【丑三ツ大学 コロナ廃スクール 日本近代史講義シリーズ】
・近代国民国家は、国民戦争を戦う、国民軍をつくるためにできた。
・やがてそれは、国民戦争から、総力戦へと発展した。
・総力戦のなかから核兵器が生まれ、核戦争(とテロ・ゲリラ戦争)へと発展した。
この観点から、日本近代史を語ってみました。
・江戸時代は、家制度の完成期であり、十分に安定していた。
・しかし、世界資本主義システムに取り込まれるなかで再編が起きた。これが明治維新。
・明治政府は、家制度を変形した立場主義の上に形成し、擬似的国民国家の形成に成功した。それが日清・日露戦争。
・しかし、国民戦争が総力戦へと発展したことに、対応できず、自滅した。それが第二次世界大戦での敗北。
といういうように理解しています。
ついでにいえば、
・核戦争などできもしないのに、核戦争をできる国家であろうとしていること。
・立場主義が崩壊しつつあるのに、立場主義に固執していること。
・未だに、アメリカの支配から離脱しようとしないこと。
が現代の問題の根源にある、と考えています。
■日本史概論 序 2020/04/15
https://www.youtube.com/watch?v=c4WbDLfKOWI&t=0s ■日本近代史講義 肩慣らし篇 20200416
https://www.youtube.com/watch?v=PX6b-a1mG_w&t=0s ■日本近代史講義 1 2020/04/17
https://www.youtube.com/watch?v=5U_3hyVJgfk&t=0s □日本近代史講義1 質問
https://www.youtube.com/watch?v=vl-_kxd64lc&t=0s ■日本近代史講義2 2020/04/19
https://www.youtube.com/watch?v=_QcjxpZdtDg&t=0s □日本近代史講義2の後のオンライン飲み会 2020/04/19
https://www.youtube.com/watch?v=9GdISHyXZWc&t=0s ■日本近代史講義3 片岡教祖ご臨席篇 2020/04/20
https://www.youtube.com/watch?v=tDBmZe9mf74 ■日本近代史講義4 2020/04/21
https://www.youtube.com/watch?v=v2Q-nW8YJeU&t=0s ■日本近代史講義 5 2020/04/25
https://www.youtube.com/watch?v=RDebd783EMk&t=0s ■日本近代史講義 6 ヴェルサイユ条約の欺瞞性から生じる戦後体制の不安定性について 2020/05/01
https://www.youtube.com/watch?v=typEtzoZ9j4&t=0s ■日本近代史講義7 ヴェルサイユ条約〜ロンドン軍縮会議 あたり 2020/05/07
https://www.youtube.com/watch?v=5R0Um5ZdmXY&t=0s ■日本近代史講義 8 日中戦争の拡大過程 2020/05/19
https://www.youtube.com/watch?v=CsbWbgINPFY&t=0s ■日本近代史講義 9 日中戦争からアジア太平洋戦争へ 2020/05/20
https://www.youtube.com/watch?v=fv1ToB4OoyY&t=0s ■日本近代史講義 10 敗戦まで 2020/5/21
https://www.youtube.com/watch?v=uzh5C5xOOhc&t=0s
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2020/05/22(金) 06:20:57 |
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今日、映画館ラピュタ阿佐ヶ谷にある劇場ザムザ阿佐ヶ谷で、新宿区議の依田花蓮さんとお話した。そのなかで、私の考えがまとまったので、ご報告する。
最初に、要旨をまとめておこう。
・存在するのは、差別という暴力である。
・被害者がその暴力を内在化すると、自傷あるいは他傷が生じる。
・この暴力から生じる傷は実在する。
・この傷から生じる痛みは実在する。
・この傷がコミュニケーション的に治癒し得ないのであれば、医学的治療(ホルモン投与や性器変形手術)を施すしかない。
・社会的暴力によって発生した傷の治療には、当然、保険が適用されるべきである。
★私が参議院議員になれば、戸籍の性別変更の暴力的条項の改正を目指す。
★私が参議院議員になれば、この傷の治療の保険適用を目指す。
=========
以前から私は、LGBTなど存在しない、と主張してきた。存在するのは、性自認や性的指向を口実にした差別だけだ、と考えてきたからだ。存在するのは、差別する人、だけである。彼らは、どんなことだって構わない、差別する適切な口実があれば、差別する。
しかし、差別の被害者が、そのことを真面目に受け取って自分たちをカテゴリー化し、
「自分は性的少数者だから差別されるのだ」
と思ってしまい、そのことを自分の「アイデンティティ」だと思ってしまうと、大変なことが起きる。なぜなら、それは白眼視する差別者の視線を実体化し、それを自分自身に内在化させてしまうからだ。そのとき、暴力そのものが、内在化される。
内在化された暴力が自らに向かうとき、それはひどい痛みとして作動する。
内在化された暴力が他人に向かうとき、それはひどい差別として作動する。
こうして暴力の連鎖が起きる。だから私は、被差別者は、差別者の口実に応じたカテゴリーを受け入れてはならない、と主張する。
ゲイもレズビアンも存在しない。同性愛を口実に、白眼視する愚か者がいるだけだ。
トランスジェンダー/セクシャルも存在しない。性自認を口実に、白眼視する愚か者がいるだけだ。
そして、性同一性障害などまったく存在しない。
そもそも、「性同一性障害」は誤訳だ。Gender Identity Disorder という英語の disorder は、もともと、order が秩序であるから、無秩序や混乱を意味する。医学用語ではたとえば、
disorder of autonomic function 自律神経機能(の)障害
というような用例があるが、これは、自律神経という身体の機構がちゃんと作動していない、という状態を表す。それゆえ「障害」と無理に訳せなくもない。
これに対して、Gender Identity Disorder の場合の Gender Identity は、身体の機構ではない。それは抽象的概念である。抽象的概念が「不調」になったりしない。それゆえこれを「障害」とは訳せない。この場合の Disorder は「無秩序、混乱」を意味する。男の身体なら、自分を男だと思うのが「秩序」であり、「女」の身体なら、自分を女だと思うのが「秩序」であって、逆になっていれば「無秩序、混乱」ということになる。
それに Identity というのは日本語に訳せない厄介な言葉である。「同一性』と訳しても、なんのことかわからない。これはおそらくキリスト教を背景にした宗教思想が背景にあって、日本語の世界観と合致していないのである。この場合の意味は、「性自認」とでも訳すほうが意味が通じると思う。
それゆえ、Gender Identity Disorder は「性自認の混乱」とでも訳すのが適当であろう。
さて、この disorder という言葉の背景には、男なら男、女なら女という性自認が「正しい」という前提がある。その前提が order =秩序、であり、そこからの逸脱が disorder =混乱 ということになるわけである。
しかし、そんなことを言われる筋合いはどこにもない。別に男の体に生まれてきたからと言って、自分が女だと思うのは、その人の勝手である。それが「混乱」だというのは、言いがかりに過ぎない。つまり、この言葉そのものが差別なのである。このような差別用語で、自分自身をカテゴリー化してはならない。それはひどい暴力の連鎖を引き起こす。
そして、gender reassignment surgery つまり「性別適合手術」という概念もまた欺瞞的である。なぜなら、reassignment は、assignment をやり直す、という意味であるが、この assignment というのは、生まれたときの医者による性別の判別を指す。その判別を手術でリセットしてやり直してやろう、というのがこの言葉の意味である。
しかし、医者にどうしてそんな権利があるのだろうか。そもそも、性器の形状を改変しても、別の性に移行できるわけではない。男性器を女性器に似せることはできるが、女性器の機能を持つわけではない。端的に言えば、子どもを生む力は、決して得られない。逆もまたそうである。それどころか、この手術を受ければ、生殖機能を失ってしまうのである。
結局、見た目だけの問題であるから、これは、性器変形手術でしかない。この変形を施せば、別の性になる、というのは、お話に過ぎない。
以上のように考えるので私は、性的少数者もLGBTも性同一障害も、そして性別適合手術も、存在しない、と考える。
では、これらのカテゴリーによる差別を受けている人は存在しないのでろうか。
とんでもない。
猛烈な差別がここに存在し、その暴力によって痛めつけられている膨大な数の人が存在する。
目に見える人ばかりではなく、自分の中にある性的指向や性自認に罪の意識を感じ、それを押し隠し、苦しみ、ついには自死する人は後を絶たない。
ここには、すさまじい暴力が蔓延している。
そして、膨大な数の人が、深刻な傷を受けている。
この傷は、実在する。
そして、この傷は、社会的暴力によって生み出された。
いわゆる「性同一性障害」に苦しみ、自分自身を傷つけてしまうほどに痛みにのたうちまわる人々は、実在する。
しかし、それでも、この症状は、社会的なものである。
もし無人島に生まれ育って、ひとりぼっちであれば、性同一性障害になる可能性などない。
