れる車内での痛みのなかで、故郷に送り返されることの無念を訴える父についに2番目の息子が言った。「父さん、病院は治してくれないのではなくて、もう、父さんの病気は治せないんだ、、」と。この時ようやくジーホイは、本当にもはや打つ手はないのだということを知り、「なぜ、それならもっと早くそのことを知らせてくれなかった。治らないとわかって手術を受け、高額の医療費を払い、命も助からない。おまえたちは立派な息子だが、どうしてそんな大事なことを今まで知らせなかったんだ」と目を見開いて涙した。
 息子は、「西安には高度な医療があると聞いて、もし手を打って助かるのならと思って命綱にすがるような気持ちだった」といい、妻は「お金のことは心配しなくても、息子たちがいるから大丈夫だ」と諭した。そして、ようやく、県城から医師を連れて高速道路をかけつけた娘婿と合流すると、痛み止めの注射を打ち、まるで先ほどまでの苦しみが嘘のように、落ち着いた。
 覚悟を決めたジーホイは、「県城の病院ではなく、直接家に送ってくれ。県の病院に行ったところで、いずれまた家まで戻るだけなら、今のうちに家にもどるほうがいい。その際、自分たちが新婚の時に住んだ奥のほうの家に送り届けてくれ」という。奥のヤオトンは、日頃住んでいるヤオトンが妻方の名義の所有なのに対し、自分の名義の所有で、そのまま葬儀の会場として使うのにふさわしく、また、村の奥まったところにあるため、緊急車両で搬送されるのに、少しでも目立たないように、という配慮からだった。息子たちはすぐさま県城の嫁や娘に電話して、村の奥のヤオトンのオンドルに火を入れ、湯をわかして、電気毛布を敷き、温まった状態で、部屋に入れるように準備するようにと頼んだ。そこから、村に帰るときは、あまり具合の悪い様子は見せたくないので、なるべく静かに家に入り、葬儀はできるだけ簡単に済ませるように、葬式の食事は極力おさえて、お金をつかわないよう、と冷静に、そして細かく息子に言い聞かせた。これまで治療でお金を使ってしまった以上、葬儀にはお金をかけるな、というのだ。陝西北部の農村では、お葬式は3日にわたって、最大9食ないしそれ以上の食事を供する場合もある。近年は簡素化し、2日で2食のみ、というパターンも徐々に普及しつつあるものの、一食も供しない葬式はまだない、というので息子たちは「父さん、いくらなんでもそれはない。一日目に料理を出し、二日目にハーラオ(押し出し麺の料理)を出すくらいのことはさせてほしい」と懇願し、ついにそれは「お前たちが決めたらいい」と譲歩した。しかし、葬儀につきものの花火は一切しないこと、バイルートンという送り火も最小限にすること、帳(チャン)と呼ばれるお香典は一切受け付けないこと、などは、すべて父親の言うとおりにした。また、12月の初旬に自宅を離れてから約1ヶ月上の息子は仕事もなにもかもなげうってずっとつききりであり、外で働く二番目の息子も西安についてからずっと付き添いであったので、「私が死んで、二日間の葬儀を終え山頂の墓に私を埋葬したら、すぐにもとの生活にもどるように」とも指示した。
 途中、「どこまで来たか」と何度も訪ね、ようやく村に続く谷にさしかかると、いままでの様子が嘘のように顔色もよくなってきた。
 夕方ようやく村につくと、すでに用意されたヤオトンのオンドルに横たわり、しばらく休んだあと、自分専用の携帯電話を出して、これまで西安で面倒をみてくれた親戚全員に自分で電話をし始めた。「おー、村にもどったよ。病気は帰り道、途中でどこかに置いてきてしまったようだ。今はとても気分がよく、元気になったから安心してほしい。西安ではいろいろと世話をしてくれてありがとう」と一人ひとりに礼をいったという。数日前大量に吐血し、あれほど苦しんでいた人からの電話とは思えないような明るい声で電話を受けた親戚は、一同驚いたという。村では、2週間ほど前、西安の病院に行くと言って村を後にしたジーホイが、緊急車両で搬送され、余命はもはやほとんど残されていない、という噂が瞬く間に広がったが、わずか1ヶ月ちょっと前、結婚式の総管をつとめ、元気に振舞っていたジーホイがまさかそんなことはないだろう、そんなのはきっとデマだろうと誰もがいぶかるほどの突然の展開であった。
 しかし、西安で手術を受けて以来、血小板の値が著しく低下し、一旦出血があると、流血が止められない状態となっていた。入院してからは、大好きな食事も、水を飲むことも禁じられていたという。点滴で水分を補ってはいるものの、口のまわりは乾燥し、もう10日以上ものを口にしていなかった。かつて肉や卵が大好きであったが、病気になってからはずいぶん長く食べるのを抑制していた。最後に、大好きだったスイカを二口食べて、それ以来また、何も口にしなくなった。この間、妻のルオリンはずっと傍らで看病し、手を握って少しでも安心できるよう、涙をこらえて世話をした。何度も涙をこらえきれなくなるルオリンに、村の友人たちは、「子どもたちの事を考えて、気をしっかり持つのよ、あなたが泣いていては皆が不安になるから」と励ました。村に帰ったジーホイを迎えた孫の馬宇暁は、自分を小さい頃から育ててくれた大好きなおじいちゃんにすがりついて、「おじいちゃん、いつになったら県城の僕の家にまた僕の世話をしにきてくれるの」と大声で泣き、大人たちの涙をそそった。
 23日に村にもどってから痛みで夜も十分に眠れない状態が続く。知らせを受けて、今は延安に住む村の親友が駆けつけた時には、たいそう喜んで、「おお、お前も帰ってきたか」と安心したという。実は葬儀には村の木匠であった彼が「総管」を務めることになっており、ジーホイは事細かに葬儀の内容を指示した。この時まで、意識はきわめてはっきりとしており、話もはっきりとしていた。この木匠の友人が到着したあと、ジーホイは徐々に昏睡状態に陥り始め、当初は時折目を見開いていたものの、徐々に眠っている時間が増えるようになり、翌日夕方5時ころ、呼吸がだんだん遠くなって、ルオリンが手を握って見守るなか、すーっと眠りにつくように息を引き取った。12月28日夕方5時、入院のため西安にむかってからわずか3週間、村にもどって5日目のことであった。当初ジーホイは、土葬の際の服装も、新しく買う必要はない、いままでの古い服装で良い、と言っていたが、生前からスーツが大好きだったことから、二番目の息子が県城で真新しいスーツを買い、最後に息をひきとった時には、上下の揃いのスーツを着た状態であった。若いころ、勉強して大学にゆきたいという夢を持ち、その後もただの農民に終わることなく、なにか成し遂げたいという夢を持ち続けていたジーホイ。服装の趣味がよく、外出する際には、革のジャンバーやブーツなどをおしゃれに着こなし、決して黄土高原の田舎から出てきた農民に見えない姿で街にでていったジーホイにふさわしい、最期の姿であったともいえる。中国農民は、かつて人民公社時代に中山装を身につけ、改革開放後は、スーツやブレザーを着ることで、少しでも都会風な出で立ちを身につけようとしたが、農民であることに甘んぜず、何か新しいことを始めたいと思いつつ、思いを叶えることのできなかったジーホイは今、スーツ姿で黄土高原の大地に眠っている。このことは彼と彼の時代の人々の人生を象徴的に物語っている。



 
  1. 2014/05/04(日) 12:29:18|
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