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マイケル・ジャクソンの思想

早川由紀夫教授の発言の倫理性について

出版記念シンポジウム
アカデミズムは原発災害にどう向き合うのか

2013年2月11日(月)
於: 東大本郷キャンパス、法文2号館

主催)福島大学原発災害支援フォーラム(FGF)
  +東京大学原発災害支援フォーラム(TGF)

について、早くもメモをアップされた方がいる。

いたちまる雑記: 【Nuke】FGF+TGFシンポ
http://itacim.blogspot.jp/2013/02/nuketgffgf.html


この中で私が

安冨: 福島の農家の方は、恐ろしい目にあっている。それなのに「痛くないふり」をしている。多くの福島の方は、農民の方も一般市民の方も「痛くないふり」を強制されている、あるいは強制されてもいないのに「痛くないふり」をしておられる。そのふりをしている限りは何も起きない。子どもも「痛くないふり」をしろ、というメッセージになってしまう。福島の農民が(早川さんの言葉に)怒るということは「痛み」を感じているということ。

と発言し、最後に、

安冨: 早川さんは倫理的には正しかった。ただ、社会的に正しかったかどうかは分からない。

と発言した。これについては、

原発災害とアカデミズム: 福島大・東大からの問いかけと行動
http://www.amazon.co.jp/dp/477261107X/ref=cm_sw_r_tw_dp_zuqgrb08CFQVG

に書いた私の論文「早川由紀夫教授の福島第一原発事故に関するツイッターにおける発言についての考察」を読んで欲しい。

しかし、今日の発言は、その論文だけでは足りないのかもしれないので、補足したい。もう少し正確にあの場で説明すべきだったと後悔しているが、コーディネーターとしては既にしゃべりすぎだったので、無理だった。なので、ここで簡単に説明しておきたい。

ここで私が言ったように、福島の人々が、痛くないフリをしているのが、問題の核心である。彼らが、痛い、と言っていただけないと、日本は救われない。私は、権力にあぐらをかいている人々を解剖することには、何の痛痒も感じないが、しかし実のところ、彼らは屁の河童であり、何の痛痒も感じない。それゆえ、既に踏み出した人々の手助けにはなっているかもしれないが、人々の行動を変革する、という点ではあまり意味がない。

いま、最も意味があるのは、痛みを感じないフリをしている福島の人々に、痛みを表明して頂くための手伝いをすることである。私の考えでは、それに最も成功した人は、今のところ、早川由紀夫教授である。彼が惹起した怒りは、早川教授への怒りという、トンチンカンなものであるが、それでも、何もないフリをするよりは、はるかにマシである。

残念ながら、私は、どうしても、彼のようには発言できない。

早川教授は、そういうことを、情報提供を広めるため、としてやっており、また、もしかすると、彼がそういう発言をするのは、彼自身の心の歪みの表現という病的なものなのかもしれない。しかしそうだとしても、実際に、福島の人々の怒りを惹起することに成功している、という事実は、動かない。しかもそれは、自分自身を危険に晒して行なっていることである。

それゆえ、早川教授の発言は、倫理的に、正しい。

「社会的に正しいかどうか知らない」と言ったのは、より正確に言えば、「世間的には正しいと思われないだろうけれど」という意味と、「運動論としては正しくないのかもしれないけれど」という意味である。
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  1. 2013/02/12(火) 01:43:05|
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