その人が「男」であっても、自分が「男」であることを意識することがないからである。
しかし、脳溢血やガンは違う。ひとりぼっちでも、そういう病気にはなる。
それゆえ、「性同一性障害」という痛みは、社会性を前提としている。
これらの痛みは、深刻な傷害によるものである。
それゆえ、もしこの傷に苦しむ人々がいれば、その痛みを癒す必要がある。
その痛みは、外在的暴力によって形成されたものであるが、しかしそれを一旦、内在化してしまえば、自傷的に傷は拡大し、コミュニケーション的には、治癒不能になってしまうこともある。
そうなると、性ホルモンを打ったり、性器変形手術を施す必要も生じる。
これらの治療は、本質的な治癒ではないが、そうしないと生きられないのであれば、そうするべきである。
そしてその治療を受けるかどうかの決定権は、患者にあるべきだ。
もちろん、これらの治療には様々の副作用があるから、十分な知識提供は必要であるが、判断する権利は患者のものであるべきだ。
六ヶ月にもわたる精神科医のご機嫌取りを課す現在の制度は、間違っている。
それに、これらの傷は、社会的暴力によって発生したものであるから、当然、その治療には、保険が適用されるべきである。これらは「障害」ではなく、「傷害」なのである。病気ではなく、社会的暴力によって生じたケガなのだ。ケガの治療はできるだけ早くするべきだし、当然、保険が適用されるべきである。
最後に私がなぜ、こういう治療を受けなかったかを、簡単に述べておく。
私は女性装を始めたときに、こういう治療を受けるべきではないか、と深刻に考え、強烈にその欲望を感じたが、やがてその必要を感じなくなった。
私が、スカートを履いて街に出たときに、強烈な白眼視を受けた。
その白眼視が、その治療を受けたいと感じる理由であった。
しかし、やがて私は、誰もが私を白眼視するのではなく、一部の人がそうするに過ぎないことに気がついた。
問題は、私がスカートを履いていることにではなく、白眼視してしまう人にある。
そいつらが「変態」なのであって、私が「変態」なのではない。
このことに気づいて私は、自分の性自認について、それがなんの問題でもない、と感じるようになり、治療を受ける必要を感じなくなったのである。
そして、ノンホル・ノンオペのままで女性として暮らそうと、決意した。
もちろん、これは私の場合であって、傷の痛みのために生きられないのであれば、治療を受けるのは自由であるべきだ。そしてその決定権は医者にではなく、本人にあるべきだ。
2019/07/15(月) 02:26:47 |
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日本では、長い年月にわたって人類と共に暮らしてきた馬を、モータリゼーションによって徹底的に暮らしから排除してしまった。欧米先進国では、その数は限られているとはいえ、馬が暮らしと繋がっており、いろいろな場面で目にすることができる。
現代の都市は徹底的に記号化されている。先に人間の頭で記号操作が行われ、それに応じてコンクリートで固められおり、あらゆる場所が綿密に覆われている。それゆえ、我々は記号に取り囲まれて暮らしている。その状況が我々を苦しめており、さまざまな社会的問題の根源になっている。
馬は、私たちのこの問題を照らし出し、その状況を変革する力を持つ動物である。せめて欧米諸国くらいには、馬を生活に取り戻して良いのではなかろうか。その馬の力を活用する社会をもう一度志向してはどうだろうか。
このことを人々に知ってもらうために、私は馬を用いた選挙を構想した。
<馬に頼って社会を立て直そう>
馬は個体識別が苦手である。それゆえ誰が乗っても、ちゃんと乗れば乗せてくれるし、「馬泥棒」が簡単なのもそのためである。「飼い主」という認識がない。
とはいえ馬は高い知能と感受性を持っている。彼らは、自分の目の前の行為に反応する。それゆえ非常に、寛容であり、どんなに間違ったひどい対応をしたとしても、その直後に正しい対応をすれば、その前のことは関係なく、正しい対応を返してくれる。
これに対して人間は、個体識別に深く依存する動物である。我々の大脳がこんなにも発達した理由のひとつは、個体識別し、その履歴を記憶するためだといってよかろう。
しかし、人類は大きな社会を形成するようになった。都市においては個体識別は役に立たなくなっていく。東京の街を歩けば、知っている人と出会うことは、まずない。こうして個体識別が機能しなくなる。我々の社会の抱える問題の根源のひとつは、このことにある、と私は考えている。
私は『論語』の思想を研究しているが、その中核である「礼」という概念は、馬のコミュニケーションを参考にしているのではないか、と考えている。「礼」を、個体識別に依存するのではなく、人と人とが出会った場面における、適切なコミュニケーションの作法の交換を社会の基盤としよう、という思想、ある振る舞いに対して、適切な振る舞いで応え、その応答で社会を構成する、という考え方だと見ている。これは、馬の群の形成や、あるいは、馬と人との関係の形成のあり方と、よく似ている。『史記』によれば孔子の最初の仕事は牧場長であり、長じては多くの馬を飼って大切にしていたことが『論語』からも伺える。
これに対して法家は、事前に決定された規則で合理的に処理しようと提案した。現代社会は極端な法家アプローチを採用している、と見ることができる。そしてそれが、我々の社会を記号化し、コミュニケーション不全を引き起こしている、と私は見ている。
この状況からの離脱には、儒家的な礼の復活が有効であるが、残念ながら、我々現代人は、その身体的基盤を既に喪失しているように私には思われる。
この問題への対処の重要な方法が、馬との関係の回復だ、と私は考えている。馬という偉大な動物には、そのようなコミュニケーション空間の形成能力がある。
馬になぜ人間を癒す力があるのか。
私が感じることは、その大きさである。馬に乗せてもらうことは、子どものころに抱っこやおんぶをしてもらった経験と通じるものがある。そういう愛情の不足を補ってくれるのかもしれない。
また、鋭敏な知覚力を持っており、接する人間の心の状態を、本人の気づかないレベルで察知し、さまざまな形でフィードバックを返してくれる。これが、私たちの学びを引き出す大きな力を持っている。
また、馬は、牛や豚や羊や山羊とちがって、角も牙もない。鋭敏な耳や目で危険を察知して、強力な筋肉で逃げる、という方法で生き延びてきた動物である。それゆえ、積極的な攻撃性を基本的に持っていない。強大でありながら、攻撃性が弱い、ということが、強い力によって傷つけられた人間の怯えを取り除く効果があるのかもしれない。
馬とのコミュニケーションは、暴力も、命令も、お願いも、通用しない。強く大きな動物であるから、人間の暴力は簡単には通用しないし、馬を怯えさせると暴れてしまうので、逆効果である。言葉を理解しないので、命令しても何も通じない。言うまでもなくお願いをしても仕方がない。馬とのコミュニケーションは、全人格的な語り得ぬ力を用いるしかない。
現代社会において我々は、往々にして、暴力か、命令か、お願いか、を通じてコミュニケーションをしているつもりになっている。しかし、本当に必要なことは、人間同士においても、全人格的な語り得ぬ力なのである。この力を我々が失っていることが、現代社会がコミュニケーション不全に陥っている大きな原因である。
そして馬は、個体識別をあまりしないので、任意の人と平等に接することができる。犬は人間と共に暮らす代表的動物であるが、強く個体識別するので、その癒しの力の及ぶ範囲が限られる。
しかも、セラピーの仕事を担う動物は、往々にして強いストレスを受けて寿命が縮むことがあるのに対して、馬はそうではない。セラピーホースが、他の馬に比べて、何らかの健康上の悪影響を受けることはない。
馬に頼って、社会を立て直そう、と私は考えているのである。
<私は馬に救われた>
私がこのように考えるに至った背景には、個人的な経験がある。私は永年にわたって、非常に強い不安感に苛まれてきた。その苦悩の背景には、幼少期の親子関係があたっと考えているが、たとえ、その原因を認識しても、不安感を止めることはできなかった。
しかし、馬と接するようになり、私の心身の状態は大きく変化した。この過程で私は精神の不安が大きく改善し、身体的な健康も増進した。そればかりではなく、私は音楽活動をするようになり、自分の性自認に気づいて女性装するようになり、絵を描くようになった。子ども時代に自分自身に対して封印していた多くのことを、蘇らせることができたのである。
もちろん、その過程でカウンセリングを受けたこともあるが、人間が人間を癒やすのは、限界があると感じた。そしてセラピストや精神科医は、自殺率が非常に高い、と知って、なるほど、と納得したことがある。人間の苦悩を人間に手渡すことには、大きなリスクが伴っている。
<選挙でなぜ馬をするのか>
現在の日本の選挙の方法は暴力的である。街宣車で名前を連呼し、大音量のスピーカーで一方的にスローガンを叫ぶ、という行為は、多くの人が嫌っている。それは、本質的に一方向の情報発信であり、暴力性を帯びているからである。
私が馬を用いて選挙をするのは、この暴力性を打破するためである。馬のいる空間は、景色が一変し、たとえ都市においてさえ、記号性を打破し、世界の自由度を回復させる。馬は、私たちの命を生かしている神秘の力への気づきを与えてくれる。この生きる力の泉に人々が引き寄せられ、その神秘への敬意を取り戻す機会になってほしい、と考えている。
議会制政治において、政治家であるための条件は、選挙に勝つことである。それゆえ、政治の能力ではなく、選挙に勝つかどうか、がまず問われる。つまり、政治家の本質は、政治ではなく選挙である。それゆえ、どのような選挙をするか、は政治にとって決定的に重要である。選挙のやり方が変えることが、政治を変えることだ、と私は考える。
その変革を、人間が起こすことは、難しい。それゆえ私は、今回の選挙で、馬に頼ることにしたのである。
【補足:馬で選挙をすることは、馬の虐待になるのか?】
・馬は野生動物であるから、家畜化すべきではない?
