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マイケル・ジャクソンの思想

『「東大話法」は単なる“批判”のためのロジックなのか?』という記事の分析

「東大話法」は単なる“批判”のためのロジックなのか?

http://www.cyzo.com/2012/03/post_10208.html


という記事が出ていた。これが面白い研究材料だったので、分析してみた。

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『原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―』(明石書店)

 「東大話法」なる造語が注目を集めている。この言葉を発案したのは、東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授だ。安冨教授は今年初めに出版された『原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―』(明石書店)の中で、「東大話法」なる欺瞞的な物言いを20項目に分類、批判的に分析している。
 安冨教授がこの話法を発案したきっかけは、福島第一原子力発電所事故での学者や官僚たちの安全性を強調する発言だ。中でも安冨氏が「欺瞞的」と批判するのは、東京大学大学院の原子力工学の専門家・関村直人教授。関村教授は一号機が水素爆発を起こした時に「爆破弁を作動させた可能性もある」とコメントした人物だ。安冨教授はこうした発言を「安全と印象づける“欺瞞言語”」だと切って捨て、「東大で見聞きする独特の話しぶりとそっくり」だと指摘。さらに、東大出身者のみならず「正しくない言葉」を用いることが「東大話法」だとする(東京新聞2月25日朝刊)。
 この「東大話法」、いくつか抜粋してみよう。

・規則1  自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する
・規則5  どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す
・規則7  その場で自分が立派な人だと思われることを言う
・規則12  自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する
・規則15  わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する
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以上のまとめは、多少ズレているところもあるが、まぁ、それほどおかしなことは書かれていない。ここから、奇妙な話法が顔を出す。

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 たしかに、テレビでコメントする御用学者たちに共通している部分がありそうだ。しかし、「東大話法」というレッテルを発案している本人が東大の教授である。何か自分の所属する大学に恨みでもあるのか。あるいは「規則7 その場で自分が立派な人だと思われることを言う」を意図的に実践しているのか。
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これは、「新規則」の「読まずに批判」の典型である。私の本にはこう書いてある。

私には、私を雇用し、自由に研究させてくれているありがたい職場である東大を攻撃する意図はありません。・・・私が本書を書くことにしたのは、私たち自らが「東大話法」の最大の被害者であり、それゆえにこそ他者を加害している、という辛い事実と向きあうべきだと信ずるからです。・・・私は、東京大学を「東大話法」の呪縛から解法することが、東京大学で禄を食む者としての使命であり、それによって原発事故をはじめとする構造的困難に直面する日本社会に貢献する道にほかならない、と思うのです。(16〜17頁)

この引用から明らかなように、昼間たかし氏は、拙著を読んでいない。

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発想の原点が「原発事故で安全性を強調する発言」だというが、情報がない中で話しているんだから当然といえば当然だし、逆に情報もないのに「もうダメです……」なんてコメントされたほうがパニックになりそうだ。
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「発想の原点が「原発事故で安全性を強調する発言」だというが」と言っているが、これも私の言っていないことである。東京新聞の記事では「発想の原点」ではなく、「着想のきっかけ」だと書いてある。両者は意味が全く違っている。発想の原点がどこにあるかは、本を読めば明らかなのだが、新聞記事しか読んでいないので、こういう誤読をする。それに、私がいつ「もうダメです」などと言えと言ったのか。これは、この著者が、私を「反原発」と勝手に分類して、レッテル貼りをして、その言動を捏造しているから、こういうことになるのである。

規則8 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。

である。

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 1999年に東海村JCO臨界事故があった際、反原発の集会で広瀬隆が「もう東京は終わりだと思った」と語り、コンピューター2000年問題による原発の危機をあおったが、これは「規則1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する」か、あるいは「規則5 どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す」なのか。
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拙著と何の関係もない話である。

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 ひとまず原発の是非は置いておいて、やはり気になるのは「東大話法」なる新たなレッテルの登場に、東大出身者はどういった感想を抱いているのかということ。 
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「東大話法」は「レッテル」ではない。

