日本原子力学会が、
■被曝による健康への影響と放射線防護基準の考え方(2011/4/14)という文書を出していた。これも、人を騙そうとする書き方がされているが、
「■プレスリリース「福島第1/第2発電所 放射線レベルについて」(2011/3/16)」に比べると、騙し具合が弱まっている。
まず、ICRP勧告を、
(1)正当化(Justification)、
(2)防護の最適化(Optimization)
(3)線量限度(Dose Limit)の三原則に基づく放射線防護体系
を基本としている、とする。それぞれの内容は以下である。
============
(1) 正当化:いかなる行為も、その導入が正味でプラスの利益を生むものでなければ採用してはいけない。(放射線等の利用によりリスクを上回る便益があること。)
(2) 防護の最適化:すべての被曝は、経済的及社会的な要因を考慮に入れながら合理的に達成できる限り、低く保たなければならない。(できるだけ被曝を低減すること。)
(3) 線量限度:医療被曝を除く、すべての計画被曝状況では個人の被曝は線量限度を超えてはならない。(医療被曝については、基本的に放射線被曝を受けることによるリスク以上の便益(病気を発見する、病気を治療するなど)があると考えられるため、 お医者さんの判断に基づいて管理されています。)
============
この原則は重要である。特に、「放射線等の利用によりリスクを上回る便益があること」という正当化原則は重要である。この原則から、原子炉から出てきて、何の利益もないのに、浴びせられたり、飲まされたり、食べさせられたるする放射能による被爆は、全く正当化されない、という重要な帰結が得られる。これが我々にとって、何よりも重要な原則である。
日本原子力学会の会員が運営に直接間接に関与する原子炉から出てきた放射能を、我々は、ほんのわずかでも、浴びせられる筋合いはない。なぜなら、そこから何の利益も得られないのだから。このことが、この正当化原則から出てくることを明記しておきたい。しかし、彼らは、この重要な帰結を書いていない。
次に、
===========
100mSv(ミリシーベルト)以下の被曝では確定的影響(*1)は発生しないとしていま す。一方、100mSv未満の被曝であっても、がんまたは遺伝性影響の発生確率が、等価線量の増加に比例して増加するであろうと仮定するのが科学的にもっともらしいとしています。これを確率的影響(*2)と呼んでいます。
===========
とする。つまり、100ミリシーベルト以上浴びたら、必ず、健康に影響がある。それ以下だったら、健康に影響があるかもしれないが、それは、「等価線量の増加に比例して増加するであろうと仮定するのが科学的にもっともらしい」という。これは、私が繰り返し指摘している、「線形しきい値なし仮説」である。ICRPは、低レベル放射線被曝についての、線形しきい値なし仮説を明確に保持しているのである。
つぎに、低レベル放射線被曝について説明する。
===========
・ICRPが勧告するがん死に対するリスク係数は、1Svあたり約5%である。
・これに基づけば、100mSvの被曝により、がんで死亡する確率が約0.5%増える。
===========
この係数は、既に述べたように、ゴフマン係数よりかなり甘い。ゴフマン係数は、2.68人シーベルとで、誰かが癌で死ぬ。ICRP係数は、20人シーベルトで誰かが癌で死ぬ。しかしそれでも、その差は7.5倍である。ということは、もしも、首都圏3000万人が、100ミリシーベルト被爆したとすると、
300万人シーベルト÷20シーベルト=15万人
が癌死する、ということである。ゴフマン係数ならその7.5倍となる。
現段階では首都圏ではこれほどの被曝は起きていないが、福島県では実際に起きている。仮に30万人が一人当たり、100ミリシーベルト被曝したならどうだろうか。政府は年間20ミリシーベルトまでは全然OKとわけのわからないことを言っており、福島県の人口は200万人いるので、これは現実的に十分予想される数字である。そうすると、ICRP係数で1500人が癌死する。十分に憂慮に価する数字ではないだろうか。ゴフマン係数なら、1万1千人を超える。
ところが、日本原子力学会はこういう。
============
・日本人の約20~30%ががんで死亡していることを考えると20%が20.5%になる程度である。
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1500人の癌死くらいなら、気にならないでしょ、というのである。なぜなら、
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・この変化は生活習慣の違い(食事、喫煙など)による変動の幅に埋もれてしまう程度である。
============
からだ、という。