野生動物としての馬は既に絶滅している。再野生化した馬もいるが、すべての馬は、家畜化を経ている。
・家畜動物の尊厳はどのように考えるべきか
家畜動物は人間が自分に貢献させるために改変して生み出した動物である。家畜動物は、経済的な価値の人間による利用が、動物の命を凌駕するという原則がある。しかし、経済的利益があるからといって、動物の命を無意味に奪うことは、命の尊厳を傷つけ、ひいては、私たち人間の尊厳をも踏みにじることになる。それゆえ、倫理的にやってはならないことになる。
しかし、この倫理的な線引きをどうするかについては、無数の議論がある。私はこれは、人の命を具体的に維持するために必要な事以外で、動物の命を奪うことは許されない、と考えるべきだ、と考える。これは、私たち人間が、他の命を奪わない限り生きていけない命である、という大前提の上に成り立っている。
少なくとも、私たち人間の命の維持とは無関係に、享楽やお金や社会的成功のために命を奪うのは、あまりにも酷い暴力であり、命の尊厳を傷つける事になる。
・ペットの是非
都市空間に生きる人間が、その精神的空虚を埋めるために、ペット動物に頼って生きる、ということは、上の原理から受け入れられることだと考える。しかし、ペットを買って無造作に捨てると言う行為は、命の尊厳を傷つけ、その人が尊厳が傷つけられていることを示す。
この状態は、ペット産業という経済構造の一部となっており、その構造を変える政策が必要であると考える。同時に、既に傷つけられてしまった尊厳を癒す活動が必要となる。この構造変革を志向しないのであれば、動物と人間の尊厳を守ることはできない。
・動物園や水族館は正当化されうるのか?
動物園や水族館は、野生動物を閉じ込めているのであれば、存在する意義はない。生き残る理由があるとすれば、絶滅に瀕する種の保存や、教育(=人間の生きる力の拡張)に寄与する、というところにのみ求められうる。
・競馬は馬を虐待しているか?
現代日本における、馬を取り巻く最大の問題は、日本中央競馬会(JRA)だと考える。
JRAは、馬を生産し育成し、走らせ、その行為をギャンブルという形で、人々に提供しいる産業である。馬という美しく走ることのできる命を利用した産業であることは、すばらしいことであり、その馬は確かに本当に美しい。その馬を生産し育成し、鍛え、能力の限界を目指し、馬を走らせるというい仕事に従事する人も、とても素晴らしい。
問題は、生産されたが馬が、無造作に殺されることを前提に、この産業が作られていることである。「経済動物だから、使えない馬は殺してもよい」というのがその正当化の言説である。走らなければ、殺す、というおそろしい原理で、競馬産業が支えられている、ということは、深刻な問題である。生産調整し、生まれてきた馬で競争する、という構造に変えねばならないが、これは、政治の力が必要である。
・選挙で馬を使うのは虐待か?
馬は野生動物ではなく、人と生きることによって生きる動物である。であるならば、人間が行うどんな活動であっても、享楽のために無造作に殺されるという行為以外であれば、それ自体が問題になる、ということは、あり得ない。もちろん、馬を酷使したり、餌を与えないという虐待は問題になりうる。
選挙で馬が活躍することは、馬の生命の維持や馬の精神的な苦痛を与える事にはならない。馬が人間と共に街を歩く、という行為が、馬に特別な苦痛を与える理由は考えられない。
選挙で馬を使う前例は、私の知る限り、以下である。
2012年12月の第46回衆議院議員選挙で、京都1区の平智之議員が馬車を使用。
2015年4月、2019年4月の神奈川県平塚市議会議員選挙で、江口友子議員が馬を引いて選挙する。
2018年7月の埼玉県東松山市長選挙で、安冨あゆみ候補が馬を使用。
これらの先例で、事故が起きたことはなく、また、馬の健康に何らの問題も起きていない。
今回は、これらの馬を使った選挙をサポートした経験豊富なグループに馬の運用を委託している。常時、2名のスタッフをつけ、馬の働く時間は実働4時間以内とし、かつ週に2日程度の休日を取り、健康管理に努めている。都市部を馬が歩くことによって、コンクリートによる熱問題や、馬の蹄の問題、排気ガスの問題や、人が多い場所でのストレス問題などは生じうる。
蹄や熱の問題に関しては、2名のスタッフが、管理しており、馬の体調が悪くなる兆候が出れば直ちに対策を打てる体制になっている。過去に、体調不良が起きたことはなく、今回の選挙でも何ら問題はない。
また、排ガスや人のストレス問題は、実際には解決する方法がないが、全く同じ条件で、人間が暮らしており、小さな子どもたちも暮らしている。当然、この環境は改善すべきだと考えているし、「子どもを守る」と言う今回の大きな目標からみても、馬にとって不愉快な環境で、子どもたちが暮らしていることに問題を感じている。そのことを人々に認識してもらうために、馬に頼っている、と言っても良い。
都市を歩く馬を見て、可哀想だと感じることは、人間がこの環境で暮らすことが悲惨な現実だと気付くための最初の一歩になるはずである。そして、馬が本当に可哀想だと感じるなら、私たち人間も本当に可哀想だし、即刻この環境を変えるためのアクションを起こすべきである。
もし、ここでアクションを起こさず、単に馬が可哀想と言っている人がいたら、それは、結局何も感じていないし、この暴力を容認していることになる。
そういった隠された事実を露呈させるためのの支援を、馬がしてくれている。馬が都市を歩くことによって、環境による暴力が改善するキッカケになれば、馬のためにも、人のために、大きな意義があるはずである。
これが、今回の選挙戦の一つの、目的である。
2019/07/11(木) 21:30:09 |
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馬を中心とした、見たことのない選挙をお見せします。
が、そのためには、最低、5百万円、必要です。
選挙の骨格の部分は、擁立する組織が支えてくださいますが、私が独自に構想する部分は、みなさまの献金で支えていただいて、自由にやりたいと思います。
献金はこちらからお願いします。
https://anmintei.net/contribution?fbclid=IwAR0KyqkhfXWTXx-PxRlG1S3FKn7BDhNAuAEWNfjmBM89WIivj95nA48dE6g 政治家であるためには、政治の能力は不可欠ではありません。
選挙に通ることが必要条件です。
つまり、本当は、選挙屋です。
私は選挙屋ではなく、選挙に通ることは目指していません。
政治のあり方を変えたいと思っています。
選挙のやり方が変わらなければ、政治は変わりません。
そのための実験を支えてください。
2019/06/29(土) 18:47:03 |
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記者会見の模様がアップされていますので御覧ください。
VIDEO
2019/06/29(土) 15:30:03 |
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「経費500円で自作したスピーカーが、数十万円のスピーカーを超える驚異の音質?!」 というテーマで記者会見を開きます。
1月9日から18日に、東京大学東洋文化研究所一階ロビーにて、「純セレブ文明の夜明け〜道(タオ)の思想に基づく非線形スピーカーのよろこび〜」展覧会を開催しておりますが、最終日前夜の17日午後5時より、展覧会を総括する記者会見を開催します。
これは、片岡祐介(音楽家)と安冨歩(東京大学東洋文化研究所教授)とが共同で開発している、画期的なスピーカー「純セレブスピーカー」を中心とした展覧会です。このスピーカーは、スピーカーユニットをダンボールなどの紙の函体にセットし、中に紙を詰める、という簡単なものですが、信じがたいほどに美しい音を出します。これは、単にスピーカーの展覧会なのではなく、現代文明の陥穽を抜け出す新しい文明を切り開く第一歩でもあります。この期間中にも多くの出会いがあり、多くの発見がありました。それらを総括して、現段階での知見を広くお知らせします。
また今回の展覧会で知り合った英国の著名な活動家 Raga Woods 氏と、純セレブスピーカーのマネジメントを委託している金田慶子氏とを招き、我々の開発したスピーカーと、その活動理念とを含めコメントを頂き、現代文明の根本問題をどのように乗り越えるか、についての提案をいたします。
純セレブスピーカーについての詳細は、以下をご覧ください。
https://jun-serebu.net/
2019/01/14(月) 22:10:18 |
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2019年1月、東京大学で展覧会をいたします。
ぜひ、耳で、目で、純セレブスピーカーをご堪能ください。
https://jun-serebu.net/dawn-of-jun-serebu/ 純セレブ文明の夜明け
~道(タオ)の思想に基づく非線形スピーカーのよろこび~
1月9日(水)~18日(金)
11:00~18:00
東京大学 東洋文化研究所 1Fロビー にて 入場無料
純セレブスピーカーを多数展示します。
歴史的初号機や変わり種のアートモデルなど、多彩です。
会期中、思いつきと縁で、急にトークや音楽などのイベントを開催。
フェイスブックイベントページまたはツイッターで告知いたします。
会場で純セレブスピーカーを公開製作しているかもしれません。
