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マイケル・ジャクソンの思想

叢書 魂の脱植民地化 第1巻 深尾葉子『魂の脱植民地化とは何か』

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「叢書 魂の脱植民地化」の編集者の一人である深尾葉子のはじめての単著が、この叢書の第一巻である。

青灯社のHP
http://www.seitosha-p.com/shinkan/


あるいは

アマゾン
http://www.amazon.co.jp/魂の脱植民地化とは何か-叢書-魂の脱植民地化-1-深尾葉子/dp/4862280609/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1348577570&sr=1-3


から注文できる。

内容の構成は以下である

第一部 私自身のプロセスからの考察
第一章 魂の植民地化とは何かーー呪縛・憑依・蓋
第二章 魂の遍歴ーー日本における文革体験と中国でのフィールドワーク

第二部 魂の脱植民地化理論の新展開
第三章 ゼミ学生とのやりとりによる概念の発展
第四章 「魂の植民地化」研究の展開

第三部 魂の植民地化・脱植民地化研究の応用
第五章 『ハウルの動く城』に見る魂の脱植民地化過程
第六章 フクシマ・ディアスポラーーゆがめられた言説が生む苦悩と葛藤

終章  魂の脱植民地化に向けてーー「蓋」と「箱」の構造


これでは一体、何の本なのかわからないかもしれないので、本書の冒頭に私が書いた「序」を掲げておく。尚、この叢書では、著者以外の関係者による「序」を付ける予定である。

=============序================
安冨歩

 「正しい」学問は、水力発電所のようなものである。人間の情動や感情を、巨大なダムで堰き止め、それでクルクルと回転する発電機を回して、電気を取り出すのである。その電気は、学術雑誌という送電線で、全人類に等しく貢献する客観的知識として配信される。
 しかし、このイメージは、実際のところ機能していない。2011年3月の福島第一原発事故以降、このことは、誰の目にも明らかになった。あちこちに登場する御用学者のクルクルと回転する頭脳から吐き出される言葉は、完全に空虚で欺瞞的であり、人々を困惑させるだけで、それは原子力ムラというごく一部の人間の下劣な欲望を満たすために、貢献するばかりである。その構造は、原子力ムラに限られるものではなく、ありとあらゆる学問を堕落させている病理が、わかりやすい形で露呈したに過ぎない。多くの学問領域は、学会と称するムラ祭りによって維持される〇〇ムラと化しており、その内部でのポストや研究費の配分を、政治的に調整する機能を主とするようになってしまった。
 この閉塞状態の原因は、「学術ダム」にある。人間の情動や感情を無視し、そこからとり出される「客観的知識」だけを実在と見做す学問観そのものに、本質的な無理がある。知識は、どこまでいっても個人的なものであって、人々の「真理を知りたい」という情熱を抜きにしてはそもそも存在しえない。その事実を受け入れるところからしか、学問が堕落から抜け出す道はない。これが「魂の脱植民地化」という学問の精神である。
 『魂の脱植民地化叢書』の第一巻を飾る深尾の著作は、この「学術ダム」の決壊を旨とする。深尾自身もまた学術ダムの犠牲者の一人であり、情動と感情との奔流を無理やりに堰き止めて「学者」のフリをしようとしてきた。しかし深尾の類まれな情動と感情との巨大な流量は、その維持を許さなかった。かくして深尾ダムは、決然と決壊した。本書は、その過程の厳密な描写である。それは全く新しい学術書のスタイルを生み出している。
 深尾の影響は、多くの学術ダムの決壊を既に引き起こした。それは、本書で言及されているように、スタンフォード大学名誉教授の人類学者ハルミ・ベフを始めとする功成り名遂げた大学者から、深尾と同世代の学者、若手の研究者、更には彼女の学部のゼミ生に至る。何を隠そう、私自身もまた、その甚大な影響を受け、受けつつある。
 この連鎖によって、情動と感情との渦巻きが、学術的知識の噴出と渾然一体となり、『崖の上のポニョ』の海の膨張の場面のような創発の開花の連鎖が起きつつある。それは、近代によって封印された、人類に普遍的な生きる知識の回復であると言っても良い。それは、学問のみならず、社会全体の創造性を豊かにする、思想運動でもある。
 この本の出版は、必ずや、更なるダムの決壊を引き起こすことであろう。それが、『魂の脱植民地化叢書』の目的でもある。
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  1. 2012/09/25(火) 22:27:14|
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叢書 魂の脱植民地化 ラインナップ

叢書 魂の脱植民地化


第1巻 『魂の脱植民地化とは何か』
深尾葉子 (大阪大学大学院経済学研究科 准教授)

http://www.amazon.co.jp/魂の脱植民地化とは何か-叢書-魂の脱植民地化-1-深尾葉子/dp/4862280609/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1348577570&sr=1-3

第2巻 『枠組み外しの旅〜「個性化」が変える福祉社会』(2012年10月下旬刊行)
竹端寛  (山梨学院大学准教授)

『魂の脱植民地化の系譜〜思想史の隠れたメインストリーム』(原稿遅れ中)
安冨歩  (東京大学東洋文化研究所教授)

『他力思想の可能性』
山本伸裕 (東京大学東洋文化研究所研究員)

『「言葉」を解き放つ〜コリア研究がはらむハラスメント性について〜』
真鍋裕子 (東京大学東洋文化研究所教授)

『あの草原に帰る日〜遊牧民から弁護士へ〜』
思沁夫(スチンフ) (大阪大学グローバルコラボレーションセンター特任准教授)
  1. 2012/09/25(火) 22:09:38|
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叢書 魂の脱植民地化:刊行のことば

「魂の脱植民地化」研究の成果を、青灯社さんが、蛮勇を奮って、刊行してくださることになった。社運をかけた大事業なので、

売れないと頓挫

しかねないので、何卒、ご支援のほどお願いしたい。この機会に

新聞をとるのをやめるか、
テレビを消してNHKの受信料を払うのをやめて、


この叢書を毎月購入していただけると、生きる上でお役に立つ、と信じている。

【刊行のことば: 安冨歩・深尾葉子】

何かを知りたいという、人間の本性の作動は、知ろうとする自分自身への問を必然的に含む。対象への真摯な探求を通じて、自らの真の姿が露呈し、それによって更なる探求が始まる。これが知ることの本質であり、これによって人は成長する。この身体によって実現される運動を我々は「魂」と呼ぶ。
 この作動の停止するとき、「知」は単なる情報の集積と抽出へと堕落する。記述された情報の明示的操作に、知識の客観性を求めようとする「客観主義」は、魂の弱さの表出に過ぎず、その惰弱が知を堕落させる。対象に関する情報のみを記述し、自らの存在を押し隠すことは、客観性を担保するものではなく、実のところ、自己を傍観者という安全地帯に置く卑怯に過ぎない。この堕落が「魂の植民地化」である。植民地化された魂は、自らであることに怯え、罪悪感にまみれて暴走する。
 「魂の脱植民地化」とは、この<知>の円環運動の回復にほかならない。それは、対象への問いを通じて自らを厳しく問う不断の過程であり、修養としての学問という、近代によって貶められた、人類社会の普遍的伝統の回復でもある。「魂の脱植民地化」研究は、この運動を通じて、魂の作動を阻害する暴力を解明し、その解除を実現する方途を明らかにしようとする学問である。
 そのために必要なことは、問う主体を含んで展開する、対象との応答全体の厳密な記述である。それこそが、読む者にとって有益な、真の意味での客観的記述ではあるまいか。
 『魂の脱植民地化叢書』はそのような客観的記述のために刊行される。
  1. 2012/09/25(火) 21:52:30|
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