こんな屁理屈で安心しろ、というのは無理である。ここで彼らが明言していることは、この程度の水準なら、生活習慣の違いなどの変動の幅に埋もれてしまって、
原発のせいだとは、バレない水準ですということである。生活習慣の違いなどに埋もれてしまってバレないのは、東電や政府や日本原子力学会にとってはまさしく嬉しい知らせである。しかし、死ぬ方にすれば、たまったものではない。それに死ぬのは現時点の子供が中心である。自分の子供が、20年後に、青春のただ中で、癌や白血病でもがき苦しみながら死ぬのを看取る方にとっては、たまったものではない。しかも、低レベル放射線被曝と癌死との関係性を立証するのは不可能に近いから、泣き寝入りを強要されるのである。
さて、ICRPは彼らの議論に基づいて、次のように勧告している。
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ICRP文書(2011年3月21日付、ICRP ref:4847-5603-4313)の要点
・ICRPは日本の状況について深い同情の念を表明するとともに、我々の考えを述べる。
・我々の最近の勧告が役に立つことを望むとともに以下を推奨する。緊急時の公衆の防護のために、計画される最大の残存線量(防護措置が完全に履行された後に被ると予想される線量)に対する参考レベルを20~100mSvのバンド内で政府が設定すること。
・線源が管理できるようになれば、汚染は残っていても、人々がその土地を放棄するのではなく、生活を続けられるようにするため、必要な防護策を取ることになる。この場合1~20mSv/年のバンド内のレベルを選び、最終的には1mSv/年の目標に向けて進む。
・緊急事態の作業者は生命を守るために、500~1000mSvの限度を守ること。
・生命救助の作業者は志願者を充て、線量限度は設けないこと。
===========
以上のICRPの勧告に従って日本原子力学会は次のように宣告する。
============
ICRPは、100mSv以下の線量では確定的影響は起きないこと、確率的影響のリスクは十分低いことから、正当化・最適化が考慮されれば上記の考え方を適用可能としています。
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これはつまりどういうことかというと、
「住み慣れた故郷に住み続けるという利益が、年間20~100ミリシーベルトの被曝から来るリスクを上回っているので、正当化される」
ということである。
なんという屁理屈だろう!!
住み慣れた故郷に住むのは<利益>ではない!!
それは当然の権利ではないのか!!
どうして、そんなことのために、被曝が<正当化>されねばならないのか!!
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- 2011/04/14(木) 23:39:05|
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日本原子力学会が原子炉の状態を分析し、その結果を公表したらしい。この分析の通りであれば、再臨界を起こしている可能性は低いことになる。もしそうであれば、有難い結果である。
しかし、そう簡単に信じる気分に私はなれない。というのも、
http://ameblo.jp/anmintei/entry-10833416702.htmlで見たように、人を騙そうとする文書をわざわざ出すような学会だからである。また、
「国民の皆様へ 東北地方太平洋沖地震における原子力災害について」(2011/3/18)という欺瞞的な文書を出しているが、これも非常に不愉快である。この文章は全体に日本語がおかしいが、それは彼らの欺瞞性の反映だと私は感じる。それに、極めて尊大である。たとえば、
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情報の収集・分析、適切な助言、社会へのわかりやすい情報発信など、多くの専門分野にわたって果たすべき役割は山積しております。このような事態を収束させるために学会会員の各自が誠心誠意、役割を果たしているところです。
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という文章は第一に、意味が通じない。第二に、「各自が誠心誠意、役割を果たしているところです」と、自慢しており、極めて傲慢である。その上、
======
さらに、この事象に対して教訓を抽出し、各機関や行政組織の施策に反映するために提言を行っていく必要があります。
======
と、原子炉が次々に爆発したあとの3月18日の段階でもまだ、この滅茶苦茶な大事故を「事象」と言っている。
結局のところ、全く反省しておらず、自分たちが何か悪いことをしたとは、これっぽっちも思っていない。本当に、この分析の通りであって欲しいと強く願うが、残念ながら、こういう厚顔無恥にして破廉恥な「専門家」集団が行った分析を、簡単に信じる気にはなれない。