変化し続ける展示です。
純セレブスピーカー 安冨歩 片岡祐介
純セレブ文明の夜明け
〜道(タオ)の思想に基づく非線形スピーカーのよろこび〜
セレブとは、英語では「有名人」、日本語では「金持ち」というような意味だが、いわゆるセレブは、有名だとか、地位が高いとか、金があるといった根拠を必要とする。「純セレブ」とは、そのような根拠を必要としない、純粋のセレブのことである。純セレブは、自分がセレブだと悟ることによってのみ存立する、究極のセレブである。
今回、展示する「純セレブスピーカー」は、この純セレブ思想を表現する具体物である。スピーカーは、1876年に開発されたベルの電話機以来、140年以上の歴史があり、もは完全に成熟した産業だと考えられてきた。
しかし、2018年5月に、片岡祐介(音楽家)と安冨歩(東京大学東洋文化研究所教授)とが、スピーカーユニットをダンボール箱に詰めて、中に紙くずを入れる、という極めて簡単な手法で、驚くほど良い音のするスピーカーができることをを明らかにし、これを「純セレブスピーカー」と名付けた。このスピーカーは、スピーカーユニットが作動するときに、高い非線形性を帯びた運動をすると考え、それを固定して制御するのではなく、ゆるく支えて自由にのびのびと運動させる、という、独自の考え方に基づいている。この発想は、安冨の「老子」研究とつよく響き合っている。それゆえ、純セレブスピーカーは、道(タオ)の思想に基づく、非線形スピーカーだ、と捉えることができる。
純セレブスピーカーを聞き、あるいは自ら作る体験は、固定し抑制して制御する、という発想から離れ、ゆるくささえて共に運動する、という老子的な発想を、よろこびをもって体得する有効な手立てである。そればかりか、西欧に起源を持つ近代文明の桎梏を乗り越える、新たな「純セレブ文明」の夜明けを告げる産物だと我々は考えている。
純セレブスピーカー 平安モデル 安冨歩 片岡祐介
在廊スケジュール (11:00〜18:00)
9日(水) 公開搬入
※17:00〜 記者会見あり どなたでもご覧いただけます。
10日(木) スタッフ在廊(実質上、初日)
11日(金) スタッフ在廊
12日(土) スタッフ在廊
13日(日) 午前はスタッフ不在(展示のみ)午後のみスタッフ在廊
※18:30からは近隣の「御殿」で、
ハーフリッチ交響楽団(安冨&片岡)のニューイヤーコンサート
14日(月) スタッフ在廊
15日(火) スタッフ在廊
16日(水) スタッフ不在(展示のみ)
17日(木) スタッフ在廊
18日(金) 公開搬出
スタッフ不在で展示のみの日は、音を聴くことができません。
安冨歩と片岡祐介は会場にいたりいなかったりします。
今のところ、
片岡:9,10,11,12,14,15,17,18
安冨:9,13午後、14午後,18
在廊の予定ですが、急にイベントや実験を始めるかもしれません。
こちらのフェイスブックイベントページ、またツイッターでお知らせいたします。
https://www.facebook.com/events/2186427508342841/
ぜひ、上記のページの参加ボタンを押して、おいでになることをお知らせください。
お
2019/01/10(木) 18:33:52 |
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私は偶然にも、関係者を事件の前から全員知っている。社長の清水有高氏から、何度も事情を聞いたが、一方から聞いてもわからぬことが多々あるなと思っていた。今回、原告の主張に基づいた報道に接し、ようやく立体的にものが見られるようになったが、それでも真実はつかみきれていないと感じる。
ところが。
一方から聞いた断片的情報に基づく情報で、弁護士やら、何かの専門家が、したり顔で解説するのを見て、よくやるなぁ、と呆れてしまう。彼らは、何の根拠があって、こんなことをできるのだろうか。
また、ビ・ハイアの社内のことは知らないが、関係者を事件前から知っているので、この事件に心を痛め、色々考えてきて、それでも何が起きたのかよくわからない、と思う者にとって、原告からの断片的情報に基づく報道を見て、一斉にビ・ハイアと清水有高氏への攻撃に出る人々を見ると、誠に暴力的な恐ろしい社会にいるんだな、とつくづく思う。
この暴力性をどうやって、我々の社会から、消していくのか、が本当に考えねばならぬ問題なのだと改めて感じている。
もちろん、法律をつくったり、教育をしたり、という方法が役に立たないことは、前提である。
2018/10/24(水) 00:59:37 |
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ここでこの報道に関する私の考えを書いておきたい。要点は以下である。
===============
・報道は、原告が流した話を一方的にまとめたものに過ぎないので、このまま事実とみなすのは、不適切である。
・特に、大山氏を直接知っており、彼女が生前に残した親子関係に関する記事や証言を見た私には、これが「社長から意図的に表現させられたものだ」という父親の主張は、信じがたい。
・この事件と、ビ・ハイアのあり方とは、無関係ではないが、原告の主張のような直接的で単純なものではない、と私は考えている。
・大山氏の死の真の原因の総合的解明は、以前から私が清水氏に提案し、事態が落ち着いたらそれに着手しようと相談していた。思いもかけず、今回の裁判で、それが強制的に実現されることになった。
===============
一連の報道で私が一番衝撃を受けたのは、以下の記述である。
「父親は、娘がネット上で両親への批判を繰り広げていても、それは「全くもって事実無根の事柄であり、閲覧者を増やすために社長から意図的に表現させられたものだと気付き始めていた」と綴る。そして、「いつかは気付いて元の優しい娘になって、必ず戻ってきてくれるに違いないと信じ続けた」という。 大山氏を直接知る私は、彼女の残した、
毒親との決別 日本一醜い親への手紙を自分で自分の親に書いた
http://readman.jp/bookreview/7959/ に代表される、膨大な記事や真摯な証言を、こんな風に片付けるのは、受け入れられない。この裁判に関心を持つ人は、ぜひとも、この記事や証言を見て、これが父親の言う通りなのか、それとも彼女の本心なのか、真剣に考えてほしいと思う。
ハフポストの記事では、「午後3時半ごろ、両親にメールで遺書を送ったあと、自死した。」となっており、その内容には触れていないが、ビ・ハイアのHPに出たコメントには、
大山氏がご逝去される直前、御本人が書いた文面が清水はじめ親御様に届きました。そこには、同氏の決断が個人的な原因および理由によるものであり、弊社の業務とは無関係であることが明記されていました。それがご故人の遺された尊いものであること、また、その内容がご故人のプライベートな内容に深くかかわることである事実を踏まえ、清水および弊社はその存在を明らかにすることを控えて参りました。 と書かれている。
この大山氏の最後の通信は、大山氏の個人メールで発信されて清水氏にも届いており、この「個人的な原因および理由」は、大山氏がブログで書いている内容と整合している。裁判になれば、全文が開示されるであろう。このメールが「社長から意図的に表現させられたもの」でないことは、争う余地はなかろう。
私は、ここ一年弱くらい、同社の社長の清水有高氏と交流している。氏は読書家で知られ、私の研究を無償で広く伝える活動をしてくださっており、さまざまな問題について私と議論し、それを氏の「一月万冊」というYouTubeのチャンネルで公開している。また、一緒に東京大学で会合を開いて、その費用や研究資金の寄付を受けてもいる。
ところが、交流をはじめてしばらくして、大山莉加氏が自殺するという大事件が起きた。彼女はその前に、下にまとめたように、自分の親子関係について多数の記事を発表し、動画での証言を行ってもいた。これは、私の研究に大きな関連のあることで、私は大きな関心をもって彼女の証言を聞いたし、直接、大山氏から話も聞いて、衝撃を受けていた。原告が、それが事実無根で、社長に言わされたものだとしているが、私には信じがたい。それは、この問題に関心をもたれる方々に直接ご判断いただきたいと思う。
私は、ビ・ハイアの労務関係についてはまったく知らなかったが、その前から、同社をめぐる人間関係には何らかの問題があると感じており、そのことを清水氏とも議論していた。そして、清水氏自身、自分の問題について目を向けていて、その解決の方向を探し求めていた、と考えている。
その矢先に、大山さんが自殺した。 その過程で何が起きたのか、私にはわからない。私は清水氏と新しい形の出版ビジネスを生み出す計画をしていたこともあり、直後にその事情を個人的に伺った。それでこのままでは事態が更に悪化する可能性もあると考えて、いくつかの提案をした。そのうち一つがホースセラピーの導入であった。
それで3月2日に、清水氏は、社員全員に仕事をキャンセルさせて、埼玉の牧場に来て、ホースセラピーを受けたのである。ツイッターにも書いたが、その時の費用は清水氏が支払っていた。それ以前でも、食事会やいろいろなイベントの費用を清水氏が支払っているのを見ていたし、大山・大下・桜井の各氏も、そこで一緒に食事していた。そういった様子は、清水氏の趣味がカメラなので、たくさん撮影されていて、ネットにもアップされている。
それゆえ、ハフポストの、