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「そんなことあるわけないでしょ。この著者は相当、嫌なヤツですね……」
 と率直に話してくれたのは、東大工学部出身の松本准平さん。東大に通いながら吉本総合芸能学院(NSC)東京校に通ったり、今年5月には全国公開予定の映画『まだ、人間』で商業監督デビューを果たすなど、型破りな人物。それだけに期待して「東大話法」の感想を求めたのだが、最初に飛び出したのがこの言葉である。
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明らかにこの松本准平という「相当、嫌なヤツ」もまた、拙著を読んでいない。読みもせずに「そんなことあるわけない」と断言するのはなぜかというと、この人物が、東大話法の話者だからだ。東大話法の話者は、全ての人間が、同じように話をしている、と信じているので、自分の話法が特殊で異常であることが、わからないのである。

=======
「“東大話法”とされるような言葉を使う人がさほど大勢いるとは思いません。とはいえ、“東大話法”のようなレッテルを貼っての批判も一定程度、評価できるところがあります。これも、不安を抱えて何かに依存するしかない現在の人間の姿だと思うからです。
=======

この文章は何を言っているか、サッパリわからない。何をしているのかというと、否定したり、評価したりして、

規則19 全体のバランスを常に考えて発言せよ。

をやっているのである。

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僕は映画に携わっていますが、僕の劇場デビュー作『まだ、人間』では、今の僕と同世代の若者の“リアル”を捉えようとしました。あらゆる価値が混沌とした時代に、いつの間にかカネに依存したり、宗教に依存したり、恋愛関係に依存したりするのは弱い私たちの常だと思います。
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というのは、

規則2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。

である。私の言っている話と何の関係もないことを、「東大話法」と関係付けて牽強付会している。そしてここで言っているのは、ただの自己宣伝に過ぎない。

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東大話法なんて、僕だって誰だってどこかで使ったことがあるのではないでしょうか」
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これは、

規則15 わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。

である。

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 「東大話法」をめぐっては、東京新聞は人気ページ「こちら特報部」で大きく紙面を割いて紹介。インターネット番組『マル激トーク・オン・ディマンド』で安冨教授がゲストに招かれた際には、首都大学東京の宮台真司教授が賛意を示すなど、本の発売以来2カ月余りのわずかな期間で、知識人を中心として、安冨教授への賛意は広がっている印象だ。
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この箇所はウィキペディアの「東大話法」の項目 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E8%A9%B1%E6%B3%95 からのパクリである。おそらく、トークの方は見ていないだろう。

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 しかし、相手を批判するための新たなロジックとして利用するだけでは、5年も経たずに忘れ去られてしまうかもしれない。
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なんのこっちゃ!!
意味が全くわからない。日本語になっていないのである。「相手を批判するための新たなロジックとして利用するだけでは、5年も経たずに忘れ去られてしまうかもしれない。」という文章の主語は「東大話法」だろうか、「安冨歩」だろうか。何かを「利用する」なら主語は人間だろう。しかし、私は自分で「東大話法」を提唱しているのだから、「利用」しているのではない。主語が「東大話法」なら、「利用する」のはおかしい。後半の、5年も経たずに忘れ去れるといっているのは、「東大話法」の方だろう。もし「安冨歩」だというのならお笑いである。私は、世間に覚えてもらっているかどうかなど、昼間氏と違って全く気にしていない。結局のところ昼間氏は、このような奇妙な文章を書くことで、「東大話法」と「安冨歩」との双方を侮辱したいのであろう。

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(取材・文=昼間たかし)
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そういうわけで、この人物が、拙著を読みもせずにいい加減な記事を書いたことは、以上で明らかである。この文章は、何らの根拠ものなく、悪印象をつくりだす悪質なものである。この手口は、池田信夫氏の拙著に関する一連の記事と構造的によく似ている。拙著を読まずに悪口を書くのも、日本語読解力の欠如も、池田氏とそっくりである。どうも私の「東大話法」研究を貶めようとする者は、「東大話法」を使ってしまい、私の議論の補強材料を提供するに終わるようである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%BC%E9%96%93%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%97 によると、昼間氏は、東大ではなく、立正大学のご出身だそうである。この大学の第16代学長は、私が昭和期の日本人として最も尊敬する石橋湛山である。昼間氏には、東大出身者に阿るような駄文を書くのではなく、石橋湛山のジャーナリズム精神を継ぐ、まっすぐな文章を書いて欲しいものである。

【追記】昼間氏のツイッターを見たら、「東京大学大学院情報学環教育部研究生」と書いてあった。これは、情報学環が新聞研時代からやっている、外部向け(内部も受けられるが)のジャーナリスト塾みたいなものである。つまり、東大話法を勉強しに行って、すっかり感染してしまったらしい。
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  1. 2012/03/22(木) 21:57:28|
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