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溶融燃料「粒子状、冷えて蓄積」1~3号機分析
読売新聞 4月14日(木)19時59分配信
注水冷却が続けられている東京電力福島第一原子力発電所1~3号機について、日本原子力学会の原子力安全調査専門委員会は14日、原子炉などの現状を分析した結果をまとめた。
3基は核燃料の一部溶融が指摘されているが、専門委は「溶融した燃料は細かい粒子状になり、圧力容器の下部にたまって冷えている」との見解を示した。
専門委では、東電や経済産業省原子力安全・保安院などが公表したデータをもとに、原子炉の状態を分析した。
それによると、圧力容器内の燃料棒は、3号機では冷却水で冠水しているが、1、2号機は一部が露出している。1~3号機の燃料棒はいずれも損傷し、一部が溶け落ちている。溶融した核燃料は、冷却水と接触して数ミリ以下の細かい粒子に崩れ、燃料棒の支持板や圧力容器下部に冷えて積もっていると推定している。これは、圧力容器下部の水温が低いこととも合致している。沢田隆・原子力学会副会長は「外部に出た汚染水にも、粒子状の溶融燃料が混じっていると思われる」と説明した。
最終更新:4月14日(木)22時44分
読売新聞
- 2011/04/14(木) 23:17:31|
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マイケル・ジャクソンが本当に2000ワット社会という概念を知っていて、それをこの歌に込めたのかどうか、私にもわからない。しかし少なくとも、そう思うと意味が通じるので私はとても驚いた。
現在の原子力発電所の事故を見れば、2000ワット社会がどれほど必要なことか、明らかだと私は思う。近視眼的な人々は、「原発が危ないから全部止めろというなら、一体、電気をどうやって発電するんだ」と凄む。私の答えはこうだ。
(1)とりあえずは石炭を燃やせば良い。
(2)水力と火力をフル稼働させれば、大丈夫。
(3)みんなで節電すればよい。
この三つで何年かはなんとかなろう。そのつぎはどうするのかというと、スイスの2000ワット社会は、自然エネルギーを活用しようとしている。
しかし私はそれには反対だ。というのも、いわゆる自然エネルギーという奴は、それほどエコロジーではないからだ。たとえば太陽電池だが、太陽電池パネルをつくるのに、相当の資源を食っている。効率が年々上昇しているのでもしかしたら違うのかもしれないが、太陽電池パネルをつくるのに投入されている資源+エネルギーは、もしかしたら得られる電気より、少ないのではないだろうか。大きな問題は砂埃である。太陽電池パネルは、どうしても、砂埃で汚れる。汚れると、効率が落ちる。かといって、毎日パネルを磨くわけにも行かない。自動パネル掃除ロボットとかを投入すると、資源と電気を食ってしまう。
それに、
太陽光+機械⇒電気
と、
(太陽光⇒光合成⇒植物⇒化石化⇒石油石炭)+機械⇒電気
というのは、そんなに本質的な変化とも思えない。
マイケル・ジャクソンは、
http://secret.ameba.jp/anmintei/amemberentry-10514114881.html#main で論じたように、That man in the mirror という詩のなかで、
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地球の問題を解決したいと願う良き人々を探すのは、むずかしくはなかった。彼らの解決策に耳を傾けて、私は考えた。「ここには多くの善意が、多くの関心がある」と。その晩ベッドにはいる前、鏡のなかのあの人は、真剣な顔つきでぼくを見返した。「きっとどこかに行ける」と力強い声で彼は言った。「皆が自分の役割を果たせば。」
だが、皆は自分の役割を果たさなかった。もちろん、果たした者もいるが、潮流を止めただろうか。痛み、飢餓、憎悪、汚染は解決されんとしていただろうか。願うだけではそうはならない、と私は思い知った。
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という厳しい指摘をしている。つまり、いわゆる環境問題を解決するためのアイディアというのは、結局のところ役に立たない、と言っているのだ。いわゆる自然エネルギーというものは、上の「解決策」に過ぎないのだと思う。
これに対して彼が提唱する解決策は以下である。
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「さあ、友よ」私は彼にささやいた、「愛なしに問題が解決できたりすると思うか?」。鏡の中のその人には、よくわからなかった。あまりにも長い間孤独でいたため、他人を信じられず、他人に信じられず、人生の真実から遠ざかってしまいがちだったのだ。「愛は痛みよりも真実なのか?」彼は尋ねた。