「自由に食事もできなくなった従業員3人に与えられたのが、「乾燥大豆」だった。2017年12月からは乾燥大豆を1日1食(200グラム)という生活を強いられ、当初はレトルトのカレーをかけていたが、2018年2月中旬からは大豆だけになった。」
という記述もまた、俄には信じられないのである。もちろん、これらの食事を費用を別に請求していた可能性は排除しえないが、これも裁判で明らかになるであろう。
そのしばらくあとに、今回、ビ・ハイアに民事訴訟を起こした大下周平氏、桜井悠太氏が突然、失踪した。その失踪のときも、清水氏はショックを受けており、あの二人も自殺したのではないかと非常に心配しており、あとでメールで「やめる」と連絡があって、ホッとした様子であったのを見ているので、今回のような事態になるとは思っていもいなかった。
大下氏と清水氏とは、大学の同級生で二十年来のつきあいだと聞いていたし、ネットで二人が話している様子を見ても、たとえば、清水氏がつけた葉巻を大下氏が当然のように受け取っているので、事実そうだと理解していた。
「現代の奴隷制」と弁護士が表現しているが、その表現は、私の見聞した両者の関係とまったくそぐわないので、私には、それもまた、俄には信じられないのである。一方、ビ・ハイア側の主張によれば、「今回の提訴の原告である元業務委託者の二人は、契約中に犯した不正が明らかになり、民事提訴を準備しています。一人については、刑事事件として被害届を警視庁に出しています。」とのことであって、これも、やがて司直の手で事態が明らかになろう。
以上から私には「報道を鵜呑みにはできない」のである。
もちろん、それはビ・ハイアに問題がなかったことを意味するものではない。それどころか、構造的要因があったからこそ、こういった深刻な事態が起きているのである。しかし、その深刻さの形態は、原告が主張するようなものとは、私には思えない。もっと深い人間の内面のビ・ハイア内外を含めた相互作用によって引き起こされた、長期に渡る複雑な過程なのだと理解している。
私は事件直後から清水氏に対して、大山氏の自殺がなぜ起きたのか、その徹底した解明は大きな意義があるので、何らのタブーなく、行うべきだと主張しており、清水氏もそれに賛同していた。しかし、事件の鍵を握る自殺現場の第一発見者の二人との連絡が取れず、遺族とも連絡できなかったので、頓挫していた。事態が沈静化し、何年も経ってからでないとそれは実現できないと思っていたのだが、はからずも今回の裁判によって、それが強制的に進展することになった。
私はこの一連の事態を間近で見ていたので、今回の展開に、本当に胸がつぶれる思いであるが、同時に、事実が明らかになることに、大きな期待を抱いている。
===========大山氏の記事=======
毒親との決別 日本一醜い親への手紙を自分で自分の親に書いた
http://readman.jp/bookreview/7959/ 毒親 ヒステリックな母親と無言の父との決別『母がしんどい』田房永子著
http://readman.jp/bookreview/7298/ 騙されてしまう私 毒親とダメ男の意外な関係
http://readman.jp/bookreview/7595/ 虐待 毒親 共感できる経験談『親という名の暴力』小石川真実著
http://readman.jp/bookreview/7004/ 生まなきゃ良かったと言われた娘が書く読書レビュー『母が重い!〜しんどい「母と娘の関係」を楽にするヒント〜』下園壮太著
http://readman.jp/bookreview/6925/ 親からの虐待に気づいていなかった娘が書く『「毒親」の子どもたちへ』斎藤学著 を読んで
http://readman.jp/bookreview/6950/ 毒親問題を配信して良かった事と悪かった事 レイプ未遂等の過去のキズが解決できてなくても未来に向けて配信する意義
http://readman.jp/bookreview/7938/ 『子別れレッスン「おっぱい男」と「わがまま妻」』斎藤学、久田恵著 を読んで
http://readman.jp/bookreview/6964/ 母娘 虐待 母を許せないまま大人になってしまった娘へ『母を許せない娘、娘を愛せない母』
http://readman.jp/bookreview/6984/ 毒親 職場の人間関係にも親子関係が関係している!?『母と娘の「しんどい関係」を見直す本』石原加受子著
http://readman.jp/bookreview/7163/ 人間関係に悩む人へ 母が子どもの脳を作り替える『母という病』岡田尊司著
http://readman.jp/bookreview/7038/ 毒親に支配されている人へ 自分の人生を生きよう『毒親からの完全開放』影宮竜也著
http://readman.jp/bookreview/7067/ 毒親 過保護、過干渉 関わり方を間違える親子『母親はどうやって子離れするか』佐藤亜貴子著
http://readman.jp/bookreview/7107/ 毒親 脱出!娘に自信が無いのは親のせい『毒親の棄て方〜娘のための自信回復マニュアル』スーザン・フォワード
http://readman.jp/bookreview/7395/ 毒親に育てられた長女が語る!『長女はなぜ「母の呪文」を消せないのか』大美賀直子 著
http://readman.jp/bookreview/7447/ 毒親 母が娘の人生を縛る『愛すべき娘たち』よしながふみ著
http://readman.jp/bookreview/7517/ 毒親 家にいない父が結婚できない娘を作る『回避性愛着障害〜絆が希薄な人たち〜』岡田尊司著
http://readman.jp/bookreview/7541/ ====ハフポスト=====
https://www.huffingtonpost.jp/2018/10/17/gendai-no-dorei_a_23563845/ =====朝日新聞======
「生きてるだけで迷惑」女性自殺、社長をパワハラで提訴
2018年10月17日22時08分
ゲーム業界の求人広告会社などと業務委託契約を結んで働いていた女性(当時30)が自殺したのは、同社社長のパワーハラスメント(パワハラ)が原因だなどとして、女性の遺族や元同僚の男性2人が同社と社長に計約8800万円の損害賠償や未払い賃金の支払いを求める訴訟を17日、東京地裁に起こした。
* 「業務委託型」の働き方も焦点 パワハラ自殺訴訟
求人広告会社は「ビ・ハイア」(東京)。訴状によると、女性と元同僚の計3人は2006~14年に入社し、同社や関連会社との業務委託契約を結んだ。しかし、社長の指揮命令を受け、実質的には雇用関係のある従業員として働き続けていたという。
社長は、3人にブランド品のカバンや靴などを買い与え、その費用を会社から社長への貸付金という形で計上した。その自分への債務について、16年ごろから3人のうち2人を保証人にして返済を求めるようになった。
さらに社長は、原告の1人が賃金の情報を知人に伝えたことを「守秘義務違反だ」などと主張し、数千万円の損害賠償も求めるようになった。社長はやがて賃金の天引きなどを始め、3人にはほとんど賃金が支払われなくなったという。
3人の生活費が尽き、家賃を払えなくなると、会社事務所に住まわせ、その家賃も請求するようになった。社長は3人に「生きているだけで迷惑」「殺すと問題があるので、交通事故にあって死んでほしい」などと、大声で罵倒するパワハラを繰り返したという。
会社事務所で深夜も働いていることを確認するためにLINEで数分ごとに報告させたり、建物に取り付けたカメラや携帯電話のGPSで行動を監視したりもした。会社事務所での生活は、風呂もなく、寝るときは床にタオルをひく程度だったという。
今年2月、女性が「私は死んだほうがましですか?」という趣旨の発言をしたところ、社長は激怒。女性の目の前で使っていたパソコンを破壊し、「(死んだら)ゴミが増えるだけだ」などと暴言を繰り返した。その日の午後、女性は自殺したという。
原告らは、賃金の天引きは違法で、社長の一連の言動や行為は、原告の人格権などを侵害したパワハラにあたると主張している。
提訴後、原告である元同僚の男性2人と代理人弁護士が東京・霞が関で記者会見した。自殺した女性とともに社長の債務の保証人になったという39歳の男性は、社長について「外向きと内向きの顔がまったく違う」と話した。取引先などからは「仲良くやっている」とみられ、パワハラの実態は外からは見えにくかった。このため、このようなパワハラが再び起きないよう歯止めをかけるために提訴を決意したという。
男性自身、何度も会社を辞めようとしたが、その都度、社長からなだめられ、辞められなかった。自分と女性に負わされた借金について、どちらか一方が逃げた場合、もう一方が2人分の返済責任を負うとされていたことも、辞められなかった理由の一つだという。
代理人の深井剛志弁護士は「借金で縛り付けて馬車馬のような形で働かされるという関係がパワハラで問題だ」と語った。
会見では、亡くなった女性の父親が書いたという手紙を弁護士が読み上げた。そこには「娘の死後半年以上が経過いたしましたが、社長からの謝罪の言葉も娘の私物の返還もない。娘はきっと現世でさまよっていると思われ、残念でなりません」と記されていた。
同社は朝日新聞の取材に対し、訴状をみてから対応を検討する意向を示した。
2018/10/18(木) 20:17:11 |
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解釈してみたが、以下であってるかな?
わたしが、あるようにある、ということが、愛であり、
あなたが、あるようにある、ということが、愛であり、
愛だけをあなたは必要としている。
できないことを、やろうとして、
なれないものに、なろうとして、
愛を失って、必要のないものを追い求めていることが、
すべての問題の原因だ。
そう理解した。
==========
Love, love, love 愛、愛、愛
Love, love, love 愛、愛、愛
Love, love, love 愛、愛、愛
There's nothing you can do that can't be done
できないことで、あなたにできることなどない。
Nothing you can sing that can't be sung
歌えない歌で、あなたに歌える歌などない。
Nothing you can say, but you can learn how to play the game
あなたに言えることなんかない、
正々堂々とやる方法をあなたが身につけられる、ということ以外に。
It's easy
簡単なことだ。
Nothing you can make that can't be made
実現できないことで、あなたが実現できることなどない。
No one you can save that can't be saved
守りえない者で、あなたが守りうる者などない。
Nothing you can do, but you can learn how to be you in time
あなたにできることなどない、
やがて、あなたであるあり方を、あなたがいずれ学びうる、ということ以外に。
It's easy
簡単なことだ。
All you need is love, all you need is love
あなたが必要としているものは愛だけだ。あなたが必要としているものは愛だけだ。
All you need is love, love, love is all you need
あなたが必要としているものは愛だけだ。あなたが必要としているものは愛だけだ。
All you need is love
あなたが必要としているものは愛だけだ。
All you need is love, love, love is all you need
あなたが必要としているものは愛だけだ。愛だけをあなたは必要としている。
There's nothing you can know that isn't known
知られないことで、あなたが知りうることなどない。
Nothing you can see that isn't shown
見えないことで、あなたに見えることなどない。
There's nowhere you can be that isn't where you're meant to be
あなたがそこに居る定めである場所以外に、あなたが居られる場所などない。
It's easy
簡単なことだ。
All you need is love, all you need is love
あなたが必要としているものは愛だけだあなたが必要としているものは愛だけだ。。
All you need is love, love, love is all you need
あなたが必要としているものは愛だけだ。愛。愛だけをあなたは必要としている。
All you need is love (All together now)
あなたが必要としているものは愛だけだ。(さあ、みんないっしょに)
All you need is love (Everybody)
あなたが必要としているものは愛だけだ。(みんな)
All you need is love, love, love is all you need
あなたが必要としているものは愛だけだ。愛。愛だけをあなたは必要としている。
Love is all you need 愛だけをあなたは必要としている。
Love is all you need 愛だけをあなたは必要としている。
Love is all you need 愛だけをあなたは必要としている。
Love is all you need 愛だけをあなたは必要としている。
Love is all you need 愛だけをあなたは必要としている。
Love is all you need 愛だけをあなたは必要としている。
Love is all you need 愛だけをあなたは必要としている。
Love is all you need 愛だけをあなたは必要としている。
Love is all you need 愛だけをあなたは必要としている。
Love is all you need 愛だけをあなたは必要としている。
Love is all you need 愛だけをあなたは必要としている。
Yesterday 昨日、、
Oh yeah おお、ああ。
(She love you, yeah, yeah, yeah)(彼女はあなたを愛している、ああ、ああ、ああ)
(She love you, yeah, yeah, yeah)(彼女はあなたを愛している、ああ、ああ、ああ)
2018/09/04(火) 21:30:17 |
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Fashionposium ―A fashion symposium to overcome gender borders― Date: 3 June 2018 14:00~17:00
Venue: Yasuda Auditorium,
Hongo Campus, 7-3-1, Hongo, Bunkyo, Tokyo, 113-0033 Japan
Entry: Free
What is the “Fashionposium”? We recognize that the so-called apparel industry has a common tendency to separate everything into categories or segments, and the most persistent separation is by gender.
Why should we wear different clothes according to the gender we were born with? In this symposium, we reconsider the way we think about the “separation” itself in order to overcome gender borders. Our aim is to bring a new perspective to the fashion industry with this experimental event.
With the historical and symbolic authority of the University of Tokyo’s Yasuda Auditorium, we will create a new open space for communication. Our show may differ completely from any ordinary fashion show in that even the separation between the show producers/performers and the audience will be removed.
The First fashion event in the history of the Yasuda Auditorium, the University of Tokyo The highlight of this “fashionposium” is the “fashion-show” organized by blurorange, who are probably the world’s first fashion brand or label specifically for MtF transgender people. They will be launching their new collection and will also coordinate clothing supplied by other brands. At the end of the event, we will invite the audience to participate in the show. This is the first fashion event in the long history of the Yasuda Auditorium.
YASUTOMI Ayumi (Professor, the Institute for Advanced Studies on Asia, U-Tokyo) MATSUMURA Tomoyo (Designer, Representative of Blurorange) Contact: yasutomi@ioc.u-tokyo.ac.jp
2018/05/26(土) 02:13:53 |
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大人気の Ayumi Yrigoyen 個展も、いよいよ27日で終了です。最終日には、
1 安冨歩「純セレブ経済学入門〜経済学のどこがおかしいのか?」
2 片岡祐介「純セレブ・スピーカー入門〜オーディオのどこがおかしいのか?」
の豪華二本立てでお送りします。どちらも、
★参加費2千円、セレブ席2万円
です。メチャオトクな、
★通し券 参加費3千5百円、セレブ席は3万5千円
もご用意しております。スケジュールは、
13時〜15時 「純セレブ経済学入門」
ティータイム 15時〜16時
16時〜18時 「純セレブ・スピーカー入門」
純セレブ・パーティ(カンパ制)
となっております。
セレブ席は、
・最前列テーブル席
・ティータイムに安冨・片岡と懇談しておいしい珈琲とお茶菓子を楽しむ
のほか、なんと、
1は、安冨歩サイン本プレゼント
2は、純セレブ・スピーカー一式(製作体験つき)
がついております。
特に2は、めちゃ音の良いスピーカーがついて、自作体験がついて2万円は安い!!!