「そうだと確言はできない。しかしおそらくそうだ。発見しようじゃないか」と私は言った。私は歯を見せて笑いながら鏡に触った。「もう孤独でいるのはやめよう。私の相棒になってくれないか?ダンスが始まるのが聞こえている。」鏡の中の者は恥ずかしそうな笑顔を見せた。我々が親友たりうることがわかってきたのだ。我々は毎日、互いにより安らかに、より愛情がこもり、より正直になれるだろう。
これが世界を変えるのだろうか?私はそう思う。なぜなら母なる地球は、我々が幸福になり、母なる地球を愛し、その必要を満たすようになることを欲しているからだ。地球は恐れない人々が自分の側にいることを必要としている。その勇気は、自らが地球の一部であることから生じる。まるで、いつでも抱きとめて守ってくれる母親がいるがゆえに、赤ん坊が勇気をもって歩み出せるように。鏡の中の人が、私のための、彼のための、愛に満ちたとき、もはや恐れの入り込む余地はない。我々が心配して取り乱したときに、自らの人生とこの地球とへの愛を止めたのだ。我々は断絶した。断絶したと感じていて、地球を救うために駆けつける者などいるわけがない。おそらく地球は、望んでいることを我々に告げているのに、それに耳を傾けず、我々は自分自身の恐れと取り乱しとにたじろいでいるのだ。
ひとつ、私にわかっていることがある。自分が地球の子供であるなら、決して孤独を感じない。日々、命の全てが私の中にあるということがわかっている限り、自己の生存にしがみつく必要はない。子供たちとその痛み、子供たちとその喜び。太陽の下で広がる大洋、黒い油に涙を流す大洋。怯えて狩られる動物、生きる純粋な喜びをはじけさせる動物。
「私のなかの世界」というこの感覚を、私は常にどれほど欲しているか。鏡の中の人は、時に疑う。それゆえ私は彼を哀れむ。毎朝、私は鏡に触ってささやく。「ああ、友よ。ダンスが聞こえる。相棒になってくれるかい?さあ。」
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ここで言っていることは、自分自身の表層(=鏡のなかの自分)を、自分自身と統合する、ということなのである。これを実行することが、2000ワット社会を実現するための重要な鍵だと私は考える。それは、私の言葉でいえば、
「偽装された幸福の追求」
から
「幸福の追求」
への移行である。前者のためには原発がいるが、後者のためには全く邪魔者である。
(了)
- 2011/04/14(木) 20:00:00|
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自民党の大島理森副総裁
「人の心が分かっていない。発言があったとすればリーダーの資格はない」
公明党の山口代表
「極めて無責任な発言だ。どれほど影響があるかを踏まえて対応してほしい」
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この人たちは、自分が言っていることの意味がわからないのだろうか。リーダーの資格とは、事実を直視して方策を考え、人々の行くべき道を指し示すことではないのか。菅首相がそれを十分に果たしているかどうかは別にして、事実に反することを言うのではリーダーの資格がないだろう。
おそらく、人の心をおもんぱかって事実を隠蔽し、
「すぐに帰れるようにしますから安心してください」
と嘘をついて、あとから知らんぶりするのが、自民党の言うリーダーの資格ということなのだろう。確かに自民党政権は「原発は安全です」と言い続けて原発を大量に作り、事故が起きた今は野党だからと知らんぷりしている。自民党こそ、被災者のところにいって、土下座すべきであるというのに。
また、公明党の主張も同じで、上のように嘘をつけば、「責任感のある発言」ということになる。こんな嘘をつけば、後々、どれほどの影響があるか、よく考えてほしい。
枝野官房長官もあまりにも無責任である。「原発の周辺には長期にわたって住めない土地が出るのは事実である」と言うべきではないのか。その上で、政府は全力を挙げてそのような事態になる範囲を小さくしようとしており、もしも不幸にもそうなった場合に、東電を指導して十分な代替策を用意する、と約束すべきではないのか。
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首相の真意を関係自治体に説明…枝野官房長官
菅首相が東京電力福島第一原子力発電所の避難地域を巡り、「当面住めない」と発言したと報じられたことに関し、枝野官房長官は14日午前の記者会見で「首相はそう言っていないが、避難している皆さんに大きな心配をかけ、大変遺憾だ」と述べた。