お申込みは、下記まで。
https://www.facebook.com/古民家ギャラリーかぐや-307188955959189/ ちなみに初日のイベントの様子はこちら。
VIDEO
2018/05/25(金) 22:43:00 |
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というツイートを引用しつつ内田樹氏@jijicom が、15:25 - 2018年3月16日 に、
とツイートした。
その前日に私は、
とツイートした。この推論に基いて支持率上がるかも、と予想したのだが、さすがにその予想は(幸いにも)外れた。しかし
支持率 39.3%
不支持率 40.4%
とほぼ同じであることを見て、暗澹たる気持ちになると同時に、理論的には、まぁそんなもんだろうな、と納得した。そして、朝日新聞やNHKが、ある程度踏み込んだ報道をしていてこの比率である、ということは、少しでもジャーナリズムが日和ったら、たちまち支持率は五割を越えるだろう、と思う。
内田氏の「(支持を表明した人々は)いったい何を期待しているのでしょう? 」という問には、
シラをきり通すこと というのが答えだと思う。内田氏がこのような疑問を感じるのは、国民の大層は民主主義者のはずだ、と前提しているからだと思うが、その前提は間違っていると私は考える。国民の大層は、
立場主義者 なのだ。そして自由民主党の本当の名は「立場党」なのだ。ついでに言えば、日本国の本当の名は「日本立場主義人民共和国」なのだと考えている。もちろん、いわゆる右翼や保守主義者や利権主義者や原発推進論者や温暖化懐疑論者や差別屋や左翼やリベラルや自由主義者や環境主義者や反原発論者も、大層は立場主義者である。彼らの違いは、
どういう立場をとるか だけである。この点を見過ごしてしまうと、日本がどういう状況にあり、どこに向かって転がり落ちているのか、把握することはできないと思う。
立場主義については、拙著、
『ジャパン・イズ・バック:安倍政権にみる近代日本「立場主義」の矛盾』 『満洲暴走 隠された構造:大豆・満鉄・総力戦』 などをご参照いただきたい。
2018/03/16(金) 22:29:41 |
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「純セレブ音楽家」片岡祐介と「東大教授セレブ」安冨歩とが、「セレブな生き方」をテーマに、モーレツなトーク&音楽&アートを展開するまったく新しいイベント。片岡・安冨によるスヌーカー・ペインティングも含めた、学術・音楽・芸術の融合する体験をお届けします。
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片岡祐介は、セレブである。
普通、日本語でセレブといえば、金持ちのことだ。(いや、英語の celebrity は有名人、という意味なんだが。。。)
しかし、片岡には、金はない。にもかかわらず、いや、それゆえにこそ、片岡はセレブである。
片岡は、働かない。
もちろん、職業は音楽家であるが、仕事はしない。音楽するだけである。
そして、大抵の日は、家でピアノかチェンバロを弾くか、打楽器を叩いている。
あとは、子供と遊んでいる。
こんな優雅な暮らしをしている以上、どう見ても、セレブである。
その辺のセレブは、金に支えられているがゆえに、セレブである。その根拠を失えばセレブではなくなる。しかし片岡は、金も地位も家柄もなく、生き方そのものがセレブである。それゆえ、安冨は片岡を、
【純セレブ】
と呼ぶ。片岡がセレブであるのは、セレブだからである。それ以外に、なんの根拠も必要としない。
そのセレブぶりは、片岡のフェイスブックを見ればわかる。
今回のライブは、女性装の東大教授安冨歩(ある程度有名なので、celebrity だ)が、片岡とともに、セレブな生き方とは何かを探求し、表現する、画期的な機会である。
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セレブ席:五万円(片岡&安冨とのセレブランチ付き&リハに参加可&最前列中央) 若干名
VIP席 : 二万円 (リハに参加可能&最前列) 若干名
一般席; 二千円 (安い!)
予約は yasutomi.management@gmail.com にメールしてください。
2018/02/02(金) 10:08:52 |
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今日、リハーサルしてきました。
これは、マジ、すごいです。
何がスゴイって、私の新曲、三曲、初演されます。
「ヒトラーの歌:アリス・ミラーによる 〜 朗読とピアノとクラリネットと鉄琴のための音楽」 安冨歩作曲、片岡祐介編曲
「柿本朝臣人麻呂、泊瀬部皇女忍坂部皇子に献ずる長歌」柿本人麻呂作詞、安冨歩作曲、片岡祐介編曲
「人間は悪の道から逃れられない」安冨歩作曲
アリス・ミラーの思想を集約した「ヒトラーの歌」は、朗読に適当に音楽をつけてもったり、あるいは、私がウチコミで作ったもので朗読したことがあるのですが、今回は、ピアノ+クラリネット+鉄琴のために片岡さんが編曲した、生演奏バージョンの初演!!! 今日、三四回やってみましたが、メチャクチャ面白かった!!!
柿本人麻呂の挽歌に私がメロディーをつけて、片岡さんがコードをつけたものを、歌います。これはホントに初演!!! 大熊さんのクラリネットと安倍さんのピアノと片岡さんドラムが、即興で伴奏します。
親鸞研究を集約した「人間は悪の道から逃れられない」は、東大の7月20日の講演の最後で、自分でエレキギター弾いて、片岡さんの電子ドラムでちょいとやっていますが、本気バージョンは今回が初!!!これも、大熊さんのクラリネットと安倍さんのピアノと片岡さんドラムが、即興で伴奏しますが、今日のリハで、アホみたいに盛り上がった!!!
もちろんあくまでも八木啓代さんのライブで、私と片岡さんはゲストです。八木さんの南米の新しい歌は大変な迫力。いつもの大熊さん安倍さんに、片岡さんの打楽器が絡んで、さらにスゴイことに!!!
ほんとにすごいライブになります。間違いなく。
来ないと損!!!!
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あの「ヤバい4人」が再びライブに結集!
エリートの欺瞞言語を研究した『原発危機と「東大話法」』、「超訳論語」など話題の書籍を次々に上梓しつつ「女性装の東大教授」としても話題を集める安冨歩氏をゲストに、東京アンダーグラウンド界の帝王大熊ワタル (cl)、超絶ピアニスト・阿部篤志(p)との異種格闘技がよみがえります。
もちろんトークタイムもあります!