その上で「今後の見通しも含め、政府として公式に伝えないといけない」として、避難期間の見通しなどを含め、首相の真意を関係自治体に説明したいとの考えを示した。報じられた内容が首相と会談した松本健一内閣官房参与の記者団への説明がもとになったことについては「誤解を招かないよう徹底しないといけない」と語った。
一方、自民党の大島理森副総裁は党本部で記者団に「人の心が分かっていない。発言があったとすればリーダーの資格はない」と批判。公明党の山口代表も党中央幹事会で「極めて無責任な発言だ。どれほど影響があるかを踏まえて対応してほしい」と訴えた。
(2011年4月14日15時17分 読売新聞)
- 2011/04/14(木) 16:15:58|
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本当にひどい話である。
20年住めなくなる地域が出るのは、間違いの無い事実であろう。それゆえ、避難している人が今回の発言で抱いた不安は、当然のものである。「言った」ことは問題ではなく、この恐るべき事実が問題なのである。
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「首相発言」不安抱かせた=地元踏まえ計画的避難区域指示―枝野長官
時事通信 4月14日(木)12時35分配信
枝野幸男官房長官は14日午前の記者会見で、菅直人首相が福島第1原発周辺の避難区域に「20年住めない」と発言したと伝えられた後、打ち消したことについて、「そもそも首相はそういったことを言ってなかったが、不安を抱かせる結果となったことは真摯(しんし)に受け止めなければならない」と述べた。
一方、「おおむね1カ月後」としていた計画的避難区域の指示については、「具体的な避難の仕方などしっかりと地元の声、事情を踏まえて計画を立てた上で、最終的な指示を出す」と述べた。
- 2011/04/14(木) 15:19:59|
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菅直人首相が原発周辺には当面住めないと
言った、というのが問題になっている。驚くべきことである。
チェルノブイリの1割相当の放射性物質が既に拡散しており、20キロ県外でも年間500ミリシーベルト程度の汚染が確認されている。放射性ヨウ素の半減期は8日程度だが、セシウム134は二年、137は三十年なので、数年から数十年は被曝が生じる。それゆえ、相当の汚染が生じてしまった原発周辺の土地には、人が住めなくなるのは、実に恐るべきことであるが、悲しむべき事実である。除染や客土をすれば多少は変更できるかもしれないが、どうしようもない場所もあるし、広範囲にそういう処置をするのは難しいだろう。その非情な条件は、どんなに首相が頑張っても、変えられない。
それゆえ、松本内閣官房参与や菅首相の言ったことは、たとえ被災者にとっては受け入れがたいことであるとしても、事実である。こんなひどいことになったのは、原発を推進した政府と電力会社のせいである。それゆえ、被災者が、その事実に対して激怒するならわかるし、激怒すべきだ。これほど許しがたいことはない。
しかし、飯館村の村長は、
「もう10年も20年も住めないなんて
心ない話をするとは。国を治める人の発言だとは思えない。我慢がならない」
「できるだけ早く帰れるようにすると
言うのが政治家の役目のはず。抗議をしたい」
と泣きながら怒っている。また、大熊町の町長は
「1、2年住めないのでも大変なのに、10年、20年とは。そんなことを
本当に言ったとすれば、とんでもない話」
と怒りをあらわにした、という。つまり、彼らが怒っているのは、菅首相が「原発周辺には当面住めない」と
言ったことだ、という形で報道されているのである。
私は、原発のために被災している人々ほど、怒り狂うべき人はいないと思う。こんなふざけた話はない。しかしそれは、住むところを奪われた、という事実に対して怒るべきであり、そう言った、といって怒るべきことではない。
しかしそれ以上に、なぜこんな形で報道するのかが、理解できない。被災している方々がたとえ首相の発言に対して怒っているとしても、彼らが本当に怒っているのは「言った」ことではなく、住むところを奪われたという理不尽な事実に対してであることは、明らかであろう。こんな報道をすれば、
「言わなければいいのね」
という無責任な態度を助長するばかりである。更には、
「原発周辺には住めない」
という事実の誤摩化しを助長することになる。
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首相発言なかった?…原発周辺「当面住めない」
福島原発
菅首相は13日、首相官邸で松本健一内閣官房参与と東日本大震災の復興に関して意見交換した。
松本氏は会談後、福島第一原子力発電所周辺の避難対象区域について、首相が「当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか。そういう人を内陸部に住まわせるエコタウンのような都市を考えなければならない」と述べたと記者団に明らかにした。