Vo.八木啓代、P. 阿部篤志、Cl. 大熊ワタル+Vo.安富歩
さらに、鉄琴とドラムの片岡祐介さんも特別参加
フライヤー ダウンロードはこちらです
http://nobuyoyagi.com/PDF/171219.pdf ネット予約はこちらから
http://nobuyoyagi.com/event.html
2017/12/13(水) 23:43:38 |
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最近の政治家の発言は、驚かないことが少ないくらいハチャメチャになっている。もはや「東大話法」などという一見整っていながら中身はハチャメチャ、というレベルではなく、安倍政権になって、言葉の底が抜けてしまっている。
それでも、小池百合子東京都知事のこの発言は、その衝撃力が飛び抜けている。
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「2つ目のご質問でございますけれども、情報というか、文書が不存在であると、それはAIだからです。私があちこち、それぞれ外部の顧問から、それからこれまでの市場のあり方戦略本部、専門家会議、いろいろと考え方を聞いてまいりました。いくら金目がかかるかということについては、関係局長が集まった会議で、既にA案、B案、C案、D案と各種の数字が出てきております。よって、試算については既に公表されているものがあります。最後の決めはどうかというと、人工知能です。人工知能というのは、つまり政策決定者である私が決めたということでございます。回想録に残すことはできるかと思っておりますが、その最後の決定ということについては、文章としては残しておりません『政策判断』という、一言で言えばそういうことでございます」
http://www.sankei.com/premium/news/170811/prm1708110013-n25.html ============
文書が不存在であると、それはAIだからです・・・・最後の決めはどうかというと、人工知能です。人工知能というのは、つまり政策決定者である私が決めたということでございます。 なんという衝撃的な言葉であろうか。都知事が人工知能であったとは。。。しかし、一体、何でこんなことを言い出したのか、解析してみたい。
まずこの発言は次の質問への応答である。
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2点目は豊洲市場移転問題について、知事が公表した市場と、豊洲と築地と双方に市場機能を残す方針について、財源や運営費など検討した記録が都に残ってないというのが毎日新聞の情報公開請求でも明らかになった。最終判断が知事と顧問団による密室で下されて、情報公開という知事の方針に逆行するんじゃないかという指摘もある
==================
質問の要点は、「決定過程を記録に残さないようなやり方は、情報公開という知事の方針に反しているのではないか」ということである。
ちなみに「情報公開」という言葉の意味は『デジタル大辞泉』では、次のようになっている。
【行政機関などが保有している情報を、国民が知りたいときに自由に知ることができるようにすること。】
小池都知事は、「東京大改革の一丁目一番地は情報公開」としており、定例会見で次のように言っている。
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「今回の第2回定例議会において、一つは情報公開の条例の改正、二つ目が公文書の管理徹底の条例成立ということです。まさしくこういった点が今、国会の場においても『文書があるのないの』とか、『共有がどうなっているの』とか、そこに注目がいっているわけです。基本的に記録は残す。そして、重要な文書については、所管課限りでなく他部署が関与するダブルチェックにより廃棄するというのが、今回の公文書管理のポイントにもなっているわけです。行政である以上はしっかりと情報の管理、公文書の管理をするというのは当然の話だと思います」
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2017/06/27/antena-16/ =========
記者が聞いているのは、「基本的に記録は残す」という態度と、「知事が公表した・・・方針について・・・検討した記録が都に残ってない」という事態とは、矛盾しないか、ということである。
これに答えるには、
「最終決定は私の中で起きた過程ですから、さすがにそれは記録に残せません。しかし、なぜ決定したかは、説明できます。」 と言えば良いわけである。とても簡単なことである。
しかし小池都知事はこう答えなかった。そのかわりに、
「最後の決めはどうかというと、人工知能です。」 と答えた。改めて読むと爆笑してしまうが、深刻な問題なので、笑っていないで理由を考えねばならない。
一つの可能性は、「なぜ決定したのかを、説明できないから」である。とはいえ、この決定を表明した記者会見でその理由を、
・豊洲移転後にかかる費用の赤字に対応するため
・「築地ブランド」を生かして土地を有効活用するため
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/20/tsukiji-yuriko_n_17218046.html と説明している。もし本当にこれが理由であるなら、ますます「人工知能」のフリをした理由がわからなくなる。
私の考えは、小池都知事自身が、この
理由を信じていない から、ではないか、ということである。そもそも、豊洲移転自体が巨額の資金を食っており、しかも開業後も大赤字を生み出すことは確実である。その総額は一千億円をはるかに超えるとされている。それゆえ、もともと築地を売却してなんとか埋める、それでも苦しい、という事業なのである。
ところが都知事の方針は、築地を売却しないで、そこに「食のテーマパーク」を作るというものであって、これにはまた巨額の資金を投入せねばならなず、その上、これ自体が赤字になるリスクが非常に高い。ディズニーランドが苦戦しているご時世に、
「東京都が運営する食のテーマパーク」 などを開業し、天下り役人を大量に受け入れて、その上で、豊洲の赤字を埋めるほどの黒字を叩き出す、などという事業が、現実的だと信じる人がいれば、そんな人はクルクルパーと言って過言ではなかろう。
そしておそらく、小池知事はクルクルパーではない。とすれば彼女は、この理由が、口から出まかせであって、本当にできるなどとは、全く思っていない、ということになる。そして、都民が忘れた頃に、この方針を「やっぱりお金がなくて無理でした。築地は売却します。」と撤回するつもりなのではないだろうか。
とすると、この決定の本当の理由は、何なのであろうか。私は、
「都議選の前に、口から出まかせを言っておく必要があったから」 ではないかと想像する。もちろん、こんな理由は口が裂けても言えない。それゆえ、
「回想録に残すことはできるかと思っております」 と言っているのである。
つまり、彼女が常に考えていることは、「何をなすべきか」ではなく、「何を言えば選挙民の支持を維持できるか」である。そう考えると、同じ記者会見で、都民ファーストとの距離感について聞かれて答えた次の答えをよく理解できる。
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「それから、2番目の質問も今の答えで大体カバーできるものだと思いますけれども、これから決めるべきものは、スピーディーに決めていく、それから、しっかりと議論すべきものはしっかりと議論をするといったような、テーマに即した形での距離感であったり、時間をかける、もしくは質的に深める、量的に時間をとる、それはもう本当にケース・バイ・ケースになろうかと思っております。一言で言えば、良識に基づいて、都民が見ているのだということをいつも念頭にしながら進めるということだと思っております」
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「都民が見ているのだということをいつも念頭にしながら進める」という言葉が重要である。小池知事は、原則に従って行動する、ということを全く考えていない。そうではなくて、「都民にどう見えているか」だけを考えている。そしてその見え方を最大にすれば、支持を確保でき、つまりは権力を維持できる、と認識しているのである。
この計算は非常に複雑であって、とても大変である。いや、それよりも、こんなことをしていると、良心が咎めて、心が折れてしまう。もしも私がそういう「立場」に置かれたら、
「こんなの大変すぎる!人工知能にやってほしい!!」 と願望するところである。それを現にやってのけている小池知事は、すでに人工知能の域に達していると言っても過言ではない。つまり、
小池知事は、権力を最大化する人工知能である ということになる。この事実を、自ら露呈したのが、この発言ではないかと思う。
それは、とても恐ろしいことであり、安倍晋三や橋下徹などといった、
「お爺さんの願望の実現」 とか、
「学校時代の恨みを晴らす」 とか、そういった権力奪取以外の余計な「目的」を持ったファシストよりも、ずっと純度の高いファシストだ、ということになる。
2017/08/11(金) 13:03:00 |
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2016年度に高知大学で行った集中講義の録画ビデオを、YouTube にアップした。国立大学の授業は、国民の税金によって支えられているのであり、原則、公開されるべきだ、と私は考えている。
シラバス 高知大学 集中講義 初日 高知大学 集中講義 2日目 高知大学 集中講義 3日目 高知大学 集中講義 4日目/最終日
2017/07/20(木) 00:14:50 |
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知足者富也。
を、
足るを知る者がセレブである。
と訳してみた。
これがぴったりだと思ったが、「セレブ」が死語になる可能性を感じたので「富豪」と変更した。
33章
知人者智也。
自知者明也。
勝人者有力也。
自勝者強也。
知足者富也。
強行者有志也。
不失其所者久也。
死而不忘者寿也。
他人を知る者は、智慧者であるが、
自らを知る者は、それを凌ぐ明智である。
人に勝つ者は、有力者であるが、
自らを知る者は、それを凌ぐ明智である。
人に勝つ者は、有力者であるが、
自らに勝つ者は、それを凌ぐ強者である。
足るを知る者が富豪である。
不屈の意志があるなら、どんなことでも実行しうるが、
己のあるべき姿をどこまでも失わない者は、不朽である。
死んでも忘れられない者が、
本当の意味で長寿である。
2017/05/24(水) 23:33:13 |
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VIDEO 楽譜はここからダウンロード 弦楽四重奏のための その日、輝きは失われた (2016)
安冨歩、片岡祐介、新雅史
That day in Hiroshima, the sparkle of life was lost (2016) for strings quartet
Ayumu Yasutomi, Yusuke Kataoka, Masafumi Arata
この作品は、原爆ドームの前で、原爆の死者に祈りを捧げながら、その霊感を受けて3人が共同で作曲した。我々は、これを原爆の死者の魂による作品と感じ、その成果を我がものとしようとするならば、その怒りを買い、想像を超えた罰を受けるのではと恐れるがゆえに、ここに全ての権利を放棄する。我々をこの判断へと導いた刈部謙一氏に感謝します。
We composed this piece of music in front of the Atomic-Bomb Dome in Hiroshima, praying for the victims of the bomb. While it is us who made the music, we strongly feel that it comes not from us but from the victims’ souls. For that reason, we do not wish to claim any rights for this music, thinking that we will be punished by the angered souls if we did so. We express our gratitude to Mr. Karube Ken'ichi, who advised us on this decision.
2017/05/24(水) 13:07:53 |
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ディスカバー21から、『超訳 論語』を出版してからはや数年が経過した。この本は、韓国語と中国語(香港)とに翻訳され、ダイジェスト版がローソンで販売される、という、私の本にしては珍しい幸運児であった。この流れで、「老子」を書いて欲しい、というご要望があり、ようやくその原稿を書き上げた。いま、ゲラが出るのを待っているところである。
『論語』は抄訳であったが、『老子』は全訳である。なぜなら、論語の方は一貫して読もうとすると、どうしても、二割程度、読めない箇所があったのに対して、老子のほうは、ほぼ全体を一貫して読むことに成功したからである。そして、私が取り組むときに予想していたとおり、老子は、論語の理論的バックボーンになっている。両者を合わせてお読みいただければ、老子の描き出すような世界観に基いて、論語の倫理が展開されていることを、理解していただけるものと思う。
ここのところ、ブログの更新を放置していたのだが、同書の発売にあわせて、老子についての考えを少しずつ書いていこうかな、と思っている。
2017/05/09(火) 23:15:06 |
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