首相の発言が報道されると、松本氏は改めて記者団に「発言は私の推測だ。首相は言っていない」と述べ、訂正した。首相は13日夜、首相官邸で記者団に「私が言ったわけではない」と強調した。
松本氏の訂正後の話によると、松本氏は首相に、避難区域には当分「住めない」との見通しを示したうえで、住宅を高所に移したり、自然エネルギーに頼った都市を作る「エコタウン構想」を説明。首相は「それがいいのではないか。内陸部に住む選択をしていかないといけない」と応じたという。松本氏は麗沢大教授で、アジア外交が専門。
(2011年4月13日20時41分 読売新聞)
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我慢がならないと涙、「首相発言」に飯舘村長
「我慢がならない」。首相が漏らしたとされる発言に、福島県飯舘村の菅野典雄村長は思わず涙をこぼした。
福島第一原発の放射能漏れ事故を受け、役所機能を移し、住民とともに避難を続ける周辺自治体。疲労の色を濃くする首長たちは敏感に反応し、表情には憤りと戸惑いが交錯した。
「もう10年も20年も住めないなんて心ない話をするとは。国を治める人の発言だとは思えない。我慢がならない」
13日夜。飯舘村の長泥コミュニティーセンター。菅野村長は180人の村民を前に、泣いた。国から指示された計画的避難について説明しながら、「できるだけ早く帰れるようにすると言うのが政治家の役目のはず。抗議をしたい」と声を震わせた。
避難指示を受け、約100キロ離れた会津美里町に役場機能を移した楢葉町。草野孝町長は「みんな混乱する。一日も早く戻れるよう救済措置をしっかりやってほしい」と憤る。
広野町の山田基星町長は「首相という立場の人が、いとも簡単に発するべき言葉ではない。事前に自治体に説明もないし、そもそもこういう話が報道で出てくること自体、よく理解できない」と表情を曇らせた。
川俣町の古川道郎町長は「国がしっかり見通しを示さないと、余計な不安が広がる」、大熊町の渡辺利綱町長は「1、2年住めないのでも大変なのに、10年、20年とは。そんなことを本当に言ったとすれば、とんでもない話」と怒りをあらわにした。
(2011年4月14日10時28分 読売新聞)
- 2011/04/14(木) 14:05:34|
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こういうことは、自民党政権であれば起きなかっただろう。
しかし、「国際原子力村」がやるなら、意味は乏しい。
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原発事故、国際社会の検証が重要 原子力委員長代理
2011年4月14日 09時28分 東京新聞
原子力委員会の鈴木達治郎・委員長代理
原子力政策を所管する原子力委員会の鈴木達治郎委員長代理は13日、東京電力福島第1原発事故で、日本の信頼回復のため、独立した第三者委員会を設置し「透明性があり、国際社会があとで検証できるやり方」で、世界が納得できる調査をすることが極めて重要との考えを表明した。共同通信とのインタビューで語った。
菅直人首相は「世界に事故の経験を正確に伝えていくことが義務だ」と述べ、枝野幸男官房長官も独立性の高い第三者委設置の考えを示している。検証作業に欧米などの海外専門家をどう関与させるかが課題となりそうだ。
鈴木氏は「津波対策が足りなかったことは素直に反省すべきだ」とした上で、将来も原子力を推進するなら「安全の確保と国民の信頼が大前提になる」と言明。個人的見解としながらも、国内外での信頼回復には「今までの事故調査とは違うやり方を取るのが望ましい」とし、原子力安全委員会の主導ではなく、独立した委員会が事故の原因と対応を「包括的」に調査すべきだと語った。
さらに「私のところに来る海外のコメントは、日本の対応について否定的な意見が多い」「日本が信頼を根本的になくしてしまう恐れがある」として、事故調査では「国際的に信頼される透明性のあるやり方が肝要だ」と述べた。
選択肢として
(1)独立委の調査に国際原子力機関(IAEA)が関与する
(2)海外専門家による「賢人会議」を設け、独立委への助言機能を担わせる
(3)「米科学アカデミー」など権威ある海外学術機関に調査結果を検証させる―などを挙げた。
長期化が必至の事故処理についても「チェルノブイリ原発事故の時もそうだったが、積極的に国際的な英知を集めて一番いい方法を取るのがいい」と述べ「海外専門家の知恵を吸収する枠組み」構築の可能性に触れた。
(共同)
- 2011/04/14(木) 12:45:39|
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